第16話 インスタ戦争⑨
「なんじゃこりゃあああああーーーー!?」
紅子の驚愕の叫びが、炎城寺邸に響きわたった。
「お嬢様、どうしたんですか?」
「し、紫凰のフォロワーが…………二十万までいってる……」
「ええっ。なんで急にそんなに増えてるんです?」
「分かんない……ここんとこ変な写真ばっか上げてるなって思ってたら、なんかそれが凄い受けてんのよ……」
ここ数日、紫凰のインスタは彼女が刀を持った写真や動画ばかりだった。
最新の投稿の説明文には『刀剣三月日宗近』とある。
それを見た菜々香が目を丸くする。
「三月日宗近!?」
「これ、紫凰の親が持ってる日本刀よ。最近は刀の写真ばっか上げてんのよ。意味不明よね」
紅子にとっては意味不明でも、イルカと菜々香には、紫凰の狙いも人気急増の理由も即座に察せられた。
「三月日宗近って、国宝級の刀剣じゃないですか」
「これ、レプリカですよね? まさか、本物なんてことは……」
「本物よ。あいつの親は貿易商で、美術品の輸出とかもやってんだけど、ガチの掘り出し物は客に売らずに自分のコレクションにしやがるのよね」
「し、信じられない……。そりゃあ、こんな写真上げたらフォロワー爆増するのも当然ですよ……」
「なんでよ。国宝級の日本刀つっても、そんなの有難がるのはチャンバラ時代劇が好きな年寄りくらいでしょ?」
「そんなことないですよ。お嬢様はアメリカにいたから知らないのでしょうが、今はゲームやアニメの影響で、若い女性の間でも刀剣が大人気なんですよ」
「え、マジで?」
「まー、お嬢様は日本にいたとしても知らなかったでしょうがね」
「わたしの友達にも、刀剣にハマって博物館とか鍛冶職人の家を巡礼してる子いるんですよ」
などと言いながら、菜々香はなにやらごそごそと、紅子に隠れてスマホを操作している。
「ちょっと、菜々香……。あんた今、shionをフォローした……?」
「え……そ、そんなことは……」
「やっぱしたんでしょ! たかがポン刀のコスプレに目がくらんでわたしを裏切るつもり!?」
「ひゃああ! すみませんすみません!」
紅子のパワハラが菜々香に向いている間に、イルカはここ数日のshionの投稿をチェックし始めた。
「ほうほう。『三月日宗近』に『鬼霧国綱』に『菊十文字』……大したラインナップですねえ。こんな美術品を紫凰様のような美少女が振り回してるんですから、人気が出るのも分かりますね」
「若い女がポン刀持ってるからって、それがなんなのよ。んなもん、バイク雑誌やらミリタリー雑誌の表紙で、オイルも触ったことなさそうな女が形だけポーズとってるのと同じでしょ。そんなオタ媚芸に騙されてんじゃないわよ」
「いえいえ、それとは違いますよ。紫凰様は高校剣道のナンバーワン、ガチで剣の達人じゃないですか。菜々香が言うところの『本物のオーラ』ってやつが伝わってるんですよ。だからこそ、こんな動画も取れるんです」
shionのインスタには、紫凰が国宝級の日本刀を振り回す、いわゆる「殺陣」の動きを撮影した動画も上げられていた。重量一キロを超える真剣を、彼女は細腕で軽々と操り、嵐の如き太刀筋を披露する。
ただ動くだけでなく、実際にその剣技と切れ味を見せつける動画もあった。紫凰は、空中に放り投げた竹を一瞬で切り刻み、直径五十センチはある松の木を一太刀で切り倒していた。
「凄いですねえ。もはや人間技じゃないですよ、こんなの」
「なによそれくらい! わたしにだってできるわよ!」
「いやいや。紫凰様のこの動画は、べつに腕力とか戦闘力を誇ってるんじゃないんですよ。あくまで剣技、剣舞としてのパフォーマンスを魅せているんです。仮にお嬢様が素手で大木をへし折ったとしても『野蛮』『自然破壊』とか言われて叩かれるのがオチですよ」
「なんでよ!? 素手でやるのは駄目で剣で切るのはいいっての!?」
「そこはまあ……日本人の美的感覚といいますか。伝統文化としての日本刀の持つ美しさが、人を魅了するんでしょうね。チンピラが喧嘩で殴り合う図なんて嫌悪されるだけですが、新選組が刀で切り合うシーンはいつの世も娯楽として愛されてきましたから」
「あ、これって『撃滅の刃』の主人公のポーズじゃないですか?」
菜々香が指摘した写真では、紫凰が人気アニメのキャラクターを真似ている。
「おーおー、そっち方面にもアピールしていきますか。抜かりないですねえ。これは、なかなかの知恵袋があちらにも付いていますね」
