第22話 「おあいそ」はマナー違反なのか?⑥

「そよぎ、スイスの学校は楽しかった?」


 高速道路を走るポルシェの運転席から、紅子はバックミラー越しに後部座席に目をやった。


「うん、色んな国の子と友達になったんだよ」


 海原そよぎは、屈託のない笑顔で答えた。


 小学生ながら向上心旺盛な優等生は、ひと月の海外留学を経てさらに成長したようである。


「でもごめんね、お姉ちゃん。また迎えに来てもらっちゃって」


「いいのよ、どうせ暇だったんだから」


 昨日そよぎの帰国を知った紅子は、空港への出迎えを買って出たのだった。


 昔から、紅子はそよぎにだけは甘いのだ。


「お姉ちゃん、わたしがいない間に喧嘩とかしなかった?」


「してないって。ごくフツーの生活を満喫してたわよ」


「なにしてたの?」


「えーと、そよぎがスイスに出発した日からは…………ああ、ちょうどあの日に事故ったのよね」


「え……事故った……?」


「そうそう、このポルシェで人をはねちゃったのよ。で、そのことでマスコミ共がごちゃごちゃ文句つけてきたから五、六人殴ったの。その後YOUTUMEの動画でわたしを煽ってきたクズがいたから、そいつの家に突撃してボコボコにしてやったわ。あと、2ちゅんでわたしのこと馬鹿にする奴がいたから今度は青森まで突撃して……。その次の日に、紫凰がわたしの家に日本刀持って暴れに来たから、仕返しにあいつのインスタを荒らしてやって、昨日は王我と『おあいそ』についてのレスバトルを……」


「喧嘩してるじゃん! めちゃくちゃしてるじゃない!」


「喧嘩じゃないわ。全部、やられたからやり返しただけよ」


「それでも喧嘩だよ……。もう、お姉ちゃんたら…………」


 そよぎは小さな肩を下ろして、深々とため息をついた。


「お嬢様の事故の件はネット界全域で炎上しまくってた筈ですが、そよぎ様は知らなかったのですか?」


 助手席から尋ねたのはイルカである。


「むこうの学校の寮ではスマホ禁止だったの。着いたその日に先生に預けて、昨日まで返してもらえなかったから」


「ひええっ! じゃあ一ヶ月ネットしてなかったんですか? よく生きてられましたね。普通の人間なら一日スマホに触らないだけで発狂ものですよ」


「それ、あんただけでしょ」


 東京都心まで戻ってきたところで、時刻は十一時三十分となっていた。


「そろそろお昼の時間ですね」


「どっかで食べていくか。ねえ、そよぎはなにか食べたいものある?」


「うーん。久しぶりに和食が食べたいかな、お寿司とか」


「よし、じゃあ寿司にしましょう! スシタローに行くわよ!」


 かくして、紅子とイルカは二日連続でスシタローへ向かうこととなった。




「な……貴様ら、なぜここに……!」


「王我!? またあんたなの!?」


 首都高を降り、手近なスシタロー店舗を訪れてみると、なんとまたしても王我と顔を合わせた。昨日と同じ男達も引き連れている。


「こんにちは、王我さん」


「フン」


 そよぎが丁寧に挨拶したが、王我はろくに目も合わさずそっぽを向いただけだった。


「あんたも二日続けてスシタローなんてね。ひょっとして気に入ったの? 貧乏くさい店とか言ってたくせに」


「そんなわけがあるか。たまたま他に空いている店がなかっただけだ」


「は、どうだか。……そういえば、あんた昨日わたしが送ったTwiterのリプをブロックして逃げたわよね? あれ、わたしの勝ちだからね」


「フン。まだそんな幼稚なことを言っているのか。くだらんな」


「ハア? そんな言い訳で誤魔化そうったって……」


「お姉ちゃん、喧嘩は駄目だよ」


 そよぎに注意され、紅子は渋々席に腰を下ろす。


 座ることになったのは、またも王我達と隣のテーブルである。


「あれ? お湯が出ないですよ?」


 イルカが給湯器のボタンに湯呑を押し当てながら首をかしげていると、店員がお茶を盆にのせて運んできた。


「申し訳ありません。本日、このレーン全体の機械が故障しておりまして、給湯器とタッチパネルは使えないんです。オーダーの際は、私どもにお申し付けください」


 店員は紅子達のテーブルに湯呑を三つ置いたあと、隣席の王我にも同じように告げた。


「ご注文がありましたら、今お受けします」


 店員が慣れない手付きでメモ帳を構え、王我達に尋ねる。


「では、まずタマゴを……」


 王我がそう言った瞬間、紅子はシュバババッと音を立てて顔を乗り出した。


「え、なによ王我。あんた昨日、タマゴなんて寿司の最底辺のネタだとか言ってたじゃん。なになに? やっぱタマゴ食べたいの? ってかタマゴが気になったから今日も来たんでしょ? そうなんだろ? え、おい?」


