第2話 ホームズとワトソン

 二人の依頼主は五十鈴の両親だ。


 二人がこの学校に入学すると聞いて、わざわざ出向いてまで依頼をしてきた。


 高校生になる前だったので、二人はまだ中学生。そんな二人に頭を下げて、娘を元に戻してくれと依頼をしてきた。


 二人はその依頼を受けた。依頼内容は至極単純であり、その仕事内容もまた二人の行動理念に背くものでは無かったからだ。


「秀星に入学して早一月。成果は芳しくはないね」


 缶珈琲コーヒーを飲みながら、少しでも情報を得ようと五十鈴を観察する好。


 パックジュースを飲み干されてしまったので自分の分の飲み物が無くなってしまった茨は、好から珈琲を奪おうとするけれど、それがブラックであると分かると奪うのを諦める。茨は苦い物が苦手なのだ。


「事前情報に、俺達が入学してから得た情報。その他の生徒の噂話程度の情報を集めはしたが、どれも同じような物だ。目新しい物も無ければ、核心に迫る情報も無いと来た。少し強引でも協力者が欲しくもなる」


「ああ、なるほど」


 好の言葉に、茨は納得する。大藤の事を公にしなかったのは、そこら辺の事情を深く探ってもらうためなのだろう。教師であれば得られる情報もあるだろう。それに、大藤はこの学校に勤めて五年程経っている。三年生よりは女神について詳しいだろう。


 一月経った今、進捗は思った以上に芳しく無かった。


 元々持っていた情報に加え、すでに世に出回っている情報くらいしか得る事が出来なかったのだ。少しは強引な手段を取ってしまうのも仕方のない事と言えるだろう。と、自分に言い訳をしてみる好。


 そんな好に、茨はにっと笑みを浮かべる。


「協力者を得るって言うなら、今回の事を明かさないのは少し失敗かもね、ホームズ」


「何――」


「ちょっとどういう事よ法無のりなしよしみ!!」


 何故。そう問いかけようとした好の言葉を、興奮気味の高い声が遮る。


 それだけで茨が何を言わんとしているのかが分かった好は、面倒くさそうに一つ溜息を吐く。


「フルネームは止めてくれ、烏口うこう雲母きらら


「そんな事はどうでも良いのよ!! これ、どういう事だか説明してくれるかしら!?」


 好に食って掛かるのは隣のクラスの女子生徒、烏口雲母。後頭部に二つ結われた三つ編みに、ステンレスフレームの洒落っ気のない眼鏡をかけた、見た目が完全に委員長であるのが特徴の女子生徒だ。


