第23話 大炎上⑦

 次の日。


 いつもの十倍増しで湧いてくるアンチと深夜までTwiterで煽り合っていた紅子が目覚めたのは、朝八時前だった。彼女にしては遅い時間である。


「紅子様。おはようございます」


「おはよ。……また、なんかあったの?」


 リビングルームには、さつき、重蔵、はじめ、菜々香がいた。学校に行っているのであろう、みい子を除けば、全員集合である。和やかな団らんの空気でないのは、すぐに分かった。


「ですから、紅子様はまだお休みです……!」


 さつきが、インターホンに向かって声を荒げていた。


「誰か来たの? こんな時間に」


「取材らしいですよ。新聞やら、テレビやらの」


「はあん?」


 紅子がインターホンを覗き込むと、マイクやカメラを抱えた大量の男たちが、押しのけ合い、わめきながら群がっている姿が見えた。画面に写っているだけでも十人、声と雰囲気から察するに、二十人以上はいるのだろう。


『炎城寺さん、牛駒新聞です! 事故について話してください!』

 

『そこにいるんでしょう、炎城寺紅子さん! いまのお気持ちを聞かせてください!』


『ねずみテレビです! 今回の事故について一言コメントをお願いします!』

 

『聞いているんでしょう。隠れてないで説明責任を果たしてください! あなたには真実を語る義務があります!』


『うさぎテレビです! 矢島さんを脅迫して偽証させたという噂は本当ですか!?』


 彼らは次々にわめきたてる。


「なによこいつら……! こんな朝っぱらから、人んちの前で喚いてんじゃないわよ!」


「一時間くらい前からこの調子なんですよ。お嬢は寝てるって言っても、十分おきにインターホン鳴らして、まだ起きないのか、早くしろって……。門の前、ちらっと見てきましたけど、三十人はいましたね」


 はじめが説明した。


「牛駒新聞とか言ってる奴、昨日フェイクニュースかましてわたしを叩きやがった新聞じゃないの! よくもノコノコ顔出せたわね、図々しい!」


「あれはフェイクニュースというより、偏向報道といった方が正しいんですけど。……まあ、昨日のあれが受けて、味をしめた連中が群がってきたんでしょうね。炎城寺紅子を叩けば新聞が売れる、って思ってんすよ」


「ひどい……」


「チッ!」


 紅子がインターホンに向かって拳を振りかぶった。


 当然、さつきが止める。


「壊さないでください、紅子様。インターホンの電源を切ればいいだけですから」


 それで、ひとまずは取材陣の喧騒は消えた。


 とはいえ、門の前にはまだ彼らが群がっていることに変わりはない。


 テレビをつけると、『炎城寺邸前から生中継』というタイトルで、まさに今、紅子の家の門前に立ったレポーターが、何やら喋り散らしていた。


「情けない連中だ」


 重蔵が吐き捨てるように言った。


「いまさら、マスコミの礼儀やモラルがどうこうなどと言おうと思わん。だが、少なくとも彼らはジャーナリズムのプロフェッショナルだったはずだ。それが、あんなジャスティス仮面のような三流アマチュアが作り出したムーブメントに扇動されて、利用されるとはな。こんなザマでは、新聞やテレビがネットに負けて斜陽となるのも当然だ」


「けど、どうするんですか。あの人たち、きっとお嬢様が対応するまで帰りませんよ」


「…………」


 その時、ランドセルを背負ったみい子がリビングルームへ入って来た。


「お、おじょうさまぁ……」


「みい子? あんた、学校へ行ったんじゃなかったの?」


 みい子の目には涙が浮かんでいた。


「それが……お家から出ようとしたら、門の外のカメラを持った人たちに止められて……」


「!?」


「あの人たち……みい子が学校に行くって言っても、通してくれなくて……。おじょうさまは悪者だ、呼んでこないと……みい子もきょうはんの悪者だって、そんなこと言うんです……」


