第14話 黒歴史ノートがあらわれた②

「えっと、これが『小説家であろう』のサイトです。で、こっちが『ビクシプ』です」


 紅子は、自室で小説投稿サイトについてレクチャーを受けていた。


 教師役はもちろん菜々香である。これまで紅子と二人で話す経験がほとんどなかった菜々香は、ぎくしゃくと動きが固い。


「べつに、そんなに緊張しなくてもいいのよ」


「あ、はい……」


 菜々香が抱いている感情が、緊張というより狂人と二人きりになる恐怖だということに、紅子は気付いていない。


「えーと、それで……『ビクシプ』に投稿される小説はどっちかっていうと女性向けなので、お嬢様の場合は『小説家であろう』とか『コクヨム』の方がいいんじゃないでしょうか」


「なんでよ? わたしだって女よ」


「いえ、女性向けってのは作者の性別というより、読者が女性って意味で……その……腐女子向け、というやつで……」


「ふじょし、ってなによ」


「知らないんですか……」


「なによ、ハッキリ言いなさいよ」


「その……男同士の恋愛を書いた小説です……」


「………………は?」


 紅子は、菜々香の発言の意味がまったく理解できなかった。


「なにそれ?」


「ですから、男性同士の恋愛小説のことを……腐、と呼んで……」


「恋愛、じゃなくて友情の間違いでしょ?」


「そういうのもあります」


「ふーん。じゃああれね、『宿命の対決』のアルとオームみたいなやつね」


 紅子はお気に入りナンバーワンの漫画の名前を出した。


「あ、はい。そうですね。わたしも『宿命の対決』は好きです。オーアルクラスタは今でも一大勢力のひとつですよ」


「クラスタ? 勢力?」


「えっとジャンル、みたいな意味で。推しというか、二次創作とか書いてる人がたくさんいるんです」


「二次創作って?」


「それも知らないんですか…………。原作を好きなファンが、そのキャラクターたちのお話を自分で考えて、小説や漫画を作ることです」


「ふーん」


「まあ、そういうわけですから。この『ビクシプ』は二次創作の腐系がメインなので、お嬢様のオリジナル小説はやはり『あろう』のほうが……」


「あんたの小説は?」


「え」


「菜々香。あんたもこのサイトに、その二次創作ってのを投稿してるんでしょ? でなきゃそんなに詳しいはずないもんね」


「え、その……はい。まあ……」


 急に鋭く突っ込まれて、菜々香はつい正直に答えてしまう。


「なんてタイトルなの?」


「ええっ!? まさか、読む気なんですか!」


「当たり前でしょ。あんただってわたしの小説を読んだじゃない。ならあんたも公開しないとフェアじゃないわ」


「そ、それは……だって……」


「なによ。あんたはわたしの小説を許可なく読んだくせに、自分のを読まれるのは嫌だっての?」


「わ、分かりました……でもちょっとだけですよ」


「オーケー」


「読んでも笑わないでくださいよ」


「オーケーオーケー。早く見せなさいって」


 菜々香が『ビクシプ』の自分のページを開いた。


 そこには『なな』というハンドルネームのもと、二十作程度の短編小説が投稿されていた。


「ふーん。これがあんたの小説かあ。凄いじゃん、こんなに書いてんだ……あ、でも一作ごとの文字数はあんま多くないのね」


「基本、二次の短編しか書かないので」


「『撃滅』に『闇バス』……これが二次創作って奴か。あ、『宿命の対決』もあるわね」


「あの、もういいですか。そろそろ終わりにしてください」


「アホか。まだタイトルしか見てないでしょうが」


「でもお……恥ずかしいですよぉ……」


 菜々香はくねくねと体を揺らす。


 そんな菜々香を無視して、紅子は『宿命の対決』の二次創作小説を開いた。


「どれどれ。えーと、最初は前書きか……」



『まえがき:わたしが中学生の時に凄く落ち込んでいた時期があり、その時に読んで元気をもらえたのがこの作品です。二人の主人公アルとオームには、生きる希望と夢を教えられました。あのとき……小さな世界の、小さな教室の隅で、小さなわたしが見上げた灰色の空――それは、アルのいなくなった村で、オームが見ていた空と、同じ色をしていたのかもしれません。あれから四年たった今でも、わたしの心の本棚の一番前に並ぶ、大好きな漫画です。そんな本作への愛を、この小説に込めました』



