第18話 大炎上②
『炎城寺選手 ポルシェで交通事故』
『堕ちた格闘王』
『炎城寺ネットのみならずリアルでも暴走』
『とうとう人を殺した炎城寺紅子』
『死体は今ごろ東京湾の底か』
SNSのタイムラインは、そんなツイートで埋め尽くされていた。
「なんなのよこれは!?」
「紅子様……。数時間前から、インターネットはこの話題一色ですよ」
憤る紅子に、重蔵が説明した。
「殺したとか、死体とか、なに言ってんのよこいつら! あの女は生きてるっての! まあ、意識不明だけどさ……」
救急車が到着した後、紅子は病院まで付き添って、医者から倒れた女性の容態を聞いた。外傷は軽く擦りむいただけだが、失神した彼女の意識は戻らず、いつ目を覚ますかは分からないとのことだった。
その後、警察に事の顛末を説明し、とりあえず本日のところはご帰宅ください、ただし必ず連絡がつくようにしておくこと……と注意を受けた上でようやく炎城寺邸に戻って来てみれば、この有様である。
「やはり紅子様が車の運転をするなど、お止めするべきでした。私の責任です」
さつきが苦悶の表情を浮かべる。さすがの彼女にも、紅子が免許を取ったその日に人身事故を起こすなどとは想定外だったようだ。
「ああ……旦那様と奥様にどう顔向けすればいいのか……」
「く、九条さんのせいじゃありませんよ! 旦那様も分かってくれますって!」
「そうすよ。そもそも、今までお嬢が少年院にも精神病院にも行かずに生きてこれたのは、九条さんがいたからですよ」
「九条さんががんばってたこと、みんな知ってます!」
菜々香、はじめ、みい子の三人が、自責するさつきを慰めていた。
現在、炎城寺邸に住み込んでいる使用人五人は、リビングルームに全員集合していた。よりによって、紅子が人を轢いて犯罪者になるかどうかの瀬戸際なのだから、まさに非常事態である。
「てゆーかさ、おかしくない? 事故があったのは今日の夕方よ。あれから三時間かそこらしかたってないのに、なんでもうこんなに情報が拡散されてるのよ」
紅子は首を傾げた。
「そうですね。新聞やテレビはまだ何も報道してないのに、ネットだけ情報が早すぎる感じです」
菜々香も同意する。
「それは、こいつのせいです」
重蔵が忌々し気に言いながら、パソコンを操作して、ある動画サイトを開いた。
動画のタイトルは『格闘チャンピオン炎城寺紅子、ポルシェで暴走。人身事故で女性死亡』。投稿者のハンドルネームは『ジャスティス仮面』であった。
「うげ……こいつかよ……」
投稿者の名を見たはじめが、重蔵と同様の反応を示した。
「なんなの、こいつ」
「『ジャスティス仮面』……自称、炎上系ジャーナリストとかいう野郎ですよ」
「やたら面白い名前ね。ふざけたやつだわ」
「面白くも何ともないすよ。『炎上系』を自称する奴なんて不愉快な連中ばかりですが、こいつの胸糞悪さは別格です」
はじめが吐き捨てるように言った。良くも悪くも淡白な性格のこの少年が、これほど嫌悪感を露わにすることは珍しい。
重蔵が動画を再生すると、「はいどーもー」という挨拶とともに、仮面を被った男が現れた。
『こんにちは、ジャスティス仮面でーす! えー、今回は緊急生放送ってことでね、つい先程、とんでもない大事件に遭遇にしちゃったんですよ! なんと、あの格闘技の全米チャンピオン・炎城寺紅子が、人身事故を起こす現場を目撃しました! さっそくVTRをどうぞ!』
その後流された動画は、先ほど紅子が女性を跳ね飛ばし、駆け寄ったときの映像そのものであった。
「これ撮ったのあいつじゃん! あのコンビニの駐車場から、スマホでビデオ撮ってたやつだわ!」
「それじゃあ、このジャスティス仮面の素顔を見たんですか?」
「いや。スマホを顔に掲げてたし、マスクもしてたから、どんな顔かは分からなかったけど」
「……見られないように、隠したんでしょうね。他人のプライバシーには土足で踏み込む癖に、自分は絶対に名前も顔も晒さないのが、こいつのやり方ですから」
『……というわけで、この人確実に炎城寺紅子さんですよね。本人のTwiterでも、ポルシェ買ったって言ってますし。それにしても怖いですねー、この人。人を轢いといて、スマホで救急車を呼ぶ素振りも見せないんですもん。きっと、事故を隠蔽できないか考えていたんでしょうね。噂以上に悪質な性格のようです』
「わたしはスマホ持ってないんだよ! お前の方こそビデオ撮ってるだけだったろうが!」
紅子が抗議するが、もちろんパソコンの画面の中の相手には、何の影響も与えない。
『炎城寺が、事故の目撃者である私の口を封じようと襲い掛かって来たので、この先の顛末はまだ未確認ですが、正義のジャーナリスト・ジャスティス仮面はこの件を徹底的に調査していくつもりです! 続報を入手しだい動画を上げていきますので、みなさん、“いいね”とチャンネル登録をお願いしまーす!』