「ふ、ふざけるな! そんなわけあるか! タマゴを食いたがってるのは連れのこいつらだ! 部下のためにオーダーしてやろうという、オレの気遣いが分からんのか!」


「お、言ったわね。じゃあアンタはタマゴが来ても食べるんじゃないわよ? 隣の席で見張ってるからね、絶対食うなよー! 絶対ねーー!」


「……ぐ、ぐぐ…………」


 屈辱にふるえる王我をあざ笑いながら、紅子は自席に引っ込んだ。


「あー気持ちよかったー! これで今日もわたしの勝ちね!」


「お姉ちゃん……。喧嘩しないでって言ったじゃない……」


「喧嘩なんかじゃないわよ。王我はタマゴ食べたくないって自分で言ったんだもん。さーて、こっちは遠慮なくタマゴをオーダーするわよ。店員さん、ギョク三皿ね!」


「ギョクってタマゴのことだよね? お姉ちゃんも王我さんもタマゴ好きなの?」


 昨日の騒動を知らないそよぎは、不思議そうに首をかしげた。


「まー食べれば分かるわよ。スシタローのギョクは絶品よ。やっぱギョクこそ寿司の王道よねー」


「お嬢様、ギョクって言いたいだけでしょう」


「寿司屋の力量を測るために初めはギョクを頼むのが通で…………ん?」


 紅子は、隣席で王我がスマホをいじっているのに気が付いた。


「王我のやつ……」


「王我さんがどうかしたの?」


「あいつ、なんかわたしをディスってる気がするわ」


「え?」


「分かるのよ。『あ、こいつわたしのことバカにしてるな』って、王我とか紫凰はもう顔見れば分かるわ」


「そういうの、分からない方がいいんですけどね」


 紅子は自分のスマホを取り出して、王我のTwiterを開いた。



 土橋王我@orgablueey

『今日もまた寿司屋で格闘家の炎城寺さんをお見かけしたのだが、席に着くなり“ギョク”だと(笑)。まったく、このような人が大きな顔でグルメ気取りをしているのは見ていてとても恥ずかしいですね。“ギョク”もまた寿司屋の符帳であり、大変失礼な言葉で……』



「あの野郎ぉぉ……! またこんな符帳ネタでわたしをディスりやがって!」


「王我さんって、ネットだとこういう口調になるんだ……」


「どうして五輪一族はリアルで暴れてネットで猫被るんでしょうかねえ」


「ギョクが寿司屋の符帳だってことくらい知ってるわよ! あ、え、て、言ったんだっての! ほんっと下らねーあげ足取りばっかしやがって!」


「あの、お客様……ご注文をお持ちしましたが……」


 怒りにふるえる紅子のもとへ、店員がギョクもといタマゴを運んできた。


「……まあいいわ。しょせん、王我なんてタマゴが食べられない腹いせにこんな嫌がらせしてきたんだし。つまりそれだけ、わたしのタマゴ封じの攻撃が効いてるってことなのよ」


 紅子は気を取り直してタマゴの握りを口にする。


「うーん。やっぱ美味いわスシタローのタマゴ! ほら、そよぎも食べてみなさい」


「もぐもぐ……ほんとだ! タマゴのお寿司ってこんなに美味しいんだね!」


「ね、そうでしょ? 絶品よね、スシタローのタマゴ。あー誰かさんはかわいそうねー! これから一生、こんな美味しいもの知らずに生きていくなんて。たとえ次に一人でこっそりスシタローに来て、誰にも知られずにタマゴを注文して食べたとしても、その行為自体がわたしへの敗北だからね。そんなことやった時点で魂が負けるのよ。負け犬になり下がるのよ。あーかわいそー!」


 紅子の言葉は、当然、隣席の王我へ向けたメッセージである。


「徹底的に王我様がタマゴを食べる道を潰してますね。そこまでしますか」


「ふふん、わたしに喧嘩売ってきたあいつが悪いのよ」


「やっぱり喧嘩なんじゃない」


 ところが、またしても王我は反撃を繰り出してくるのだった。

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