第4話 狐狗狸さん 弐
二階に上がれば鼻につく獣臭は濃さを増す。
「これは、想像以上だな……!」
即座に一番気配の強い部屋の扉をノックする。
しかし、当たり前だが返答は無い。微かに聞こえる呻き声と、何かが軋む音だけが聞こえてくる。
「火急のため、失礼する!」
返答が無かった時点で、好は部屋に入る事を決意する。
一言断りを入れてから、扉を開ける。
「――ッ!!」
瞬間、更に匂いが濃くなる。
思わず顔を顰めながら、薄暗い室内を見回す。
目に飛び込んできたのは、年頃の少女らしい可愛らしい部屋――の残骸だ。
棚や本はぼろぼろになり、クッションからは綿が完全に抜けそこら辺に散らばっている。羽毛布団は盛大に破けて羽を散らせ、壁には鋭い物でひっかいたような痕が付いている。
極めつけは、ベッドで暴れる一人の少女。
「これは……想像以上だな……!!」
目は血走り、糸切り歯を向き出しにして好を睨み、掴みかかろうと身体を暴れさせている。
「がぁうっ、あぁっ! がぁぁぁああっ!!」
獣のような唸り声を上げて暴れる少女。しかし、その身体は布でベッドに固定されており、異常に伸びた爪が好に届く事は無い。
好の想像以上に悪い状態。危険な状態なのは分かっていた。けれど、まさか此処まで酷いとは思っていなかった。
焦りが鎌首をもたげる。けれど、そう言うときこそ冷静に。
「ワトソン君! 直ぐに上がって来てくれ!」
「はーい」
好の切羽詰まった声を聞いて、どたどたと足取り荒く茨は二階に上がってくる。
「わっ、こりゃ酷い」
部屋に入り、開口一番に率直な感想を口にする。
「ワトソン君、視えるか? 私には濃すぎてこれが
「安心してホームズ。はっきり視えてるから」
茨は少女を見た後、部屋をぐるりと見回す。
「……うん、なんとなく分かった」
「そうか。ならばいったん下に戻ろう」
「そうだね」
見るべきものは見た。後は
「ごめんね、お邪魔しました」
一言謝ってから、茨は部屋を後にする。
「失礼するよ、レディ」
気障に言って、好も部屋を出る。
二人は一階に降りる。
一階の廊下では、先程の三人に雲母と新藤の母親が居た。
好が降りて来れば、母親は好に駆け寄る。
「娘は! 娘は大丈夫なの!?」
「一刻を争いますが、直ぐに直ぐどうこうなる訳ではありません」
「そんな!! 治してくれるんじゃなかったの!?」
「私達は探偵ですが、祓い屋の類ではありません。一つ一つ原因を紐解いて、娘さんを元の状態に戻します」
「一刻を争うんでしょ!? そんな悠長な事言ってる場合じゃないでしょう!?」
「大丈夫ですよ、新藤さん。ホームズなら答えを出すまでに一刻もかかりませんから」
取り乱す母親に、茨が柔らかい笑みを浮かべて宥める。
「ひとまず、こうなった経緯が知りたい。君達が彼女と一緒にこっくりさんをしたメンバーで間違い無いか?」
母親から視線を外して、三人に問う。
男子二人は訝し気な顔をしてはいるけれど、雲母の隣に立つ女子生徒が心配そうな顔をしながら頷く。
「うん。アタシ達四人でやった……」
「そうか。では、詳しく話を聞かせて貰おう」
「あ、その前に。ホームズ。狐、多分、山神」
茨からの言葉の少ない
他の者は何のことを言っているのか分からないと言った顔をしているけれど、好だけは少し考える様に
「ふむ、そうか」
一つ頷いて、好はおもむろにスマホを取り出し、誰かに電話を掛ける。
「もしもし。はい、私です。今大丈夫ですか? そうですか、ありがとうございます。一つお願いしても良いでしょうか? 先日の雨の日に
「
「ああ。仮説は成った。後はすり合わせようじゃないか。では君達、話をお聞かせ願おうか?」
好の号令の後、リビングに通された。
新藤の母親がお茶を用意し、それを雲母が手伝う。
全員が席に着けば、即座に好が切り出す。
「さて、まずは自己紹介だ。私は法無好。怪異専門の探偵だ」
探偵という言葉に高校生三人は訝し気な顔をする。
それはそうだろう。同じ高校生が探偵を名乗っているのだから。
「その、探偵ってのは自称か?」
茶髪の男子が訝し気な視線のまま訊ねる。
「自称であり他称だ。自他ともに認める探偵というやつだな」
そう答える好を、三人は疑念の目で見る。
話がややこしくなっても面倒なので、誰かが何かを言う前に茨が続く。
「僕は和島茨。ホームズの助手みたいなものだよ」
にこにこと場にそぐわない笑みを浮かべる茨。獣臭さは未だに鼻に付くけれど、現場を見て少し落ち着きを取り戻したようで、今ではいつもの愛くるしい笑みを浮かべている。
「さて、では次はそちらの三人だ。新藤さんと烏口は省かせてもらいます。重要なのは三人の話ですので」
「ええ」
「まぁ、別に良いですけど……」
母親は一つ頷いて、雲母は少しだけ不満げな様子で頷いた。