ジャスティス仮面は最後にそう締めくくり、動画は終了となった。
「紅子様が事故を起こして、二時間後にはもうこの動画がアップされております。これが火付け元となって、諸々のSNSや掲示板に拡散され炎上したわけです」
「ちっ。なにが正義のジャーナリストよ。単に面白がってはやし立ててるだけじゃないの」
紅子は動画のサムネイルに表示された、悪趣味な仮面を睨みつける。
「この男は、一応はフリージャーナリストの名目でブログや動画をやっていますが、その実態はただのネットリンチ扇動家ですよ」
「どんなことしてるの?」
「……口にしたくもありませんがな。こいつは京都の世界的に有名な景勝地で、樹齢五百年の神木の枝を折る動画をアップしたことがあります。『庶民の血税が腐りかけた大木一本に注ぎ込まれることに物申す』などとほざいて。当然、管理者からは猛抗議を受けたが、実態すら怪しい市民団体と結託して屁理屈だらけの反論を繰り返し、最終的には管理者は根負けして有耶無耶のまま許されてしまった」
重蔵に続いて、はじめも口を出した。
「『レストランで食事中にゴキブリが大量発生した』って記事で店の実名を公表して、閉店に追い込んだこともありますよ。そのときのゴキブリってのが、どう考えても自然発生する量じゃなかったし、そのシーンをあまりにもタイミングよく動画に収めたことを考えれば、明らかにマッチポンプ……ジャスティス仮面本人が仕込んだことだってわかります」
「『ジャスティス』などと名乗っていますが、この男にとって、これらの行動にはひとかけらの正義感も信念もありません。ただ目立って、注目されて、名を売って、アクセス数を増やすためだけに、他人の生活を破壊し、中傷し、追い詰めて嘲笑っているのです」
「なんでそんなことするのよ……。そこまでして動画やブログのアクセス数を稼いで、なんか意味があるの?」
ネット歴三か月の紅子には、理解不能の領域だった。
「金になるからですよ。現代では、動画だろうがブログだろうが、ネットで人を集めれば、広告を掲載して収益化する手段が存在します。そして、人を集める一番手っ取り早い方法が、炎上商法というやつなのです」
重蔵が動画のコメント欄を指し示した。
そこには彼の言葉通り、ジャスティス仮面の報道に追従する者たちの書き込みが、数百を超えて表示されていた。
『炎城寺がとうとう犯罪者になったなwww ざまあwwwww』
『外車乗ってる奴は全員豚箱にぶち込めよ』
『被害者wwww これ死んだでしょwwwwww てゆうか死んでたほうが炎城寺の罪が重くなっていいわw』
『救急車呼ぶ素振りなしwwww 死体隠蔽する気かwwwww?』
『死刑確定』
「こういう愚劣極まりない連中が、数千人単位の取り巻きとなってジャスティス仮面を持ち上げ、一大勢力を築いているのが現状なんです」
「しかし、この男を批判する意見もかなりあるようですが?」
後ろから画面を見ていた、さつきが口をはさんだ。
たしかに、コメント欄には、ジャスティス仮面の態度に苦言を呈する書き込みも少なくない。
だが重蔵は、ため息を付いて首を振った。
「賛同だろうが批判だろうが、アクセス数に換算すれば同じプラス1だ。インターネット社会の構造上、注目されコメントが付けば、その内容が是か非か関係なく、トレンドラインに上がってまた人を集める。この正義漢達も、結局はいいお客さんでしかないということだ」
「はあ。先日の、紅子様の小説がランキング1位になったのと一緒ですね」
「一緒にするな」
「……ニュース関係のサイトを見ていると、事あるごとにこいつの起こした炎上事件を目にして不愉快になる。なるべく関わらぬように、目をそらしていなければならないのが煩わしいわ」
「俺もです。迷惑行為だ、問題発言だ、とタイムラインにこのにやけた仮面が登場するたびに、うんざりしますよ」
炎城寺邸の男二人は、とことんジャスティス仮面を嫌っているようだ。顔を見合わせて、うんうん、とうなづき合っている。
「この仮面野郎がそんなに嫌な奴なら、どうして見て見ぬ振りするのよ。正々堂々文句言ってやりなさいよ」
「いや、だから。そうやって構えば構うほど、こいつの売名に協力することになるんですよ」
「なによそれ……」
なんという理不尽な世界だ、と紅子は嘆く。
悪者とは戦って、懲らしめて、それでめでたしめでたしではないのか。リアルの喧嘩なら、こんなジャスティス仮面のようなウスラデブ、一撃で沈めてやれるのに……。
紅子はつくづく、インターネットと相性が悪い。
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