第13話 黒歴史ノートがあらわれた①

「おっし……と。これでだいたい片付いたかな」


「あー疲れたあ……」


 炎城寺家の使用人、蜂谷はちやはじめと美星みほし菜々香ななかは、そろって額の汗をぬぐった。


 目の前には、狭い部屋に整然と片付けられた家具や衣類、その他諸々の雑貨類、そしてポリ袋に詰め込まれた大量のゴミがある。メイド長である九条さつきの命令で、二人は炎城寺邸の物置を整理していたのだ。


「それにしても、凄いゴミの山ね。どれだけ放ったらかしにされてたのよ、この部屋」


「たぶん、まともに掃除したのは五年ぶりくらいじゃないかな」


 菜々香の疑問に、はじめが答える。


 二人はどちらも十代後半の若手だが、菜々香はまだ務め始めて数ヶ月の新人である一方、はじめはもう七年この家に住みこんでいるのだ。


「あとは、これだけね。お嬢様の私物」


 菜々香が傍らのダンボール箱に手をかけた。


 箱の中には、物置から出てきたお嬢様――すなわち紅子の小学生時代の教科書やノート、文房具などが詰まっている。


「もういらないとは思うけど、思い出の品だから勝手に捨てないほうがいいわよね」


「思い出ねえ。お嬢にそういうものを大事にする感情なんてあるんだか……ん?」


 なにげなくダンボール箱の中を物色していたはじめが、一冊のノートを手にとった。


 それが、『こくご』『さんすう』などと書かれた他のノートとは違うことは、ひと目でわかった。表紙に書かれた題名が『炎のまじん スカーレットの伝説 作:えんじょうじ紅子』だったからだ。


「…………」


「これって……」


 二人は恐る恐る中を開く。



『スカーレット 天界からついほうされたてんしの血を引くゆうしゃ』


『100まんどの炎をしょうかんしててきをたおす』


『ひっさつのファイナルファイアーカイゼルパンチはじげんをこえるパワー』



「うわあ……」


「ひえ……」


 予想通り――というより予想を超えるシロモノが飛び出してきて、二人は息を呑んだ。


「これは……あの、黒歴史ノートってやつだよな……」


 誰しも子供の頃には、頭の中で考えた空想の世界を紙に書き出して遊ぶ時期があるものだ。子供の戯れといえば微笑ましいが、それを大人になってからふとした拍子に読み返すと、そのあまりの幼稚さ、荒唐無稽さに恥ずかしくて身悶えすることになる。それが黒歴史ノートの悲劇と呼ばれる現象である。


