第25話 宿命の対決・紅子VSイルカ⑭

「それで、なにをしようというのですか紅子様」


 さつきは自分のノートパソコンをテーブルの上に置き、紅子に聞いた。


 もちろん、イルカも自室からパソコンを持って来ている。二人は紅子の命令で、リビングのソファに並んで座っていた。


(だ、大丈夫です。ネットの履歴は絶対に復元できないように削除した……バレることはないはず……)


 イルカはそう考える。


 だが、紅子は意外な事を言いだした。


「あんた達二人には、これからそれぞれ自分のパソコンで、わたしの言う文章を打ってもらうわ。それでどっちが犯人がわかるはずよ」


「は? なぜそんなことで?」


「いいから、とにかく始めるわよ」


 紅子の有無を言わさぬ命令で、イルカとさつきはパソコンの電源を入れた。紅子は二人の後ろに立ち、各自のディスプレイを見下ろす。


「それじゃ、まずは、わたしのブログに荒らしが初めて書き込んだコメントを打ちなさい」


「は?」


「はあ?」


 まさか、これは引っ掛けなのだろうか。だとしたら幼稚すぎる。


「荒らしが初めて書き込んだコメントってなんですか? わたしは荒らしじゃないのでわかりません」


「たしか……『よくこんな薄っぺらい漫画で感動できますね』とか、そういうコメントでしたね」


「あれー、九条さん、よく覚えてますね? 普通そんなに詳しく覚えているかなー変だなー」


 さつきは、もう反論するのも馬鹿らしいという態度でイルカを無視した。


「そよぎ。わたしのブログにはなんて書いてある?」


「えっと……言っていいのかなあ、これ……『よくこんな薄っぺらいお涙頂戴のクソ漫画で感動できますねww低能さんですかww?』って書いてるけど」


 そよぎがスマホを見てコメントを読み上げる。


「聞いたとおりよ。打ちなさい二人共」


「一体何なんですか……」


 なんでこの私がそんな低俗な文章を打たねばならないのか、と言いたげに、さつきは渋々とキーボードをタイピングする。


 イルカも、とりあえず言われたとおりにタイプする。だが――


「打ち終わりましたよ、紅子様。イルカ、あなたもさっさとしなさい」


 さつきがそう言った時、イルカの手は止まっていた。


 文章の後半、「て」を打っただけで、パソコンの予測変換には「低能」と表示されたからだ。


「…………」


 紅子の狙いをようやく悟り、イルカが凍りつく。


「ふうん。やっぱりね」


「や、やっぱりって……なんですか、なにが言いたいんです……」


「あんたのパソコンは、『て』って打っただけで『低能』が出てくるのね」


「そ、そんなの普通ですよ。ネットでは当たり前に使う言葉ですから」


「使いませんよ。ほら、私のパソコンでは『て』を打って出てくるのは『手』です。これが普通というものですよ」


 さつきが画面を見せつけてくる。


「これはつまりイルカ。あんたが、前にもこのパソコンで『低能』って書いた証拠よね。わたしのブログを荒らした時に」


「それ以外に『低能』なんて使うことないですからね」


「そ、そんな事ありませんって! 使いますから『低能』! ネットの基礎教養です、義務教育レベルの単語です! お嬢様や九条さんはIT音痴だから知らないだけです! ね、そうでしょう!?」


 イルカは傍らで見ていたスマホ持ち達の同意を求める。しかし返事はつれないものだった。


「いや、使わねーよ」


「そんな人権侵害のような言葉、使うわけがないだろう」


「ていのう、ってなんですか?」


 皆一様に、ノーを突き付けてきた。


「いやいや! みんなおかしいですよ! レスバトルしてたら使うでしょう!? それともなんですか、今まで人生で一度もネットに『低能』と書き込んだことがないと!? ハッキリ断言できますか、あなた達!?」


