第24話 大炎上⑧

 炎城寺邸の門前に押し寄せた三十人余りのマスコミ達の横暴は、とどまるところを知らなかった。


 大義名分と数の力、この二つを手にした人間は、たやすく暴走する。朝八時という時間帯も、周囲の民家への配慮も忘れ、彼らは大声で怒鳴り、門を乱暴に叩き続けていた。


 その暴徒の眼前に、紅子は堂々と姿を見せた。


「来た! 炎城寺紅子だ!」


「カメラこっち、速く!」


「炎城寺さん、あの事故について……」


 紅子は、押し寄せる彼らに最大音声で一喝する。


「その前にっ!!!」


 その迫力に、記者たちは一瞬で静まり返った。


「牛駒新聞の記者は誰? まず、その人に会いたいわ」


 記者たちの間にざわめきが広がる。


 一人の男が、意気込んで進み出てきた。


「私です! こちら、牛駒新聞です!」


「そう、あんたが」


「はい!」


 独占インタビューが出来るとでも思ったのか、ホクホク顔で唇の端を釣り上げている。


「お前、よくもフェイク……じゃなくて、偏向報道でわたしのことディスってくれたな」


「え……」


 紅子の拳が、男の顔面を真正面から直撃した。


 牛駒新聞の記者は、鼻血を吹き出しながら凄まじい勢いで飛び、後ろの群衆を巻き込んで地面に倒れ込んだ。


「な……な、な……」


「え、あ……」


 周囲の人間も、殴られた本人も、すべての者が呆気に取られていた。


 彼らにとって、取材対象がこんな行動に出たことは前代未聞の出来事だったからだ。


「殴った! 殴ったぞ!」


「格闘家が、一般人を殴った!」


 ようやく事態を認識した記者たちが、口々に喚き立てる。


「炎城寺さん! あなたは今、自分が何をやったか……」


「うるさいわね」


 詰め寄ってきたテレビレポーターの左頬を、紅子はまた殴りつけた。


「がっ……あ、あ……」


 悶絶したレポーターが、マイクを落として地面にうずくまった。


「自分が何をやったか、って? 小学生をいじめたあんたらに言われたくないわよ」


 紅子は、今度は自分から目の前の群衆に向かって進み出る。


 手近に立っていた肥満体の男の胸ぐらをつかみ、持ち上げた。


 紅子とは身長差三十センチ以上、体重差四十キロ以上あるだろう男の両足が、たやすく宙に浮いた。


「ひ、ひいいい……」


「な、なんて奴だ……信じられない…… !」


「なにが『信じられない』よ。人に喧嘩売って、反撃されないと思ったの? 調子に乗って迷惑かけても、殴られないと思ったの? 甘いのよマスゴミども!」


 紅子は持ち上げた男を、地面に投げつけて叩きつける。背中を痛烈に打ち付けて、男は声も出せずにのたうち回る。その顔面を、紅子は容赦なく踏みつけた。


「……野蛮人が……これだから……」


 その声は、群衆の一番後ろから聞こえた。


 紅子は、即座に声のした方向へ突進する。


 人の群れを異常な力でかき分け、逃げ出そうとしていた声の主を捕まえた。


「だからー、甘いんだって。そうやって、隠れてコソコソ悪口言って、すぐ逃げ出せば安全だと思ったの? わたしの恐ろしさが、まだ分からないの?」


「ひ、ひえ……ごめ、ごめんな……」


「死ね」


 紅子の拳が、男のみぞおちを撃ち抜いた。


 男はこれまでの人生で味わったことのないだろう、地獄の激痛にまみれ、泡を吹いて倒れた。


「さ、次に殴られたいのは誰?」


 紅子は周囲を見回す。


「わ、私たちには……日本には、報道の権利と自由が……」


「そうだ、あなたのやってることは言論弾圧だ……」


 後ずさりながら、記者たちはもごもごと紅子を非難する。


「じゃあ、その権利と自由は、わたしと戦って勝ち取りなさいよ。わたしに勝てたらインタビューでもなんでも答えてやるわ」


