第12話 アカウントバレにはご注意を③

 天馬が「アサミ」に再び顔を出したのは、それから三日後の夕方だった。


「で、話はついたんですか」


 イルカはいつものインスタントコーヒーとは違う、一杯五百円のドリップコーヒーを運んでくる。天馬が「アサミ」の営業時間中にやって来たのは、初日以来であった。


「まあな。徹底的に締め上げたら、親父も俺の妨害してたことを白状したよ」


 やはり真実はイルカの推測通りであった。


「それで、どうなったんですか?」


「三日かけて散々言い争って、途中でお袋も、親父の会社の役員も、家の使用人も話に割り込んできてな」


「みんな天馬くんが小説家になることに反対したんですね」


「そうだ。よく分かるな」


「そりゃ常識的に判断すればそうでしょう」


 天馬には間違いなく文才があるが、それでも空峰グループの跡取りの座を放棄することと釣り合いが取れるはずはない。


「俺としては、跡継ぎは妹がいるんだから問題ないだろうと思ってた。けど、その妹がな……」


「妹さんがどうしたんですか?」


「あいつとは一年ぶりに会ったんだが、顔見るなり泣き出してな。『お兄様、お願いです。帰って来てください』って言われたんだ」


「頭大丈夫ですか。兄貴を『お兄様』なんて呼ぶ妹が、現実に存在するわけないでしょう」


「いるんだよ。俺の妹はそう呼ぶんだよ」


「天馬くんの妹ってことは、もう十代後半でしょ? それが、お兄ちゃんいなくて寂しくて泣き出すとか、やっぱり妄想癖があるんじゃないですか」


「だから本当だっての。俺の妹はそういう奴なの」


 天馬はあくまでも、可愛い妹の存在を主張する。


「……まあ、それでだな。結局、一時休戦しようってことになった」


「休戦?」


「俺は家に戻る。親父は俺の仕事の邪魔をしない。とりあえずは、それで様子を見ようってことだ」


「ふむ。お父さんとしては、とにかく実家に縛り付けておけば、お母さんや周りの人達の期待に負けて、そのうち跡を継ぐ気になってくれるだろう……って思ってるんでしょうね」


「ま、そんなところだろうな」


「それで、どうするんです?」


「帰ることにしたよ。小説家としてやってくにも、東京にいたほうが何かと都合がいいしな」


 どこかほっとしたような、穏やかな口調だった。強がってはいても、本心ではこの男も実家が恋しかったのかもしれない。


「光弾出版の件はどうなったんですか?」


「もちろん親父に言って手を引かせた。そしたらすぐに、やっぱり書籍化させてくれって連絡が来たよ。前に連載打ち切りになった英秋社からも、また書かないかって誘われた」


 父親が邪魔さえしなければ、やはり天馬は引く手あまたの俊英のようだ。


「それで『今さら謝っても遅い! ざまあ!』って言ってやったんですか」


「んなこと言ったら完全におかしい人だろ。『よろしくお願いします』って丁寧に返事したさ」


「そうですか。なら結局、二冊も本を出せるわけですね。それなら、胸を張って家に戻れますねえ」


 金持ちのお坊ちゃんが夢を追って家出して、何も掴めず出戻ればただの笑いものだ。だが天馬は見事に成功したのだから、堂々の凱旋というわけだ。


「……お前のおかげだな、千堂。いろいろと、本当に助けられたよ」


「そうでしょう、そうでしょう。これが千堂イルカの実力です。すべてはわたしの功績ですよ」


「ちょとは謙遜しろよ……まったく……」


 そう言いながらも、天馬は愉快そうに笑った。


 小一時間雑談をして、天馬は席を立った。


「今日中にアパートの部屋を整理して、明日の朝一で引っ越すつもりなんだ」


「じゃあ、会えるのは今日が最後ですね」


「そうだな」


「天馬くん、『へんたいランドセル』さんからの依頼も忘れずに仕上げてくださいよ」


「分かってる。そっちの方の仕事も続けていくよ」


 会計をした天馬を見送るために、イルカは店の外まで一緒に出た。


 日は沈み、あたりはすでに薄暗くなり始めていた。


「本が出たら、お前にも一冊渡すよ。この喫茶店に送ればいいよな?」


「いやあ……それがですね。わたしも、この店でのバイトは夏の観光シーズン限定だから、そろそろ期限切れなんですよ」


「なんだ、そうだったのか。その後どうするんだ?」


「特に決めてませんね。今度はわたしが職探しですよ」


「……行くあてがないんなら、俺のところに来るか? うちは無駄にでかい屋敷でメイドも何人か雇ってるから、お前一人くらい口をきいてやれるぞ」


「それはありがたいですけど…………」


 イルカは少しだけ考えて、首を振った。


「ま、やめておきましょう。今さら天馬くんを『お坊ちゃま』なんて呼ぶのも気持ち悪いですからね」


「ははは、確かにな」


 イルカと天馬は声を合わせて笑った。


「けどまあ、いつかはわたしも東京に戻るつもりなので」


「そうか。じゃあ……いつかまた会えるかもな」


「はい。また、いつか」


 そして、天馬は去っていった。




 天馬の姿が見えなくなっても、しばらくイルカは路上にたたずんでいた。


「うーん。ちょっと寂しいですねえ……」


 風が吹いた。まだまだ猛暑がふるう九月初頭の夜風だが、今のイルカには妙に肌寒く感じた。


「ううっ、冷える……。夏もそろそろ終わりだと実感しますよ……」


 あと一週間の契約期間が終われば、イルカはこの「アサミ」を出て次のバイトを探さなければならない。イルカの図太い神経を持ってしても、根無し草の逃亡生活はなかなかに辛いものだった。


「天馬くんはお家に帰れていいですねえ。わたしも、そろそろ炎城寺邸に戻りたくなってきましたよ」


 イルカは東の空を見上げた。この三百キロ先には東京があり、炎城寺邸があり、そして紅子がいる。


「いい加減、お嬢様のお怒りはとけたんでしょうかね?」


 今夜は久しぶりに紅子のTwiterをチェックしよう。そう考えながら、イルカは店に戻っていった。

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