「当然だろ」


「絶対ありませんね」


「間違いなく断言できるな」


「だから、ていのうってなんですか?」


「そ、そんな、まさか……。 菜々香、あなたはどうなんです! さっきから黙ってるけど、あなたは使ったことあるんでしょう?」


「は? い、いや……わたしだってないわよ。『低能』なんて使うわけないじゃん」


「嘘だ! 菜々香、あなた結構使ってるでしょ! 前からネット弁慶っぽいなーって思ってたんですよ、あなたは!」


「し、知らないし」


「く……自分だけいい子ぶって……。じゃあ、そよぎ様。そよぎ様はどうなんです!? 正直に言ってくださいよ!」


「わたしは使ったことないけど……ただ、イルカさんの言うとおり、普通に使う人もネットには沢山いることは事実だね」


「そうでしょう、そうでしょう! 普通です! アイ・アム・スタンダードです!」


 必死に主張するイルカ。


 そんなイルカを、紅子は冷ややかに見つめる。


「ま、いいわ。これからが本番なんだから」


「へ……」


「次は『しゅ』よ。『しゅ』って打ちなさい」


「それだけでいいのですか」


 さつきは不思議そうに、「しゅ」とだけ打った。


 イルカも恐る恐るタイプする。予測変換に現れたのは、あろうことか、そのままズバリ「宿命の対決」である。


 ああやっぱりな……と、周囲の人間全てが嘆息するのをイルカは感じた。


「い、いや……これはですね……わたしもお嬢様のブログを見て、この漫画に興味が湧いたから……」


 まだなにも言われないうちに、イルカは言い訳する。


「それじゃあ、もっと打ってもらいましょうか。あんたがわたしのブログに書き込んでくれた糞コメントは山ほどあるからね。『妄想全開のオナニー漫画』とか『妄想と現実の区別がつかなくなった』とか『証拠出せないおまえの負け』とか。どうせ全部、予測変換で出てくるんでしょ」


「あ……あ……」


「ああ、一番ムカついたのは『こんな漫画で喜んでるのはチンパンジーだけだろ』ってやつね」


「そ、それは書き込んでません! それはわたしじゃないですよ!」


「はい自白した。完全論破ね」


「あっ」


 とうとう、イルカの有罪が確定してしまった。


「ず、ずるい! こんなの誘導尋問じゃないですか! 汚い! 卑怯ですよ!」


「レスバトルは戦争、卑怯なんて言葉はない。わたしがパソコンを買った日に、あんたが教えてくれたことよ、イルカ」


 もはや、どうあがいても誤魔化しようなどない。


 犯罪捜査の段階は過ぎ、あとは裁判と刑の執行がなされるだけだ。


 悟ったイルカは即座に頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! わざとじゃないんです! 反省してます! 許してください! お嬢様!」


「レスバトルに謝罪は無意味。謝って許してくれる相手はいない。これもあんたの教えよね?」


 世界最強の拳を鳴らしながら、紅子はゆっくりとイルカに詰め寄る。


「さあ、覚悟は良いわね、イルカ」


「う……う……」


 周りの六人は、恐れおののきながら成り行きを見守っていた。これから地獄の惨劇が繰り広げられる事は明白だが、イルカをかばう者は誰もいない。どれほど済まなそうに頭を下げたところで、つい先程までイルカはそよぎに罪を着せようと画策していたのだから、当然である。


 だが――――――。


「ふ、ふふふ……」


 突如、イルカは笑い出した。


「イルカ?」


 恐怖で気がふれたのか、と紅子は訝しげな目でイルカを見る。


 だがイルカは依然正常である。


「まあ、そうでしょうね。謝って許してもらえるとは思ってませんよ」


 開き直ったイルカは、最終手段に出ることを選んだのだ。


「ですから、かくなる上は――――!」


 それだけ言い捨て、イルカは脱兎のごとくリビングルームを飛び出した。


「えっ」


 イルカは逃げ出した……! 

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