「知恵袋?」
「この刀剣女子アピールは、これまでの紫凰様のオシャレ路線とは明らかに違いますからね。誰かが助言したんですよ」
「くっそおおお……紫凰のやつ……! イルカ、こっからまた逆転する方法ないの!?」
「うーむ。……ふむ……ふむ……おや?」
「どうしたのよ」
「これ、shionのプロフィールの自己紹介文を見てくださいよ」
【shion】
『学業優先のために、今日を持ってインスタ引退します。フォロワーのみなさん、ありがとうございました』
「は……? なによこれ……?」
「言葉通りですよ。紫凰様はインスタを引退するってことです」
「なんで?」
「学業優先って書いてあるじゃないですか。紫凰様って高三なんでしょう? 大学受験するなら、たしかにもう遊んでられる時期じゃないですからね」
「…………ってことは…………」
紅子はしばし、現状を理解しようと首をひねる。
やがて、弾かれたように笑い出した。
「ってことは、私の勝ちじゃん!」
「ええっ?」
「紫凰はインスタやめて逃げたんだから、これはもう完全にわたしの勝ちよね! そうでしょ!?」
「えーと……はい、まあ、そうですね……」
「いんじゃないでしょうか。お嬢様の勝ちってことで」
イルカと菜々香はとりあえずイエスマンに徹する。
おそらく紫凰の方も自分の勝ちだと思っているだろう……ということは、もちろん考えていても口に出さない。
「なによ紫凰のやつ、国宝だの刀剣だの持ち出して、結局逃げてんじゃないの、ふふんだ。うえーい完全勝利ーー! よし、戦勝祝いに激旨屋のケーキ食べよっと。昨日買ったのがまだ残ってたわよねー」
紅子は上機嫌でキッチンへ向かった。
残されたイルカと菜々香は、呆気に取られて顔を見合わせる。
「……ねえイルカ。紫凰様は、本当にインスタやめたんだと思う?」
「まさか。あれほど承認欲求の強い人が、フォロワー二十万まで膨れ上がったアカウントを手放すわけ無いですよ」
「そうよね、やっぱり」
「まー間違いなく引退詐欺でしょうね。『引退しまーす』って言って注目を集めて、ひと月かそこらでカムバックして『復活しましたー』でまた注目されよう、という狙いですよ」
「それ、お嬢様が知ったら怒るわよね。結局また戦争だー、ってなるんじゃ……」
「大丈夫ですよ。お嬢様がそれまでインスタのことやshionのことを覚えてるはずありませんから。ひと月どころか明日の朝には、もう綺麗サッパリ、脳の記憶から削除されてます」
「あ、そうなんだ……。それならよかった……」
第二次インスタ戦争の危険が回避され、菜々香はほっとため息を付いた。
「イルカ、菜々香ー! ケーキ食べるんだから紅茶入れてよー!」
紅子の声が聞こえ、二人はキッチンへ向かった。
その後、ケーキと紅茶が用意され、紅子は上機嫌で戦勝(と思っている)の宴を堪能するのだった。
「……でさあ、紫凰のやつは昔っから泣き虫でさあ。喧嘩に負けたらすーぐ兄貴に泣きつくのよね」
「へえ。意外ですね」
紅子は他愛のない昔話を語り、菜々香はそれに相槌をうつ。
その傍らで、イルカは珍しく口数が少なかった。
「………………」
イルカは、今回のインスタ騒動における紫凰側の思惑について、考えを巡らせていたのだ。
アピールに日本刀を使うことも、引退詐欺のことも、紫凰の傍にいる協力者が入れ知恵したに違いない。そうすればフォロワーが増える、紅子に勝てる……と。それは確かに嘘ではない。だが引退詐欺については、それ以上の狙いがあったのではないだろうか?
その狙いとは、おそらく『このインスタ戦争を終結させること』。
紅子と紫凰があのまま意地を張り続ければ、戦いはいつまでも終わらない。結果、お互い潰し合って疲弊するだけだ。最悪の場合、五輪一族の内紛へと発展する可能性もある。
紫凰が引退を宣言すれば、紅子は紫凰が逃げたと思い満足する。紫凰は紅子が追い上げてこないことで、諦めたと思い満足する。どちらも自分が勝ったと思いこみ、このインスタ戦争は自然消滅的に終結する。紫凰の側にいる『誰か』は、そこまで見通してこの絵図を描いたのではないだろうか?
「……ふふ、これはお見事ですねえ。あっはっは」
「ハア? 何言ってんのよイルカ」
いきなり笑い出したイルカは、紅子におかしな目で見られるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます