第17話 「おあいそ」はマナー違反なのか?①

【“ぐるマンボウ”さんの投稿】

『そろそろ九月も終わり、だというのに相変わらずお天道様は荒ぶっていらっしゃる。

 この暑さで小生の体が酸味を欲しています。

 ウ〜ン、こりゃあ寿司の気分かな?

 一週間頑張った自分へのご褒美……と言い訳しながらやって来ましたヨ、いつもの店。


 午後七時。

 スタートダッシュに出遅れたせいですでに待ち客が三組、店内合わせて十組か。

 一体この中の何人が本物の寿司の味を知ってるんだか……なんて、ガイドブック片手に並んでる若夫婦を見ながら思っちゃう。


 ヤレヤレ、仕方のないこととは言え年々、ものの分かる人間は少なくなる一方だ。

 「そんなもんはしまっときなさいヨ」

 つい、若者達に注意しちゃう。おせっかい。

 すみませんね。ケドあんたらみたいなのと隣の席になったら寿司が不味くなるってモンで。

 

 三十分少し待って店内へ。

 弟子入り二年目の〇〇君に、カウンターへ案内してもらう。

 大将、こちらにチラリと目をやり、無言で会釈。

 小生もほんのわずかにニヤリと笑う。そうそう、挨拶はこれだけでいい。

 本物のプロと食通の会話ってなあ、こんなもんですヨ。


 〇〇君からおしぼりを受け取りながら、今日の組み立てを考える。

 さてさて、まずは何から攻めようかね?

 イカ? コハダ? アジ? 

 どれも夏にピッタリな涼やかさ。

 けど今日はちょいとひねた一投を…… 』




「うっぜええええええええええええええええぇぇぇええええ!!!」


 紅子はスマホを投げつけた。


 さいわい、投げた先はベッドの上だったので、スマホは損壊することなく転がっただけだ。


「なによこれは!? このサイトは飯が美味いか不味いか語るとこでしょうが! ダラダラダラダラ気色悪いポエム垂れ流してんじゃないわよ! ここはお前の日記帳かっての!」


「だから言ったでしょう。『食べロック』なんて役に立たないって」


 そう言って肩をすくめたのはイルカである。


 今日は炎城寺邸の住人ほとんどが所用で不在のため、紅子とイルカは昼食を外で食べることにした。そこで、かねてより噂を聞いていたグルメサイト『食べロック』を開いてみれば、この有様である。東京の有名レストランのレビューは、どこもかしこも中年親父のお寒い自分語りで埋め尽くされていた。


「ったく、バカバカしい。レビューサイトをブログ代わりに使ってんじゃないわよ」


「今はグルメのレビューサイトも、承認欲求を満たすための場所に成り果てていますからね。有名なレビュアーには信者がついて『いいね』をもらえてチヤホヤされる、という構造はSNSなどのコミュニティと変わりありません。ま、逆に言えば、そういう報酬があるからこそ彼らはせっせと有名店の行列に並び、パチパチ写真を撮ってレビューを投稿してくれてるんですけどね」


「店の情報聞くのと引き換えに、おっさんの自分語りに付き合えっての? やってらんないわよ」


 紅子は首を振って立ち上がった。


「あーあ。良さそうな店があったら行ってみようかと思ったけど、もういいや。いつも通り、国道沿いのスシタローで決定ね」




 二十分後。


 紅子とイルカがポルシェに乗ってやって来たのは、日本一の回転寿司チェーン「スシタロー」である。


「結局ここですか。お嬢様ってスシタロー好きですよねえ。お嬢様の財力なら、毎日でも銀座の一流店で回らない寿司が食べられるでしょうに」


「あーいう気取った店は嫌いなのよ。ご飯食べる時は綺麗な店で早く楽しく食べる方がいいに決まってんのに、あいつらときたら古臭い店でちんたら仏頂面で仕事しやがるでしょ?」