 雲母が見せてくるのはスマホの画面。


 そこには、『依頼終了。もう事件は起きない』と映し出されていた。勿論、そのメッセージを送ったのは好だ。


「文字通りの意味だ、烏口雲母」


「それは分かってるわよ! 内容が無いのよ! ちゃんと説明をしなさい! 仮にも私は依頼人なのよ!?」


「君に伝える内容は、無いよう」


「茶々入れないでくれる茨ちゃん!?」


 茨が即座に思い浮かんだ駄洒落を言えば、雲母は即座に突っ込みを入れながら茨の口を塞ぐ。


 こういった場面で茨がろくな事を言わないのは経験則で分かっている。そのため、茶々を入れてきた時点で話を円滑に進めるために口を塞いだのだ。


 くすくすと笑う茨をジト目で睨みながらも、雲母は続ける。


「で、説明はあるのかしら?」


「無い。今回ばかりは黙秘権を行使させてもらおう」


「それで私が納得するとでも?」


「事件は解決した。再犯の可能性も無い。あったとしたらそれは別人による犯行だ。それだけは、断言しよう。ワトソン君の名にかけて」


「そこはあんたの名前をかけなさいよ……。はぁ……まぁ良いわ。事件解決って事で良いのね? それは、間違いない?」


「ああ。もうしないと言質は取った。それに、弱みも握ったしな」


 言って、いやらしい笑みを浮かべる好。


「うわぁ……」


 そんな好にドン引きした様子で茨の後ろに回り込む。茨も茨で、犯人が大藤だと分かっているので、その発言はぎりぎりだぞという意味で渋い顔をしている。


 しかし、そんな二人の視線もどこ吹く風。


「再犯が無いだけマシだろう? それに、悪い事をしようなんて気は一切ない。少しお願いを聞いてもらうだけだよ」


「その少しの範囲にあんたは遠慮をしなさそうだけどね……」


 雲母の言葉に、その通りとばかりに茨は頷く。好は使えるモノはなんでも使うタイプだ。大藤も目一杯こき使う事だろう。


「ともあれ、事件は解決だ。君の依頼は達成できたわけだが、不満はあるかい?」


「あるけどね。あんた後ろ暗い事してそうだし、言えない事の一つや二つはあるわよね」


「おい。俺は後ろ暗い事なんて何一つしてないからな?」


「はいはい、そーね。よっ、清廉潔白の名探偵」


 茶化すように言って、ようやく茨の口を塞いでいた手を離す雲母。


 これで話は終わり、とはいかない。


 おそらくは、此処からが本題だろう。


 雲母から切り出す前に、茨が雲母の目を見据えて言う。


「他に何かございましたかー?」


「え? あぁ……」


 げんなりした様子で雲母は溜息を一つ吐く。


「いや、昨日の今日で言うのも躊躇われるんだけど……」


「言うだけなら無料タダだぞ?」


「聞くだけなら無料タダだしね」


「つまり何?」


「言ってみなければ分からないし、聞いてみなければ分からないという事だ」


「ああ、そう……」


 やはり面倒くさいと思い、雲母は茨の口を再度塞ぐ。


 塞がれた茨は特に抵抗する事も無いけれど、不満げに眉を寄せる。


 そんな茨に構う事無く、雲母は話しを始める。


「一週間ほど前、珍しく大雨が降ったでしょう?」


「ああ。ワトソン君が傘を忘れたとか言って、俺が送るはめになった日だな」


「それは知らないわよ……。とにかく、その大雨の日。その日に、私の友人が傘を忘れたらしくて、迎えが来るまで友達と数人で学校に残ってたみたいなの。あ、因みに秀星の生徒じゃ無いわよ? 別の高校の話」


「ほうほう」


 何やら思案するような顔をする好。しかし、そんな好を気にする事も無く、雲母は続ける。


「それで、迎えが来るまでの暇潰しにこっくりさんをしたみたいなんだけど……」


「なるほど。その内の誰かがとり憑かれたという訳だな?」


「そう言う事になるわね……」


 困ったように、溜息を一つ吐く雲母。


「なるほど。つまり、君の友人の友人がとり憑かれ、かなり危険・・・・・な状態・・・にある。ついでに言えば、君はそのとり憑かれた友人の友人に会ってきている。だからこそ、話すのに躊躇いがあった、という事であってるかな?」


「そうだけど……私、会って来たなんて言ったっけ?」


「言ってないが、見れば分かる事さ」


 やれやれと肩をすくめて缶コーヒーを飲む。


 その態度にカチンとくるけれど、怒りをぶつけられる立場でも無いので我慢をする。


「君の友人がとり憑かれたにしては君の態度は冷静そのもの。困った様子はあるが、焦っている様子は無い。友人では無くその場に居合わせた誰かがとり憑かれたと考えるのが自然だろう?」


「自然じゃ無いわよ。普通はそんなところまで深読みしないっての」


「深くはない。見ていれば分かる浅い情報を集めたに過ぎないさ。ワトソン君にだって分かる事だ」


 分かったの? と茨を見てみれば、茨はわかんなーいとばかりに肩をすくめていた。


「分かんないって」


「分かろうとしないだけだろう。ワトソン君は普段は手を抜くからな」


「手抜き野郎だってさ」


「そこまでは言ってない」


 てやんでい! ひでぇ事言いやがる! 


 憤慨の意を示すために怒ったように眉を寄せる茨。黙っていても煩い男である。


「それで、私が会って来たのが分かった理由は?」


「それこそ簡単な事だ。君が困っているからだ」


「どういう事?」


「君が友人から事情を聞いただけであれば、そう言う事があったみたいだから会ってみてくれないか、と言えば良いだけの話だ。もしくは、俺が今回の事を君に明かさなかった事を許す代わりに今回の事件を解決してくれ、なんて言っても良かったはずだ。しかし、君は俺達に言うのを躊躇っていた。それは、今回の事件が関わるのが躊躇われる程危険であり、ただ事ではないからだ。それを実感するには、一度とり憑かれた本人に会う他無いだろう」


