第22話 大炎上⑥
紅子が矢島春奈と話をした翌日。
事故について、警察の見解が発表された。
「事故の原因は歩行者の不注意。矢島さん自身がそう証言しました。それに現場検証からも、車側の信号が青だったことは確定的とのことですから、紅子様が刑事責任を問われることはありません。お互い、民事訴訟で争う気もありませんから、これで一件落着です」
さつきが炎城寺邸の面々に総括を伝えた。
だが、それを聞いても重蔵は渋い顔のままだった。
「一件落着か……。まだ、そう楽観はできんと思うがな」
「どういうことですか?」
「ネットの炎上が止まらんのだ。いや、ますます酷くなっていると言っていい」
リビングルームに置かれた共用パソコンに表示されているネット世論は、いまだにほとんどが紅子を非難し、中傷する内容であった。
「どうしてこうなってんのよ。わたしが悪くないって警察の会見は、テレビでも流れたじゃないの」
紅子が愚痴る。
「その会見自体も非難されてます。警察上層部に圧力が働いた……などと」
「はあ?」
「要するに、お嬢が金と権力で事件を捻じ曲げて、矢島さんにも警察にも嘘の証言をさせている、っていう陰謀論が蔓延してるんですよ」
「ふざけんな! どこのどいつよ、そんなことほざいたのは!」
「ネット中のあちこちで言われてますが……まあ、火元はあいつでしょうね……」
はじめが誰のことを言っているのか、聞くまでもなかった。
紅子は渋々、ジャスティス仮面の動画チャンネルを開く。
案の定、今日も仮面の男は、紅子を叩く動画を投稿していた。
『矢島さんは、あくまでも飛び出したのは自分であり炎城寺に責任はない、と言い張っています……けど、こんなの嘘に決まってますよね。自分で自分が悪いなんて言うわけないですよ』
『これは陰謀ですね。意識が戻ってから警察の事情聴取までの間に、炎城寺による脅迫があったのでしょう。それか、金銭を口止め料として受け取ったのでしょうか?』
『いずれにしろ矢島春奈は、真実を隠蔽して炎城寺に取り入ったわけです! こんな事が許されるのでしょうか!?』
ジャスティス仮面の攻撃は紅子だけでなく春奈にまで及び、視聴者のコメントもそれに追従していた。
“矢島氏ね”
“金で魂を売った豚女w”
“炎城寺も矢島も糞”
「こいつっ……! 春奈さんのことまでディスりやがって!!!」
「おやめください、紅子様。ここでパソコンを破壊しても、なにもなりません」
拳を固めて振りかぶった紅子の腕を、即座にさつきが掴んだ。
「なんなのよ、これ……! 矢島さん自身が、お嬢様は悪くないって言ってるのに、どうして、こんなこと言われないといけないのよ!」
大人しい菜々香も、さすがに耐えかねたように声を荒げた。
「くそったれの仮面野郎が……徹底的に抗議してやるわ!」
動画にコメントを打とうとした紅子を、今度ははじめが止めた。
「だから、駄目ですって。ここでお嬢本人が動画に絡んだりしたら、それこそアクセス数が激増して、こいつは大喜びですよ」
「…………くそっ!!!」
紅子はソファに乱暴に腰を下ろした。
「はじめ、そんな動画はさっさと閉じなさい。それより、マスコミのニュースではどのように報道されているのですか」
「それが……」
はじめが、今度は新聞社の公式ニュースサイトを開いた。
だがそこでも、事件のことは『大富豪の令嬢』である紅子が『外車』で『シングルマザーの女性』を跳ねた、という背景ばかりを取り上げ、事故の詳細や警察の見解はほとんど載せていなかった。
そしてコメント欄は、当然のように紅子批判一色であった。
『貧乏人を轢き殺しても特権階級は罪に問われないらしい』
『警察まで買収されたか』
『炎城寺は政財界のドンである五輪一族の傍流の家系。警察に圧力かけるくらい簡単だろうな』
「なんですか、これは……。どう見ても、紅子様を叩く意図で編集したとしか思えない内容ではありませんか。これは牛駒新聞が運営しているサイトでしょう」
「大手マスコミも、いまや炎上狙いでアクセス数を稼ぐ時代だ。こういうネタならネット民は食いついてくる、と分かっているんだろうな。実際、その通りなわけだ」
重蔵の解説どおり、紅子関連の報道記事は、他のどの記事より群を抜いてPV数もコメントの数も多かった。
「ちっ! どいつもこいつも、馬鹿ばっかね!」
「そうは思いたくありませんがな。目立たずとも、良識的な人間も少なからずいるはずです。ただ、弱い犬ほどよく吠える、がこの上なくあてはまるのがネットの世界でしてな」
「おっ。重蔵、あんたいいこと言ったわね」
「はい?」
紅子はニュースサイトのコメント欄を表示して、キーボードを叩き始める。
「ちょっ……。お嬢様、コメント書き込むつもりですか?」
「そうよ。ここまで馬鹿にされて、黙ってられるわけないでしょうが」
『弱い犬ほどよく吠えるな馬鹿ども!』
「よしよし、これはなかなか煽り効果高いわね。重蔵、褒めてつかわすわ」
「そういうつもりで言ったのではありませんが……。まあ、それで紅子様の気が済むのでしたら」
とはいえ、紅子の怒りがこれだけで収まるはずもなく、さらなる追撃の一手を思案する。
「うーん、他になんか煽れる言葉ないかしら」
「『そんなことして楽しいですか』って聞くのはどうですか、おじょうさま。クラスの男子がラインいじめしたときに先生が言ってましたよ」
みい子が提案した。
「いいじゃん、それ。採用よ」
『ゴミが頭悪いくせに評論家気取りで偉そうにほざいてやがるな! バーカバーカ! 賢いつもりでドヤ顔で語ってることが、全部ネットで洗脳された言葉の受け売りかよ。低能は本当にワンパターンでマジうけるなカス!!! そんなことして楽しいですかwwwwwwwwwww?』
「おお、いい感じに仕上がったわ。さすが教師は言うことが違うわね」
「先生はここまでひどいこと言ってません……」
菜々香が、困惑してさつきを見る。
「あの……止めなくていいんですか?」
「まあ、匿名で書き込むぶんには、さほど問題はないでしょう」
紅子が立ち上がった。
「さてと。部屋に戻ってTwiterもチェックしないと」
「は?」
「Twiterって……この状況で……。お嬢様のTwiterなんて、無茶苦茶に荒らされてるに決まってるじゃないですか……」
「だからチェックするんでしょうが。そいつらにも徹底的に言い返して、煽ってやらないと」
リビングを出ようとする紅子を、さつきが慌てて止めた。
「紅子様……まさか、今書き込んだ『ゴミ』だの『バカ』だの『低能』だのを、実名のTwiterで発信するつもりですか……?」
「するわよ」
紅子は平然と言ってリビングを出ていった。
「…………はあ」
さつきはソファに座り込んだ。
「救いはないのでしょうか……」
悲壮感に溢れたさつきの言葉に、重蔵が答えた。
「ある意味、救いだな」
「え?」
「この状況で一切うろたえない紅子様の、あの鋼鉄の神経がある意味救いだ」
「……あの子にまともな神経があれば、そもそもこんな炎上は起こっていなかったと思いますけどね」
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