第1章 恋愛お約束条項⑤

 あの日――俺から結婚の報告を受けた日のことだろう。


「結婚の報告をセンパイから聞いて――その場は取り繕うことができました。その場で泣いてもセンパイを困らせるだけですからねー。解散して、一人で歩いてて――もう二度とセンパイと二人でご飯することはないんだなーとか考えたらもう涙が止まらなくって。すっごい後悔しながら泣いて、泣いて――」


「……そして、目覚めたら高校入学前の自分だったと」


「はい。夢じゃないと確信してからは、もうあんな想いはしたくないと思いました。誰より早くセンパイを射止めて離さない所存です」


 ぐっと胸元で小さくガッツポーズを見せる美月。そういうのも可愛いのがかえって面倒くさい。


「そんなわけで実はセンパイにちゃんと気持ちを伝えるのは元の時間軸含めて今日が初めてです」


「そうか。びっくりするほど告白下手だな。頑張れな」


「なぜ!?」


「ビッグウェルカム」


「あう……」


 端的に理由を告げてやると先の会話を思い出したのか美月はよよよとテーブルに突っ伏した。


「……まあ、未来の話は……うん、嘘を吐いてるようには聞こえなかったよ」


 話す内容は審議だが、その態度や熱量、感情……それらが嘘――演技であるならば女優で一生食っていけるだろう。美月の話にはそう思わせる迫力があった。


「じゃあ、タイムリープは設定じゃないと信じてくれるんですね?」


 ぱあっと顔を明るくして、美月。そんな彼女に告げるのは心が重かったが――


「それとこれとは話は別だ。むしろ警戒度が高まった」


「……なんでですか?」


「タイムリープなんてそんな話、現実に信じられるか? 無理だろ。その上で嘘を吐いているようには見えない……君が本心からそれが現実にあったことだと信じているということだ。妄想を現実と本気で思い込んでいる――そう判断するのが普通だろ」


「――そう、ですか」


 敢えて君と言ったのが効いたのか、美月が肩を落とす。


「二度目のタイムリープがあったなら、未来人設定は伏せておくべきだな」


 そう言って手つかずだったマグに口をつける。ブレンドはもうすっかり冷めてしまっていたが、香りと味はいつものマスターが淹れてくれるものだった。


「……私の話が妄想を信じ込んでいるものじゃないと証明できたらどうですか?」


「――え?」


「証明できたら、私とお付き合いしてくれますか? 彼氏になってくれますか?」


「……それとこれとは話が別だろ。けど証明できるのならタイムリープの話を信じるよ」


「……正直、クラス委員長さんが実際に転校して欠員補充の話が出ればセンパイも信じてくれると思うんですけど、センパイに正気を疑われたままで何日も過ごしていたら悲しくてどうにかなっちゃいそうです」


「証明って……そりゃできるならしてくれよ。疑う必要がないなら信じられる。でもどうやって? タイムリープは君の主観だろ? 俺が観測できるものじゃない。証明なんて……」


「私には元の時間軸の記憶だけじゃなく、経験も残っています。私が通常持ち得ない知識や技術を持っていれば、それは未来で得た経験――タイムリープの証明になりませんか?」


 美月はそう言って――右手で自身の胸元を示す。


「……本当にタイムリープをしていなければ持ち得ない技術なら認めてもいい」


「私、まだ十五なので免許こそありませんけど、元の時間軸でセンパイに色々教わりましたので今のセンパイよりバイクを上手に乗りこなせます」


「……それは証明にならないんじゃないか? 君に今まで二輪を扱った経験があれば上手いかもしれないだろ?」


「私がバイクに乗るようになったのは大学に進学してから――センパイの気を引きたかったからです。私の両親に確認してもらえばこの時間軸で私に自動二輪の経験がないことは証明出来ます。さっきも言った通り体は巻き戻っているので体力には自信がないですけど、短時間ならきちんと扱って見せますよ」


「……ジムカーナを始めたって言ってたよな? 大会出場経験とかあったりする?」


「勿論あります。センパイと一緒に」


「クラスは? ノービス?」


「C1級です」


「C1!?」


「大学三年の時に昇級しました。その後は――センパイが卒業しちゃったんで大会出なくなりましたけど。センパイは四年の時にB級でした」


「嘘だろ……」


 ジムカーナのクラスはトップタイムを刻んだ選手とのタイム差でカテゴライズされる。公式大会で年間ポイントを一定数獲得し、かつトップタイムから105%内のタイムを出せればA級、ポイントがなくタイムだけならB級、110%でC1、115%でC2といった具合だ。