三人は顔を見合わせると、左端から自己紹介を始めた。
「俺は
「
「
茶髪の少年が花菱、黒髪でピアスを付けた少年が目盛、雲母の友人の少女が石嶌というらしい。
「先日こっくりさんをしていたのは君達三人と上の部屋に居た少女、新藤美々花で間違いないな?」
「ああ……」
申し訳なさそうな顔で、花菱が頷く。
誰が言い出しっぺか分からないけれど、三人ともこっくりさんをする事に同意したのは事実。軽率にそんな事をして、美々花をあんな風にしてしまった事に申し訳なさがあるのだろう。
「では、当時の様子を詳しく教えて貰えないか?」
「……それで、新藤が元に戻るのか?」
「保証は出来ない。だが、全力は尽くす。そのために私達は此処に来た」
「保証できないって……! お前ふざけてんのか!? こっちはお前等の探偵ごっこに付き合ってる場合じゃないんだよ!!」
花菱が額に青筋を浮かべて怒鳴る。
「落ち着けよ花菱」
「落ち着いてられっかよ! こいつら、探偵だのホームズだのワトソンだの! 遊んでんだよこの状況で! お前等にとっちゃ他人事かもしれないけどな、俺らにとっちゃ遊びで関わって欲しくねぇ事なんだよ!! 分かったらとっとと帰れ!!」
「そうか。私が聞いた話では、彼女がこうなってしまって一週間は経つと聞く。新藤さん、彼女の容態は良くなりましたか?」
「……いえ……」
「そうですか。花菱、遊びじゃないのは百も承知だ。私も遊びでこんな事に首を突っ込みはしない。だが、遊びじゃないのならこの進展の無さはなんだ? 君が彼女にしてあげられた事はなんだ? 一つでも彼女のために何かが出来たか?」
「そ、それは……」
好の言葉に花菱の威勢が削がれる。
「言い淀むという事はそういう事なのだろう? であれば、君のする事は私に噛みつく事では無い。黙って私に協力をする事だ。悪いようにはしない。それは保証する」
「ぐっ……」
悔しそうに、花菱は歯ぎしりをする。
そんな花菱に、新藤の母親は柔らかい表情で言う。
「花菱くん、ありがとう。でも、私も彼を信じてみる事にするわ」
「小母さん……」
「烏口さんの勧めもあるし……何より、今は藁にも縋りたいの……」
笑みを浮かべるけれど、その顔は疲れの色が滲み出ている。美々花もそうだけれど、母親の方も限界が近いのだ。
「……分かりました」
新藤の母親の言葉を聞いて、ようやく協力する気になったのか、花菱は不貞腐れた表情をしながらも好の方を見る。
「ホームズ、
「なんとなく、ニュアンスが違う事は分かったぞワトソン君」
にししっと笑っている茨を小突いた後、好は花菱に訊ねる。
「それでは改めて。当時の様子を教えてくれるか?」
「……あの日は、雨が降ってるから、新藤の迎えが来るまで待つ事にしたんだ。それで、せっかくだからこっくりさんをやってみようってなって……」
「メンバーは君達三人と美々花さんで間違い無いか?」
「ああ。正直、馬鹿だったなって思うよ。こんな事になるなら、絶対にやらなかったのに……」
「反省は後で大いにすると良い。今は詳しい状況を教えてくれ」
好の物言いにむっとしながらも、花菱は続ける。
「最初は普通だったんだ。くだらない質問して、適当に騒いで……そろそろ終わりにしようかって時に、急に十円玉が動き出して……」
その時の光景を思い出したのだろう。花菱の顔が青褪める。
「助けてって、そう言ったんだ。その直後に、新藤の様子がおかしくなって、急に暴れ出して……」
「今のような状態になった、と?」
好の言葉に花菱は頷く。
「今、花菱が説明した通りで間違い無いか?」
好が目盛と石嶌にそう訊ねれば、二人ともこくりと頷く。
「なるほど」
事細かに説明をされた訳ではない。けれど、先程立てた仮説とは繋がる。後は、報告を待つだけだ。
しかし、仮説とは繋がったけれど、情報が多いに越した事は無い。
もう少し突っ込んで聞いてみる事にする。
「では、私から幾つか質問をさせてもらう」
「ああ。なんでも聞いてくれ」
花菱とは違い目盛は協力的な態度だ。話が早くて助かる。
「君達は愛の女神様を知っているか?」
「ああ。うちの学校でも流行ってたし、中学の頃だって流行ってた。逆に、知らない人の方が少ないんじゃないのか?」
「そうだな。なら、何故愛の女神様ではなくこっくりさんをした? 細かなところは違うが、様式自体は変わらないはずだ」
「たまには別のをって理由もあったけど、俺が先輩からこっくりさんのやり方を教えて貰ったから、ちょっと試してみたくなって……」
「何?」
こっくりさんのやり方を教えて貰った。
その言葉に違和感を覚える。
何せ、こっくりさん自体はやり方は愛の女神様とそう変わらない。ただ少しの違いしかない。
それなのに、やり方を教えて貰った?