 紅子がそう言ったところで、記者たちの誰一人向かっていこうとするものはいなかった。


 その紅子の様子を、数十台のカメラは当然捉えている。


 そんなカメラのうちの一台が、突然、撮影者の手から取り上げられた。


「ほう、高そうなカメラですな。私にはカメラのことは良くわからんが、一流メーカーのハイグレード品なのでしょう」


 重蔵だった。


「え……。おい、返せよ! なんだお前!」


「メーカーの技術者たちは泣いておるでしょうな。丹精込めて作り上げた製品が、こんな輩に使われてしまうのですから」


 重蔵は撮影データの入ったSDカードを抜き取って二つにへし折り、カメラを地面に叩きつけた。レンズが割れ、フレームが修復不可能なレベルで歪んだ。


「こ、壊しやがった! このジジイ!」


「どうせ、下世話な写真ばかり撮っていたのでしょう。こんな時間に人の家に押しかけて、登校中の小学生を取り囲んでフラッシュを浴びせるなど、下衆にもほどがある」


「我々には報道の権利が……!」


 そこまで喋ったところで、男は紅子の蹴りを喰らって吹き飛んだ。


「ひ、ひいいいいい!」


 数分前まで、我が物顔で炎城時邸の門前を占拠していた記者たちは、もはや完全に恐慌し、我先にと逃げ出し始めた。


「なにビビってんのよ弱虫ども! あんたらに出来るのは権利だ自由だ喚くだけ!? 殴り合いの一つもできない雑魚が、新聞だのテレビだの看板持ち出して偉そうにしてんじゃないわよ!」


 そう紅子が叫んだときには、もう周囲にほとんど人はいなくなっていた。


「紅子様」


 さつきがやって来た。


 片手で見知らぬ男の襟首を捕まえて引きずっている。もう片方の手は、当然のように包丁を握ったままであった。


「さつき。そいつはなに?」


「この男、裏門の塀を乗り越えて、庭に侵入しておりました」


「ちっ、そりゃもう泥棒と変わんないわね」


「しかもその時、みい子の育てていた花壇を踏み荒らしています」


「………!」


 紅子の紅蓮の瞳が、男を鋭く睨みつけた。


 だが、男はいまだに自分の状況を理解していないのか、尊大な態度で不満を漏らす。


「お、おい離せ……包丁を下ろせ……。たかがアサガオだの、ヒマワリがなんだよ……俺には報道の権利が……」


「いかがいたしますか、この男」


「刺せ」


「はい」


 さつきが、包丁の先端を男の胸に定めた。


「え……、そ、ほ、本当に……? やめろ! やめてくれーーー!」


 包丁を握った腕がゆっくりと振りかぶり、そして振り下ろされる。


「うわあああああああ!!!」


 刃先が胸に当たるかどうかの瀬戸際で、無我夢中で暴れまわった男が拘束を振りほどいた。


「お、おかしい! こいつら狂ってる! マジで殺される! 助けてええええええーーーーー!!!」


 男はそのまま、絶叫しながら全速力で逃げ出していった。


「追いますか?」


「………もういいわよ。あんなのほっとけ」


 紅子は改めて周囲を見回す。


 もはや門前に、いや、炎城寺邸の周りに誰一人として人の気配はない。


「裏門の奴らも追い払ったのね、さつき」


「はい」


「じゃあ、これでおしまいか。まったく歯ごたえのない連中ね。いや、わたしが強すぎるだけか、ふふん」


 紅子は満足して屋敷へと戻っていく。


「さつき、本気で殺すつもりだったのか?」


 重蔵が聞いた。


「まさか。狙ったのは心臓の反対側ですし、刺さっても肋骨で止まる程度の力しか使っていませんよ」


「つまり、血が出ていてもおかしくなかったということか」


「そうでなければ脅しになりませんからね」


 メイド長、九条さつきは平然と答えた。

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