「なんて奴らだ……!」


「酷すぎるわよ!」


 はじめと菜々香は憤慨する。


「………………」


 紅子は何も言わなかった。すでに『憤慨』などという感情を通り越していたからだ。


 電話が鳴った。


「紅子様」


 応対したさつきが紅子を呼んだ。


「今度はなによ」


「矢島様からお電話です」


「春奈さんから?」


 受話器を受け取った紅子の耳に、春菜の緊迫した声が飛び込んできた。


『炎城寺さん、その……テレビのニュース見ました。なんだかマスコミが炎城寺さんの家に押しかけてるみたいで……。それに、炎城寺さんが私を脅迫したとか、とんでもないデタラメが流れていて……』


「そうね」


『なんでこんな馬鹿げた噂が……私がちゃんと証言したことが、どうしてこんなふうに捻じ曲げられてしまっているんでしょうか……』


「そのほうが面白いからでしょ。ぎゃあぎゃあ喚いてる連中は、わたしと春奈さんが和解してめでたしめでたし、なんて結末を望んでないのよ」


『ひどい……。私、もう一度ちゃんと話します。炎城寺さんは悪くない、中傷は止めてくださいって、新聞でもテレビでもきっぱり伝えますから!』


「やめなさい。そんなことしても無意味よ」


『でも……』


「下手なことすれば、攻撃の矛先が春奈さんの方にも向くことになるわ。だから、大人しくしてなさい。入院中でしょ。わたしのことは気にしなくていいから」


『それじゃあ、炎城寺さんが可哀想です……!』


「可哀想? 誰が?」


『え……』


「これから可哀想な目に合うのは、外にいるマスコミどもの方よ」


『炎城寺さん……?』


「まあ、とにかく。春奈さん、あんたは病室のテレビで見てなさい。この炎城寺紅子に牙むいた馬鹿が、どれだけ悲惨な目に合うか。全国生中継で教えてあげるわ」


 紅子は電話を切った。


「重蔵、インターホンの電源を戻して」


「はい」


 重蔵がスイッチを入れると、即座に門前のマスコミの姿が映し出される。その勢いと嬌声は治まることなく、むしろますます熱狂を増していた。


「おーおー、馬鹿どもが。今のうちに逃げ出していりゃよかったのに」


『炎城寺さん! 隠れてないで出てきてください!』

 

『貴女には真実を語る義務があります!』


「うるさいわね。いま出て行ってやるわよ。……みい子、ちょっと待ってなさいよ。すぐに門の前のゴミをお掃除して、学校に行けるようにしてあげるからね」


 紅子は拳を鳴らしながらドアに手をかけた。


「え……お嬢様……行くんですか」


「そうよ。そうしないと、この騒ぎは収まらないんでしょ」


「でも、あの……明らかに、インタビューに答えに行きますって、感じじゃないですよね……」


 菜々香が戦々恐々と声を震わせる。


「紅子様」


 さつきの声に、紅子は振り返る。


 いつの間にか、さつきの手には光る刃物――包丁が握られていた。


「なによ、さつき。止める気なの」


「いいえ。私も『掃除』に行きます」


「そう。じゃあ、あんたは裏門に回って。どうせあっちにもマスコミが押し寄せてんでしょ」


「かしこまりました」


 さつきは、リビングルームの奥のもう一つのドアへ向かった。その先の廊下には、裏門へ向かう勝手口がある。


「え、あの……九条さん? なんで包丁持ったまま行くんですか!?」


 菜々香は慌てて声をかけるが、さつきはまったく聞いていない。


「さつきもとうとうキレたか」


「あの人がマジギレすると、お嬢より怖いんですよね」


「ええっ!?」


「紅子様とさつきだけに任せてはおけん。俺も行こう。はじめと菜々香は、みい子と一緒にここで待っていろ」


 重蔵も立ち上がった。


「じゃあ重蔵はわたしと一緒に来て。あんたの得意技を、思う存分披露してやりなさい」


「あれですか。あまりやりたくはないのですがな。まあ、この状況では、しかたありませんか」


 紅子と重蔵は、正門へと向かう。


「黒須さん!? なんで黒須さんまで!? どうして誰も止めないんですか!? ねえ、ちょっと!」


 菜々香だけが、ひとり困惑し続けていた。

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