「きゃー! わたし、なんか自分語りしちゃってる! 恥ずかしい! これ書いたのわたしなの!? どうしてこんな自己陶酔してるのよ! やめてーーー!」


「うるさいわよ」


 急にハイテンションで騒ぎ出した菜々香を放って、紅子は本文を読み始めた。


「…………」


 だが。


「…………は? なによこれ!? エロ本じゃない!」


 紅子は顔を真っ赤にする。怒りでなく羞恥の感情でそうなることは、紅子にとって極めて珍しいことである。


「あんたエロ本書いてんの!? しかも、なんでアルとオームが男同士でセックスしてんのよ! ホモじゃないこれ!」


「ほ、ホモとかエロ本とか言わないでくださいよ。腐女子向けってそういうものなんです」


「はあ!? ホモの小説読んで喜ぶとか馬鹿じゃないの!」


「ば、……馬鹿にしないでください。そういうのが好きな人もいるんです……てゆーか、女なら二人に一人はそうですから」


「んなわけないでしょうが! 女の二人に一人が同性愛者なら、世界からとっくに人間はいなくなってるわよ!」


「同性愛者じゃないです。BL……その、ホモが好きなだけです」


「ハア……?」


 紅子には菜々香の発言はまったく意味不明だった。


「ですから、このBLというジャンルは、そういう文芸なんです。エロとかそういうのじゃありません」


「なにが文芸よ。ただのエロ本のくせに」


「そうやってBLを馬鹿にするのはやめてください」


「『宿命の対決』を馬鹿にしてんのはあんたの方でしょうが。なにが作品への愛よ。こんなもん愛じゃなくて性欲でしょ」


「違います。純粋な作品とキャラクターへの愛の表現です」


「いやいや。ってゆうかさ、あんたマジで『宿命の対決』読んだことあんの? アルには恋人のエルフの女の子がいるでしょうが」


「あの二人がはっきり付き合ってるって描写はありません。オーアルクラスタ内ではあれの存在は無視するのが暗黙の了解です」


「オームだって別にホモじゃないでしょ」


「オームがあのエルフを誘拐するエピソードがあるでしょう。あれは、アルのことが好きだから、アルと仲良くしてたエルフが気に入らなかったんです」


「いやいやいや。それ違うから。普通にアルを殺すための人質だから」


「解釈違いですね。自分の解釈が人と違っていても決してそれを押し付けてはいけないっていうのは、二次創作での基本ルールですよ。表現の自由は尊重しないとだめです」


 いつのまにか、菜々香は紅子に対する恐怖も忘れてベラベラと喋り出す。


「なーにが表現の自由よ! ネットでその言葉使ってる奴らの本音はみんな『エロ本が読みたい』ってだけじゃないの!」


「そ、そんな汚らしい人種と一緒にしないでください! わたしは真摯に『宿命の対決』という作品を愛して、真剣にこの小説を書いたんです!」


「じゃあ、あんたはこのエロ小説を親の前で朗読できるのね!? 後ろめたいことがないならできるはずよね!?」


「できるわけないでしょう! あなたみたいな精神異常者と一緒にしないでください!」


「異常者はあんたの方でしょうが!!!」


 もう許さん、と紅子は立ち上がって拳を握り固める。


 その殺気を感じ取った菜々香は、すぐさま回れ右をして紅子の部屋を飛び出した。


「ひゃあああ! 異常者に殺される! 助けてーー! 九条さーーん!!!」


 まさに脱兎のごとしであった。

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