第26話 大炎上⑩
「……では、あの事故はあくまで歩行者の女性の飛び出しが原因であり、炎城寺さんに責任はないと、そうおっしゃるのですね?」
ひつじテレビの生放送特番として用意された席で、紅子の語った主張をアナウンサーの男が総括した。
「そうよ」
紅子は断言した。
「ってゆーかさ。警察がそう言ってんでしょうが。なのに馬鹿どもは何をごちゃごちゃ文句つけてるのよ。これ以上言っても理解できないなら、それは日本語がわからないって事よ。小学校からやり直したら?」
生放送のカメラの前で、紅子はふんぞり返る。
「はあ……では、まあ、それはそれとして」
アナウンサーは、冷汗をかきながらも話を進める。
紅子を生放送に出すと決めた時から、これくらいの発言は想定していたのだろう。
「今朝の暴行事件のことについても、お聞きしたいのですが」
「朝っぱらから人の家に押しかけてきて、騒ぎ立てる奴らが迷惑だから殴り飛ばして追い払った。それだけよ」
またも紅子は平然と答える。
同席していたコメンテーターの男が、眉をしかめた。
「しかし、手を出すのは関心できませんな。まずは話し合いをするべきでしょう。気に入らないから殴った、では動物と変わらない」
「あ゛?」
「ひっ……」
紅子に殺意の視線を向けられ、男は小さく悲鳴をあげる。
「はん。あの状況で、わたしが『やめてー』って言えば、あいつらはやめてくれたの? そんな筈がないことは、みんなわかってんじゃないの?」
「たしかに、報道のモラルというのは、度々取り沙汰される問題ではありますね。私個人の意見としても、あのような形で炎城寺さんの自宅に押し掛けて迷惑行為を働いた、記者たちの報道姿勢は大いに疑問であります」
ライバル社を批判するチャンスとばかりに、ひつじテレビのアナウンサーは語気を強めた。
「そうそう、モラルよモラル。あんたは中々見込みあるわね。さすがひつじテレビだわ」
「ありがとうございます」
「ご褒美に、年末にわたしとリア・モンドが対決するスペシャルマッチの独占放送権をやるわ」
「いや……多分そういうことはプロダクションや権利関係者の間で話が付いているでしょうから……炎城寺さんの一存ではどうにも……」
その時、中年女性のコメンテーターが手を上げた。
「確かに、報道陣にも非はあったかもしれません。しかしですね」
「あん?」
「あの報道陣の話では『包丁で刺されそうになった』という報告があるようですが」
スタジオにざわめきが走った。
しかし、紅子はあくまで正義を主張する。
「記者の一人が、うちの庭に不法侵入しやがったのよ? そんな真似されたら、身を守るために武器だって持ち出すに決まってんでしょ。アメリカなら射殺されても当然の事案よ」
「いえ、しかし……。これは、殺人未遂で訴えられてもおかしくないのでは……?」
「あいつが警察に駆け込むかもって?」
「当然でしょう」
「はっ、笑えるわね。……丁度いいから、この番組であの馬鹿に言っときましょうか」
紅子は立ち上がって、カメラを真正面から見据えた。
「おい! みい子の花壇荒らしたゴミクズ野郎、見てるか!? あんたが、さつきを殺人未遂だのなんだので訴える気なら、好きにすればいいわ! それなら、こっちもあんたがうちに忍び込んで、花壇を荒らしたことを訴えるからね!」
スタジオを揺るがす程の大音声で、紅子は宣言した。
コメンテーターの女性も、他の同席者も、啞然として紅子を見つめている。
「殺人だろうが、殺人未遂だろうが、わたしは必ずさつきを守るわ。あんたはどうなの? あんたが器物損壊とか家宅侵入とかで前科くらっても、あんたの会社はあんたを守ってくれるの? わたしと戦争するならよく考えることね!」
そこまで言い放って、紅子は腰を下ろした。
「…………ええと…………あの……その……」
アナウンサーは何と言って取りなすべきか途方に暮れる。
「これ……流しちゃっていいんでしょうか……?」
スタジオの隅で成り行きを見守っていたスタッフの一人が、上司に小声で尋ねた。
「止めたほうが……」
「……視聴率はどうなってるんだ?」
「好評です。二十パーセントいってます」
「なら続行だ」
この場で最高の権力を持つ、局プロデューサーはGOサインを出した。
紅子の隣に座っていたアナウンサーは、ストップがかからないことを知り、ひきつった笑顔で話を繋げる。
「ええ、はい。炎城寺さんの、お話は……はい、ひじょーに、よくわかりました。ですから、もうそのへんで……」
「なに言ってんの。ここからが本番よ」
「え……」
「じゃーん! これは何でしょうか?」
紅子はポケットからカードの束を取り出した。
「それは……免許証、ですか?」
「そうよ。今日、わたしの家に押しかけた記者たちが『たまたま落としていった』のよ」
紅子は免許証の束をカメラに向けて宣言する。
「えー、ですから! ただ今より! モラルを失い、小学生にまで絡んで迷惑行為を働いた、悪徳記者たちの実名と住所を公表しちゃいます!」
「はあっ!? ちょ、ちょっと炎城寺さん! いくらなんでも、それはまずいですよ!」
「何がまずいのよ?」
「そんな事をすれば『報道リンチをリンチしてやる』と考えた人たちが、彼らの家に抗議やいたずらで押し寄せますよ!」
「まさにそれを、わたしはこいつらにやられたんだけど? まさか『自分はやるけど人にやられるのは嫌だ』なんて、ふざけたことは言わないでしょうね」
「しかし……」
「はい、それじゃあ一枚目いきまーす!」