「そのやり方とは?」
好の声があからさまに低くなり、三人はびくりと身を竦ませる。
「か、紙は変わらない。はいといいえ。五十音に数字。鳥居を書いただけだ。ただ……」
「ただ?」
「紙は先輩から貰った。こっくりさんが実際に来た紙だから、来やすいだろうって」
「その紙は今誰が持ってる?」
「あ、アタシが持ってる……」
言って、石嶌が鞄の中から古びた紙を取り出す。
「ワトソン君!」
「うん」
慌てたように声を荒げる好に頷き、茨は即座に石嶌から紙を奪い取ってびりびりに破り始める。
「なっ!? それ、先輩に返さなくちゃいけないやつ――」
「馬鹿を言うな!!」
慌てる石嶌を好が一喝する。
「こっくりさんに使用した道具は全て三日以内に持ち主の手元から離れるようにするのがルールだ!! まさかとは思うが君達、まだその日に使った道具を持ってるんじゃないだろうな!!」
「じゅ、十円玉を使ったけど、どの十円玉だった憶えてない。それに……」
「それになんだ? まさかその十円玉もその先輩から借りたなんて言わないだろうな?」
「か、借りた……十円玉も、以前に使った物だって……」
「今すぐ君の持っている十円玉を全て私に渡せ!!」
「あ、ああ」
好の剣幕に押され、目盛は財布の中から小銭を全て取り出し、テーブルにぶちまける。
その中から十円玉だけを摘まみ上げる。
その
じっと十円玉を見つめた後、視線だけを目盛に向ける。
「血、使ったでしょ?」
「え?」
「こっくりさんをするのに、この十円玉に血を付けたでしょ?」
「なんだと?」
茨の言葉を聞き、好は険しい顔で目盛を見据える。
目盛は好よりも、笑顔が完全に消え去っている茨の表情に気圧されているらしく、茨の方を見て怯えたような表情を浮かべる。
「使ったでしょ? これだけ酷い匂いなんだ。ここら一帯が獣臭くなかったら君と会った時点で直ぐに分かるくらいに臭いよ、これ」
十円玉を握り、自分のポケットの中に仕舞う。そして、自分のお財布から十円玉を取り出し、目盛に渡す。
目盛の青褪めた表情を見れば、返答がなくとも答えは分かる。
「それも先輩に教えて貰ったのか?」
「あ、ああ……」
頷く目盛に、幾分か怒りを鎮めた様子で、好は説明をする。
「血は古代から生命の源とされてる。悪魔崇拝者が贄として動物の血を捧げたり、吸血鬼が血を吸う事からも、血は霊的なものなどに対しても特別な意味を持つ。血などの体液を使うだけで、こっくりさんは段違いに危険なものになる」
言って、好は深い溜息を吐き頭に手を当てる。
「ひとりかくれんぼというものがあるだろ? あれも、人形に自分の一部を入れる。占いと言ったが、こっくりさんは降霊術の一種だ。そして、ひとりかくれんぼもそうだ。人体の一部というのはそれだけ降霊術や呪術に重要なファクターなんだ」
説明をしながら、好は考える。
先輩はこの事を知っていたのか。何故こんな方法を教えたのか。
様々な疑問が鎌首をもたげるけれど、その思考を一旦頭の端に追いやる。
今はそんな事よりも大切な事がある。
「……この際だ。君達、洗いざらい吐いてもらうぞ」
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