 そして美月はそのうちのC1級だと言う。トップ選手とタイム比110%はちょっと練習した程度で出せるタイムじゃない。ジムカーナ未経験の俺には逆立ちしたって無理だ。


「……それがホントなら俺より全然上手いだろうな」


「免許がないので公道は走れませんが、どこか走行できる場所があれば証明できます」


「――……いや、いい。そこまで自信満々で嘘ってことはないだろ。それに『走行』なんてやってる奴じゃなきゃそんな言い回しはしない」


「じゃあ――」


「――めちゃめちゃ胡散臭いけど、タイムリープの件は信じよう」


「良かったです。これで私痛い女じゃないですね?」


 嬉しそうに笑う美月。だが――


「いや全然痛いよ? その上俺の好感度が爆下がり」


「え」


 なぜ? といった表情を見せる美月。


「なぜですか、むしろ一途なオンナとして評価が高まってもいいのでは?」


「そんなわけあるか、お前何してくれてんだよ俺毎日柑奈さんちにバイク駐めに行くんだぞ? こんな話聞かされたらめちゃめちゃ行きにくいわ! あと重い! 物理法則ねじ曲げてタイムリープとか意味わかんない。世界一センパイの伴侶に相応しい、だったか? 世界一重いの間違いだろ?」


「あ……」


 俺がそう言うと美月は額に汗を浮かべ、呻くように言った。


「あ?」


「……愛故に」


「うっさいわ」


 手元のおしぼりを投げつける。


「ふぎゃ……DVはちょっとなら我慢できます」


「お前と家庭を築いた憶えはない」


「では今日から結婚を前提にお付き合いしましょう? 可愛い私が今日からセンパイの彼女ですよー?」


 言って美月はぴんと伸ばした左右の手で口角を上げ、わざとらしい笑顔の形を作って小首を傾げる。


「…………………………………………ないわー」


「私と恋人になったら将来的にこのわがままボディも好きにできるんですよ?」


「わがままボディね……」


 確かにスタイルは良かった。良かったが……彼女の胸部に目を向ける。そこは標準的なサイズに見える。


「わがままなので標準以上に育ってくれなかった?」


「今はこのくらいですが、大人になるころにはもう少し育ちますのでご期待ください」


「お前結構ギリギリの発言するね?」


「ふったのセンパイじゃないですかー。それに私の精神年齢は大人ですよ。今のセンパイよりお姉さんですよ? これくらいは、別に」


「お姉さんなら高校生なんて相手にしなくていいだろ」


「センパイはセンパイですもん。大人っぽくてかっこよかったセンパイが今はなんだか可愛く見えてきゅんきゅんします。好き!」


「はいはいどうも。そんなにがっついてんのになんで今日なんだよ。昨日でもよかったんじゃねえの?」


 美月がタイムリープしたのが入学式の前日、ということは先週だ。そして始業式――二、三年の一学期は昨日から。


「やー、それは乙女的な事情がありまして。私センパイに恋するまでは容姿の手入れとか全然してなかったんですよ。メイク道具も持ってなかったし、髪だってきちんとしてなかったし。お小遣いで買える高校生向けのコスメ買いに行ったり、美容院行ったりしてました」


「……してるのか、化粧」


「リップと、後は肌の手入れ程度ですけど。でも少しでも可愛く見られたいですからねー」


「ふぅん」


「というわけでこのつやつやリップでセンパイへの愛を囁きたいです。私と恋しましょう?」


「ないわー」


「なんでですかー。っていうかセンパイ、お付き合いはできなかったけど私の容姿は褒めてくれてたんですよ? 私可愛くないですか?」


 ぐいっと迫るようにテーブルに身を乗り出す彼女。


「…………いや、まあ、なんだ。うん、一般的に見て可愛い部類じゃねえの」


「いい反応! そっかセンパイまだ女子慣れしてませんもんね。可愛い反応ご馳走様です!」


 急なことに動揺しつつそう答えると、美月はにんまりと笑った。


 と思うと急にそっぽを向いて、


「センパイなんて全然好きじゃないです。勘違いしないでくださいね!」


 …………………………………………?


「押してダメなら引いてみろ的な?」


「お前ほんと告白下手くそな」


「じゃあセンパイがぐっとくる告白を教えてくださいよー。明日やり直しますから」


「自分で考えるもんだろ、そういうのは」


「考えた結果がこれですよー。最初にインパクト与えて気を引いて、あとは軽めのノリでお話しするのがセンパイの好みかなって。私と話してて退屈ですか? 嫌ですか?」


「……内容はともかく、会話そのものは意外と嫌じゃない」


「でしょー?」


 認めたくないが事実だ。嫌々伝えるとむふー、と美月がドヤる。


「センパイの好みは把握済みですよ!」


「好みを把握してるならタイムリープの話なんかせずにもっと普通に告白すれば良かっただろ」


 世界一伴侶に相応しいなどと言い出さず、タイムリープの話もなしに普通に迫られていたら普通に陥落していたかもしれない。それくらいに美月は可愛かったし、会話も楽しめただろう。


 しかし――


「……言わずにはいられませんよ」


 ぽつりと、どこか寂しそうに美月が呟いた。




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