 とはいえ、恥ずかしいのは本人限定の話であり、第三者がこのノートを見つけた場合は、たいてい他人事であるのをいいことに好き勝手笑うのが常である。


「ぷふっ……く……」


「あは、あはは……」


 はじめと菜々香も例外ではなかった。


「お嬢も、こんなの書いてた時代があったんだなあ。ぷぷっ」


「『も』ってなによ。はじめ、さてはあんたも……ふっ……はは……」


「……いや……にしてもすごい量だな、これ。百ページ以上ぎっしり書き込まれてるぞ」


「こういうのって、小学生なら普通二、三ページ書いたら飽きておしまいになるもんだけどね」


「お嬢は昔から集中力が異常だったからな」


「ねえ、次のページめくってよ」


「おいおい。あんま読むとお嬢が可哀想だろ……」


 と言いつつ、はじめも手を止めずページをめくる。


 だが、その時。


「なに読んでるの?」


 不意に背後から声をかけられ、二人は飛び上がった。


「う、うわあ!」


「お嬢様!」


 あろうことか、紅子本人が立っていたのだ。


「二人で笑ってたみたいだけど、なんか面白いものあったの?」


「い、いえ! 何でもありません!」


 菜々香は高速で首をブルブルと振った。


「はじめ、その手に持ってるノートなによ?」


「こ、これはただのゴミですよ!」


「そ、そうです! ゴミです! 見ないほうがいいです!」


 はじめは慌ててノートを隠そうとするが、そんな動きを紅子が見逃すはずがない。


「んなこと言われると余計気になるでしょ。見せなさいって」


「あっ」


 目にも止まらぬ速さで紅子の手が伸び、はじめが気付いたときには、もうノートは奪われていた。


「ん? 『炎のまじん スカーレットの伝説』……?」


 ノートの表紙を見た紅子は、訝しげに眉を寄せた。


 そのままノートを開き、パラパラとページをめくる。


「…………」


 紅子の様子を、はじめと菜々香は戦々恐々と見守っていた。


 もし紅子が羞恥のあまり爆発し、このノートを読んだ二人を「記憶が飛ぶまで殴る」などと言い出したら、即座に逃げ出すつもりであった。


 だが。


 紅子はざっと最後までノートに目を通したのち、明るい声で言った。


「なつかしい、昔わたしが書いた小説じゃない! これ自信作だったのよね!」


「え……」


 怒りでも恥じらいでもない、予想外の反応であった。


「ねえ、二人とも。これ読んだんでしょ?」


 とてつもなく恐ろしい質問を投げかけられ、二人は回答に窮する。


「え、いや。その……」


「どうだった?」


「え」


「面白かったでしょ?」


 紅子は紅蓮の瞳を輝かせて無邪気に尋ねる。


「あ、はい! 面白かったです!」


 二人は高速で首を縦に振って肯定した。


「うんうん、そうでしょ。あのね、この主人公のスカーレットは、わたし自身がモデルなんだけど、天界から追放された堕天使が勇者になって戦うっていうのが、斬新だと思うのよね!」


 紅子は嬉々として『スカーレットの伝説』の設定を語りだした。


「……で、この必殺技『ファイナルファイアーカイゼルパンチ』は敵のボス『ガオモン皇帝』と闘いのなかで進化して一億度の炎をまとうようになるんだけど、そのときの威力が星を貫いて……」


「…………」


「……ってかんじで、ライトニングサンダーが仲間になるのよ! どう、面白いでしょ?」


「あ……はい……」


「ふふふ、わたしって小説家の才能もあるのかしら。自分の天才が怖いわー」


(さ、さすがお嬢様……)


(常人とはメンタルの構造が違う……)


 二人は唖然として、目の前でノートを片手に語る紅子を見つめていた。




「今からわたしの傑作『スカーレットの伝説』の発表会をするわよ!」


 リビングルームに集った四人の使用人達の前で、紅子は高らかに宣言した。


「結構です」


 他の者が断る口実をあれこれと思惑するなか、堂々と拒否したのはさつきである。


「ちょっと、なんでよ。絶対面白いんだから。聞きなさいよ」


「ニートのあなたと違って、ここにいる皆は仕事で忙しいのですよ。そんなものに付き合ってる暇はありません」


 もしこの場にみい子がいれば、多少なりとも興味を持ってくれただろうが、あいにく彼女は学校で勉学に勤しんでいる時間であった。


「なによ。さつきまでパパたちと同じこと言って」


 紅子は不満げに頬をふくらませる。


「え……パパたちって……あの、もしかして、お嬢様……。その黒れ……じゃなくて小説を、旦那様たちにもお見せしたんですか……?」


 菜々香が尋ねた。


「そうよ。さっきスカイプでパパとママに連絡して、朗読会やろうとしたの。なのに読み始めて五分もしないうちに、仕事が忙しいからー、って切りやがったのよ。まだスカーレットが天界から追放されるプロローグの部分でよ!? ひどい親よね!」


「あ……いや……は……そう、ですね……」


 親の前で黒歴史ノートの朗読会をやるという常軌を逸した発想に、菜々香は心の底から恐怖していた。


「紅子様。フランスはまだ早朝なのですよ。時差というものを考えませんと」


 炎城寺家の家令、黒須くろす重蔵じゅうぞうが当たり障りのない言葉で取りなした。紅子の父親、すなわち炎城寺家の当主は、母親とともにフランスへ長期出張中なのだ。


「むうー……」


 なおも不満げな様子の紅子に、菜々香が提案する。


「あの、お嬢様。そんなに黒れ……小説を発表したいなら、ネットに投稿してみたらどうですか?」


「ネットに?」


「はい。自作の小説を投稿して、みんなに読んでもらうってサイトが、ネットにはいっぱいありますよ。『ビクシプ』とか、『小説家であろう』とか」


「へー、そんなのあるんだ」


 紅子は最新技術や流行文化というものにとことん疎い。


「ネットなら、それこそ何万人って人に見てもらうこともできますし。もし人気が出たら、出版社から本を出さないかってオファーが来ることもあるんですよ」


 それが実現する可能性は兆に一つもないだろうが……とは、もちろん皆思っていても口に出さない。


「面白そうじゃん! よし、そうしよっと」


 紅子は意気込んで立ち上がった。

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