 どうだ? と視線で問えば、雲母は不満げに一つ息を吐く。


「その通りよ。会って来たわよ。とり憑かれた子に。こう言っちゃなんだけど、明らかに普通じゃ無かったわ……」


 茨の口から手を離し、その時の光景を思い出して寒気がしたのか、制服の上から自身の腕をさする。


「それで、依頼という形で良いのかな?」


「……ええ。詳しい人が居るなら教えて欲しいって言われて、つい……」


 申し訳なさそうな顔をする雲母に、しかし、二人は特に気にした様子は無い。むしろ、二人からすれば好ましい展開だ。


「気にする必要は無い。俺達は怪異探偵。本来であれば、盗撮事件の方が専門外だ」


「人が相手だと、僕は役立たずだからね」


 へらりと笑う茨。しかし、そこに自虐も無ければ自嘲も無い。あるのは、純粋にその事実を受け止めきった者の浮かべる純粋な笑みだけだ。


「人が相手でもワトソン君は役に立つが……まぁ、場合によりけり。そんな場面が無いならそれに越した事は無い。今回もその範疇だろう」


「そーだねー」


「私にはいまいちよく分からないけど……受けてくれるって事で、良いのかしら?」


「ああ、承ろう。むしろ、俺達の方から首を突っ込ませていただく所存だ」


 へらりと安い笑みは変わらず、しかし、その目だけは獰猛に光輝いていた。


 一瞬、その目を見て雲母はたじろぐも、直ぐに覚悟を決めたように眉を寄せる。


「分かったわ。それじゃあ、今日の放課後にその子の家に行きましょう」


「応とも。ワトソン君は用事はあるかい?」


「無い。ひまでござる」


「よろしい。では今日の放課後に。よろしく頼むぞ、烏口」


「それは私の台詞なんだけどね。それじゃあ、放課後にね」


 言いたい事は言った。伝えるべき事は道中に伝えれば良いだろう。そう考え、雲母は二人の教室を後にした。


「さて、心躍る事件の匂いだよ、ワトソン君」


「そうだね、ホームズ。でも、良いの?」


「何がだね?」


「女神様の事」


「ああ。構わないさ。ある程度の仮説は立ててある。後は、協力者から情報が来るのを待つとしよう。事件解決は早急が好ましいが、急いては事を仕損じるとも言うからな」


「ふーん。僕にはよくわかんないけど、ホームズがそう言うならそうなんだろうね」


 好の言う仮説とやらも、茨にはさっぱり分からない。しかし、好の中である程度固まっているのであれば、相棒としてそれを信じるだけだ。今までも、これからも。


「それで、こっくりさんの方は目星は付いてるの?」


「いや、まったく。見てもいない事に仮説は立てられないからな。君こそどうなんだ? 彼女を見て一瞬顔を顰めただろう?」


「別に、ちょっと獣臭かっただけだよ」


「獣臭い、か」


 ふむと一つ考える仕草を見せる好。


 今、好の頭の中では幾つもの憶測が浮かび上がっているのだろう。


 こうなった好の邪魔をするのは憚られる。


 茨はリュックからお菓子を取り出すと、黙々と食べ始める。


 そうして二人の会話が無くなれば、周囲の音にも耳が傾けられる。


「またやってるよあいつら」


「ホームズとかワトソンとか、痛いよなぁ」


「てか、幽霊見えるとか探偵とか中二病拗らせすぎだろ」


 二人を馬鹿にする声。けれど、それもいつもの事だ。


 そういう世界を知らない者からしたら、二人のような手合いは痛々しく見えるのも理解している。そうした気持ちから二人の陰口を叩くのも、理解は出来る。


 しかし、そういった者は大概好のスペックに嫉妬をしている者が多い。


 好は誰がどう見てもイケメンであり、成績も常にトップクラス。運動神経も抜群であり、おまけに喧嘩もめっぽう強い。


 まさに、シャーロックホームズのようなスペック。


 ミステリアスな雰囲気もあいまって、女子の人気も高い。だからこそ、男子のやっかみを買いやすい。


 中学の頃も、そういったやっかみの対象になっていたのを、茨は知っている。何せ、隣で見てきたのだから。


 しかし、当の本人は気にした様子は無い。気にするだけ損だと言って、いつも笑って流している。


 因みに、茨も一緒くたにされているけれど、おまけ程度の扱いである。その見た目から女子からある程度嫌われているけれど、それもある程度の範疇だ。気にならないくらいの範疇なら、気にするだけ無駄なのだ。


 陰口を気にした様子も無く聞き流し、茨は緑地帯でお昼ご飯を食べている五十鈴を見る。


「ん」


 ちょうど茨が視線を向ければ、偶然にも五十鈴の視線とかち合う。


 時間にして一、二秒ほど。


 五十鈴は他の生徒に声をかけられてそちらの方に顔ごと向ける。


 茨もゆっくりと視線を外す。


「なーんか……違和感」


 いつも視ているモノとは何かが違う。


 しかし、その違和感の正体に気付けぬまま、お昼休みは終わってしまった。


 まぁ良いかと思いつつ、判断材料として違和感が在った事を憶えておくことにした。

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