「『でしょ?』 と言われても分かりませんよ。行ったことないので」


 紅子は親戚付き合いなどで、両親に連れられて高級レストランへ行く機会があるが、メイドのイルカはさすがにそんな場には連れて行ってもらえない。


「一生行かなくていいわよ。あいつら名人だ職人だ、なんておだてられてるくせに、唐揚げもフライドポテトも作れないのよ」


「それは作れないのではなく、作らないだけでは。というかそんなもんオーダーしたら、そりゃ仏頂面になりますよ」


 休日の昼時なら満員が当たり前の大手チェーンも、平日の十一時という時間帯ではガラ空きである。二人はすぐ店員に案内され、悠々とテーブル席に腰掛けた。


 他の客は、隣のテーブル席に陣取っているスーツ姿の男達四人だけだ。


「紅子……?」


「えっ」


 先客の男の一人が、声をかけてきた。


 スーツ姿に違和感があるほどに若い、まだ十代だろう男。童顔だが整った顔立ちに赤茶色の目を持つ彼に、紅子も見覚えがあった。


「王我!?」


 紅子や紫凰と並ぶ五輪一族の御曹司、土橋王我である。


 偶然の出会いに、王我は仏頂面で紅子を睨め付けて鼻を鳴らした。


「フン。なんだ、お前はこんな店で飯を食っているのか。質素倹約で結構なことだが、あまり貧乏くさい真似をして五輪一族の名を汚すなよ」


「ハア? わたしがどこで何食おうが、あんたに文句言われる筋合いないわよ。ってゆーか、あんただってここに来てんじゃないの」


 三年ぶりに会った親戚同士が、即座に毒づき始める。


 紅子にとってこの世で一番嫌いな女は紫凰だが、一番嫌いな男はこの王我なのである。


「オレはビジネスの一貫だ。うちの会社でこのチェーン店と提携する案件が持ち上がったから、実力の程を覆面調査に来ただけだ」


「なーにがうちの会社よ。パパに用意してもらったお飾りの役職で社長ごっこなんて笑わせるわね」


「ニートのお前よりマシだ」


「あ?」


 二人は、今すぐにでも取っ組み合いを始めかねない雰囲気をかもし出す。


 王我の連れの、会社の部下らしい男達が慌てて諌めた。


「若、店員がこっち見てますよ。ここで目立ってしまうと覆面調査の意味が……」


「ちっ」


 王我が渋々といった体で矛を収め、テーブル席に引っ込んだ。


「ふん。まあいいわ、命拾いしたわね王我」


 紅子も、とりあえずは黙って座り直した。


「……あの方も五輪一族なんですか?」


 成り行きを見守っていたイルカが小声で尋ねる。


「そうよ。いとこの土橋王我。見ての通りムカつく奴よ」


「土橋王我って、あの土橋グループの若社長ですか。十八歳で土橋グループの会社をいくつも受け継いで、目覚ましく業績を伸ばしてる……とかネットの記事で見ましたよ。お嬢様の親戚だったんですね」


「んなことよりさっさとオーダーしましょ。もうお腹ペコペコよ」


 紅子はタッチパネルを操作し、サーモンと穴子を注文リストに加えた。


「イルカ、あんたは何にするの?」


「では漬けマグロとアジをお願いします」


「ん」


 イルカのリクエストも追加して、紅子は『注文』ボタンを押す。


「ほう、タッチパネルを使えるようになったとはな。白黒のゲームボーイでピコピコ遊んでいた原始人が、ずいぶん賢くなったものだ」


 王我が隣のテーブル席から身を乗り出してヤジを飛ばしてきた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛!?」


「お嬢様、どうどう。落ち着いてください」


「ハッ……。王我、あんたこそ大丈夫なの? あんたみたいな気取り屋は、どうせ回転寿司に入ったの初めてなんでしょ。 オーダーの仕方も分からなくて、内心ビクビクしてんじゃないの?」


「フン、くだらん。この程度のシステム、ひと目見て理解できねば支配者たる資格はないわ」


「へー、じゃあどうして手を洗わないのよ? そこの黒いボタン押して出てくる水で手を洗うシステムなのに、もしかして気付かなかった?」


「も、もちろん知っておったわ! 今やろうと思っていたところだ!」


「若……嘘ですよ……」


 そんな程度の低い嫌がらせの応酬をしている間に、オーダーした寿司がレーンに乗って運ばれてきた。


「もぐもぐ。んー、やっぱりスシタローは最高ね!」


「もぐもぐ。まあ、美味しいことは美味しいですね。それでもやっぱり銀座の店に一度は行ってみたいですけど」


 紅子とイルカは、それぞれサーモンとマグロに舌鼓を打つ。


 隣席では王我がサバを食べていた。


「もぐもぐ。フン、まあこの値段にしては食わせるほうか」


「相変わらず偉そうな上から目線ね。『食べロック』でポエム書いてるおっさんみたいよ、あんた。一人称『小生』に変えたら?」


「貴様は相変わらず馬鹿舌のようだな。そんな脂まみれのサーモンを食って喜んでいるとは。頭同様に舌のレベルも低いのだから、人生が安上がりで羨ましい限りだ」


 とことん不仲の紅子と王我は、食事中でもディスり合わないと気が済まない。これもまた、同レベルの者同士ゆえ発生する争いである。


 だが、そんな王我が急に改まって切り出した。


「紅子。お前、来月の本家のパーティには来るんだろうな?」


「パーティー?」


「本家のお爺様の誕生日パーティーだ。紫凰から招待状は渡されているはずだぞ」


「ああ、あれか。どうしよっかなー」


「必ず来い」


 妙に真剣な口調であった。


「はあ……? 紫凰もあんたも、なんでそんなにわたしをパーティーに来させたいのよ。わたし達って別に仲良しでもなんでもない……むしろめちゃ険悪でしょ」


「フン。お前は何も聞いていないのか」


「は?」


「本家のお爺様……すなわち五輪グループ総帥・五輪六郎太には子供がいない。つまり今現在、五輪グループの後を継ぐ者が存在しないということだ。お爺様は今年で八十歳になるというのにな」


「知ってるわよ、それくらい」


「本家に跡取りが存在しないならどうする? 当然、決まっている、分家の中から選ばれるんだ。とはいえ、すでに分家の家長としての仕事や責任に囚われている大人達の中から抜擢するとしがらみが多い。選ぶなら、その子供の誰かだとお爺様は考えた」


「あー……ってことは、わたしやあんたが後継者候補になるってわけだ」


「そうだ。その選考が始まる時が来たんだ。今回のパーティーは、一族の若手だけを集めてお爺様の八十歳の誕生日を祝うという名目だが、実際には五輪グループ次期総帥の座を賭けた勝負の場、というわけだ」


「なら、わたしが来ないほうがライバルが減っていいじゃないの」


「候補者六人全員が来ないと勝負は延期だ、とお爺様は言ってるんだ」


「ふーん……」


 パーティーの招待状もろくに読んでなかった紅子には、寝耳に水の話だった。


 だが「勝負」と聞けば、紅蓮の瞳はメラメラと燃え上がる。五輪一族の血統、戦闘民族の本能である。


「いーじゃん、面白いわね。本家の跡取りの座なんて興味ないけど、あんたや紫凰をぶっ倒して泣き面にしてやるのは痛快そうだわ」


「パーティーに来るんだな?」


「ええ」


「よし。分かった」


 王我はニヤリと笑って、自席のテーブルに引っ込んだ。

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