第19話 大炎上③

 炎城寺邸の固定電話が鳴った。


 対応した菜々香が、紅子に要件を告げる。


「お嬢様、警察からです。明日、事故の現場検証をするので立ち会ってほしいとのことです」


『警察』『現場検証』といった単語に、さつきたちは身を固くする。やはり今回の件はただ事ではないのだ。


 だが、当の紅子は涼しい顔であった。


「はいはい明日ね。分かったわよ」


 ショッピングにでも行く約束をするような口調で答えた。


「紅子様、おそらく現場検証には野次馬やマスコミもやって来るでしょう。く、れ、ぐ、れ、も、言葉にはお気をつけください」


 さつきが、これでもかと念入りに注意を促した。


「下手な嘘や誤魔化しは、後々立場を悪くするだけですからね。聞かれたことには、素直に、正直に、答えるのですよ」


「はいはい。正直に本当のことを言えばいいんでしょ。もとからそのつもりよ」




「わたしは悪くない」


 警察との現場検証を終えた紅子は、マスコミの前で開口一番、堂々と断言した。


「は……?」


 事故現場に押し寄せた、百人を超える取材陣と野次馬たちは、みな一様に呆気にとられていた。


「だから、わたしは悪くないって言ってんでしょ」


 紅子は繰り返す。


「それは、完全無罪を主張する、というわけですか……?」


 新聞記者の一人が尋ねた。


「当たり前でしょ。わたしに事故の責任は一ミリもないんだから」


 たとえそう思っていたとしても、実際そうだとしても、普通の人間ならそれなりに申し訳なさそうな態度のひとつも見せるものである。しかし残念ながら、そのあたりを忖度できる常識というものを、紅子は持ち合わせていない。


「信号は青だったし、わたしはちゃんと左右確認してから発車した。スピードも出てなかった。それなのに、あのバカ女が飛び出してきてぶつかったのよ」


「ば、バカ女……!?」


「バカでしょ。あそこの『とびだしきんし』って看板が見えないの? 小学生でもお行儀良く守る交通ルールを守らないで、勝手に車に飛び込んで勝手に怪我するなんて、バカとしか言いようがないじゃない」


「し、しかし……事故に遭われた女性は意識不明の入院中で……」


「さっさと起きて、わたしの無罪を証言しろっての。ほんと、鈍くさい奴ね」


「!?」


 百人のマスコミと野次馬たちがどよめいた。


 テレビレポーターの女性が、マイクを持って進み出た。


「あの……情報によると、あの女性は二人の幼い子供を抱えたシングルマザーらしいです。事故当時は、パートの帰り道だったんです」


「それで?」


「彼女は子供たちを養うために、そうとう苦労をされていたようです。仮に、炎城寺さんの仰る通りだとしたら、事故は生活の疲れによって注意が散漫になっていたことが原因では、と思われますね」


「だから何よ?」


「この女性は身を粉にするほど必死に働いて、どうにか子供を育てているシングルマザー。かたや、炎城寺さんは何不自由ない裕福な暮らしをして、その若さで高級外車を乗り回しておられるわけです。このことを踏まえても、事故に遭われた女性にかける言葉は、変わりありませんか?」


 明らかに、紅子から狙った発言を引き出すための質問であった。しかし残念ながら、それに気付く知能を、紅子は持ち合わせていない。


「わたしが金持ちで、あいつが貧乏だからなんだってのよ。あの女が周りもろくに見ずに飛び出す、バカだってことに変わりないわよ。入院する羽目になったのも自業自得ね」


 紅子は平然と言い放った。




 

『悲劇の交通事故 犯人はポルシェに乗った十八歳』

 

『炎城寺選手 高級外車で暴走 被害者は意識不明』

 

『加害者に反省の色なし』

 

『現代社会の闇 ポルシェで暴走する十代の犠牲になったシングルマザー』

 

『被害者二児の母 パートの帰り道で』

 

『世界チャンピオンが発言“貧乏人は死ね”』


 

「なんなのよこれは!」


 紅子は新聞を丸めて床に叩きつけた。


「なんでわたしが『加害者』であの女が『被害者』って確定してんのよ! 警察はまだ何も言ってないし、そもそもわたしは悪くない! 悪いのはあっちでしょうが!」


 リビングルームのソファの上で、じたばたと手足を振り回す。地団太を踏む、というやつである。


「それになによ!? わたしがポルシェに乗ってて、相手がシングルマザーだったからって、それが何なのよ! 事故には一ミリも関係ないことでしょうが! このクソ馬鹿どもがああ!!!」


「馬鹿はあなたです!」


 喚き散らす紅子に、さつきが一喝した。


「なによ! さつきまでわたしが悪いって言うの!?」


「悪いですよ! どうしてよりによって、テレビカメラの前であんな事を言うのです! ネットの悪口合戦とはわけが違うのですよ!」


「本当のことを言っただけでしょうが!」


「あなたはデブを見たらデブと言うのですか!? ハゲを見たらハゲと言うのですか!」


「言うわよ!」


「どうしてあなたはそんなに頭が悪いんですか!!!」


 紅子とさつきの言い争いを、菜々香とみい子は戦々恐々と見守っている。


 見かねた重蔵が止めに入った。


「そのへんにしておけ、さつき。もう今更騒いでもどうにもならん。こんな時に、お前まで冷静さを失ってどうする」


 最年長者にたしなめられ、さつきは渋々口を閉じた。


 重蔵は、今度は紅子に向き直る。


「紅子様。今回の炎上は、これまで紅子様がSNSや掲示板でちまちまと喧嘩していたようなものとは、規模が違うということだけはご理解ください。いまや、日本中の敵意と好奇が、紅子様に集中しているのですから」


 リビングルームのテーブルには、重蔵が購入してきた数誌の夕刊が広げられていた。どの新聞社も、紅子の交通事故と今日の発言について大々的に取り上げている。


「これ以上事態が悪化すると、紅子様個人の問題では済まなくなってきます」


「はあ? どういう意味よ」


「旦那様や会社の名誉に関わるということです。……既に、五輪グループの上層部では、旦那様を糾弾する意見が出始めているのですよ」


 五輪グループは炎城寺家が属する日本最大の財閥組織である。紅子の父親ですら、五輪グループの中では総帥の顔色をうかがう幹部の一人にすぎない。


「なんでわたしの事故でパパや会社が叩かれるのよ。関係ないでしょうが」


「関係があることにしたい人間というのが、大勢いるのです」


「はっ、馬鹿みたいね。たかだか交通事故ひとつにムキなってさあ。ま、雑魚共にとっては無敵のわたしを叩く、数少ないチャンスってことなんでしょうけど……」


「あの」


 スマホでSNSのトレンドを見ていた菜々香が、顔を上げた。


「どうしたのよ菜々香」


「入院してる人の意識が戻った、って言ってますよ」


「被害者の女性のことですか」


「だからあの女を被害者って呼ぶな。被害者はわたしの方よ」

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