周囲の制止を振り払い、紅子は免許証を一枚取り上げ、声を張り上げた。
「『山田和夫』、四十二歳! こいつは確か、ねずみテレビの記者とか言ってたわね。この野郎は、わたしの家の前にタバコをポイ捨てして行きやがったわ。死ねよ」
紅子は憎々しげに舌打ちする。
「こいつの住所は『東京都品川区△△丁目の〇〇ハイツ2513号室』! は、スカしたタワマンに住んでんじゃないの。おい、聞いてるか山田和夫! あんたの悪行を知ったハイソなご近所さんたちは、明日からあんたをどんな目で見るのかしらね!?」
再び、紅子の大声がスタジオを揺るがす。
「これ……いくらなんでも……プロデューサー……」
スタジオの隅のスタッフが、またも上司の顔色をうかがう。
「視聴率は?」
「三十パーセント超えました……」
「続行だ!」
司会者の男は、必死になって紅子の手を掴んで制止する。
「炎城寺さん! やめましょう!」
「なに言ってんの。まだ一人目の処刑が終わったところじゃない。テレビの前の皆さんも、きっと続きを見たがってるわよ」
「いやいやいや! 駄目ですって! 記者の方々も、今頃きっと反省してますよ!」
「してないわよ」
確信を持って紅子は答える。
「いや、してますって! ですから許してあげましょう!」
「うーん。まあ、わたしも鬼じゃないからね。連中に謝るチャンスをあげてもいいかな、とは思ってるのよ」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「と、いうわけで。救えないクズどもが救われる、最後のチャンスを差し上げます」
紅子は手を叩いて、新たなイベントの開始を宣言した。
「今朝わたしの家に押しかけた連中で、本当に、心の底から反省している人は、わたしのTwiterに謝罪文を投稿しなさい。そこで誠心誠意の反省を示した人は、住所の公開だけはやめてあげます」
「は……?」
「わたしのアカウントは炎城寺紅子@RedFaireよ。制限時間は二十分以内ね。わかった? ……わかったら、さっさとしろ豚ども!」
もはやスタジオの誰もが呆気にとられ、ただ茫然と紅子を見ていた。
「ねえ、そこの人」
急に声をかけられた男性コメンテーターが飛び上がった。
「あんたスマホ持ってんでしょ。わたしのTwiter見てよ」
「………………」
「早く」
「は、はい……!」
男はジャケットの内ポケットからスマホを取り出し、Twiterから紅子のアカウントを検索する。
「えっと……一人、書き込んでいます……」
「誰?」
「え……その、名前は……」
男はカメラを見て逡巡する。
「この放送で名前が出なくても、どうせわたしのTwiter見てる奴には公開されてんのよ。いいから言ってよ」
「……えっと……週間スネークの記者、西岡さんです……」
「なんて言ってるの?」
「『私には妻も子供もあります。家族を守るために、雑誌の強引な取材方針にも従わなければいけなかったのです。許してください』……とのことです……」
「家族のせいにすんな! 不合格よ!」
紅子は免許証の束から、西岡のものを取り上げる。
「晒します! 西岡京治の住所は、『千葉県〇〇町△△△丁目××番地』! これで明日から、村八分決定ね!」
さらに紅子は、カメラに向けて西岡京治の顔写真も突き出した。
「こいつよ、こいつ。汚い報道リンチかまして、その責任を家族に押し付ける二重に卑怯なクズ野郎の顔よ。……で、他には?」
「えっと……星野さんという方が……。この人は、全裸の土下座写真をアップしてます……」
「へえ。どれどれ」
紅子は男の持つスマホをのぞき込む。
「ふうん。きったないデブ中年の裸だけど、なりふり構わない必死さは伝わってくるわね。……いいわ、星野さんは許してあげましょう。わたしって優しいでしょ」
星野智章の免許証を、束から抜いて裏向きによける。
「次は?」
「村上さん。須藤さん。お二人とも、全裸の土下座写真をアップしました」
「真似してんじゃないわよ!」
紅子はテーブルを殴りつけた。
普通の人間が使うことしか考慮されていない木製のテーブルは、いとも容易くへし折れる。
「そうやってすぐ二番煎じ、三番煎じに走るような、芸のない奴がわたしは一番キライなのよ! 二人とも晒す!」
また新たに、二人の生贄の処刑が執行された。
スタジオの隅のスタッフが、またまた上司を振り返る。
「プロデューサー……」
「視聴率は?」
「五十パーセント……」
「続行!」
そんな騒ぎを繰り返しているうちに、制限時間二十分のはるか前に、紅子の手元から免許証は消えていた。
「あらら。手持ちはもう全部片付いちゃったわね。Twiterの方は?」
「……もう、ツイートもありません……」
「じゃあ、これで終わりか。悪徳記者どもは全員滅ぶか、わたしの軍門に降ったわけね。完全勝利」
紅子はカメラに向かってVサインを繰り出し、高らかに笑った。
「あーーーーーはっはっはっは! 面白かった! あははははははははははは!」
「…………」
「…………」
「…………」
「笑えよ」
「……ひっ……! あ、あは……」
「あは、あは……ははは……」
紅子に睨まれた同席者達は、乾いた笑いを絞り出した。
「あはははーーー!!! あーーーはっはっは!!!」
この日、ひつじテレビの生放送特番は、前代未聞の視聴率七十パーセントを記録した。
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