第24話 宿命の対決・紅子VSイルカ⑬
「お姉ちゃん、おはよう!」
海原そよぎは朗らかに朝の挨拶をしながら、リビングルームにやって来た。
今の今、この部屋で自分が荒らし扱いされていたことなど、もちろん彼女が知る由もない。
「そよぎ……」
紅子は複雑な表情で、そよぎを見つめる。他の六人も同様だった。
(まさか、このタイミングで本人が現れるなんて……)
イルカとしては、またしても不運な偶然に翻弄されることになった。
「……みんな、何かあったの?」
聡明な少女は、すぐに紅子達の重苦しい雰囲気に気付いたようだ。
「いえ……別に……」
まさか本当のことを説明するわけにもいかず、さつきが曖昧に言葉を濁す。
「そよぎ、こんな時間にどうしたの?」
紅子が逆に尋ねた。
「あ、うん。深夜便でさっき日本に着いたところなんだけど、家に帰る前に、お姉ちゃん達にお土産だけ渡しておこうと思って」
「お土産?」
「うん、昨日までハワイに行ってたんだ」
「!?」
炎城寺家の住人全員に衝撃が走った。
「そ、そよぎ! ハワイに行ってたって……いつから!?」
「一週間前からだよ。五年生の自然学校で」
「自然学校……」
「あの、自然学校ということは、御学友や先生方と一緒に行かれたということですよね?」
さつきが恐る恐る口を挟む。
「はい。そうですけど」
さつきが何を言いたいかは明白だった。
学校行事で同級生や教師と一緒だったということは、そよぎのアリバイの証人は山程いるということだ。
「お姉ちゃん、これ、お土産のアロハシャツだよ」
「あ、うん。ありがとう……」
「これ、日本だとどこにも売ってないんだって。現地の手作り工房だけでしか手に入らないんだよ」
物証まで登場した。
「はい、みい子にはチョコレートだよ」
「わーい! ありがとう、そよぎちゃん!」
みい子は、もう完全にそよぎが重要容疑者だったことなど忘れていた。
「これは、どういうこと……?」
困惑した菜々香が言った。
「どうもこうも。一週間前から今日までハワイにいたのなら、そよぎ様は犯人ではありえないということでしょう」
さつきが断定した。
ここまで明らかなアリバイを提示されたら、誰も否定などできるはずがない。
(うわあああああああああああ!!)
イルカは心のなかで絶叫する。
(なぜこのタイミングで修学旅行!? なんですこれ! せっかく練り上げた戦略が台無しじゃないですか! ってゆーか、なんで自然学校でハワイなんて行くんです! このブルジョワジーが!)
猛烈に叫び出したい気分だったが、もちろん声に出すわけにはいかない。
「犯人って、なに? どういうこと?」
そよぎが聞いてきた。
「あ、あのね、そよぎちゃん。実は、おじょうさまのブログが……」
「こら、みい子。こんな事をそよぎ様に言うんじゃない」
重蔵がみい子をたしなめるが、そこに紅子が口を挟んだ。
「いえ。そよぎの疑いが晴れたのなら、いっそ全部聞いてもらうわ」
「はあ……」
「疑いって……いったいなんの話なの?」
「あのね……」
紅子がこれまでの経緯をそよぎに話し、事態はますますイルカの恐れる方向へ進んでいった。
「……へえ、これがお姉ちゃんのブログかあ。確かにひどい荒らしに粘着されてるね」
そよぎがスマホで『“宿命の対決”応援ブログ』を確認して、眉をひそめる。
「それで、荒らしとお姉ちゃんのIPが同じだったんだよね。だったら、やっぱりこの家の人が犯人なんじゃないの?」
「それがそうとも限らないのよ」
「この屋敷のWIFIは敷地の外まで電波が飛んでるから、外からでも近くならスマホで電波を受信して、ネットに接続できるんです」
「それは違うよ」
あっさりと、そよぎは断言した。
「え……」
「この荒らしはスマホを使ってないもん。家の外で回線を使うことはできないよ」
「スマホを使っていない……?」
「なぜそんな事がわかるんですか?」
「だってほら、ここの荒らしのコメント」
そよぎがスマホをテーブルに置いて、あるページに書き込まれたコメントを示す。
『なにいってんだかssねよおいふざkねnなよ』
「これは、お姉ちゃんに煽られて発狂した荒らしが、焦って書き込んだからこんな文章になってるんでしょ?」
「そうだけど」
「これはローマ字入力……パソコンのキーボードを使ってないと、こうはならないんだよ」
「あ、たしかに……!」
「スマホは日本語のフリック入力だから、ローマ字入力のミスは起こらないんだ!」
「そうよ、そよぎの言うとおりだわ!」
スマホを持っていない紅子とさつきも、フリック入力がどういうものかくらいは知っている。即座にそよぎの推理を肯定した。
「スマホを使ってないってことは、やっぱり外部犯の仕業じゃないのよ。犯人はこの家の人間だわ」
(あ、あああ……どんどんまずい事態に……)
そよぎの登場によって、いまやイルカの捏造推理は根本からひっくり返された。
「結局、犯人探しは振り出しに戻ったってことか」
「違うぞ。犯人はパソコンを持っている人間だとわかったんだからな」
「あ、そうすね。……てゆーか、この中でパソコンを持ってる人間って……」
炎城寺家のリビングルームには、共用のデスクトップパソコンが一台置いてある。しかし、いつ誰がやって来るかわからないリビングで、荒らし行為をする人間がいるわけない。
重蔵は仕事用のノートパソコンを持っているが、これは紅子の父親の会社からの貸与品であり、私的なネットワークにはアクセスできない仕組みになっている。
それ以外で個人的にパソコンを所持しているのは、まず紅子。そして……。
「お嬢様の他に自分用のパソコン持ってるのって、九条さんとイルカだけよね」
全員の目がさつきとイルカに集中する……ことはなく、視線を集めたのはイルカ一人だった。
「じゃあもう、犯人はイルカで決まりじゃないか」
「うおおおおおぉぉぉい!? なんですかそれ!? どうしてわたしを犯人と決め付けるんですか!?」
悲鳴を上げ、真っ赤になってイルカは否定する。
「そりゃ、九条さんがそんな事するわけないし」
「逆にイルカは、いかにもそういう事やりそうだし」
「まあブログ荒らしの犯人なんて、元々イルカが怪しいと思っていた」
はじめ、菜々香、重蔵は、当然のようにイルカを犯人だと断定した。
「ちょ、ちょちょ! そんなのひどい! わたしじゃない、わたしじゃないです! 犯人は九条さんですよ! そうに決まってます!」
「なんですって……?」
この世で二番目に恐ろしい女がイルカを睨みつける。
しかし、もはやイルカには、さつきが犯人だと主張する以外に道はない。
「す、凄んだって駄目ですからね! わたしはやってないんですから、犯人は九条さんしかいません!」
「よくもそんな事を……」
そんな二人の様子を見ながら、紅子はそよぎに聞いた。
「ねえ、そよぎ。どっちが犯人かわからないかしら」
「うーん。無線ルーターの機種によっては、誰がいつどこのサイトにアクセスしたか、調べられるんだけど」
紅子は即座にすっ飛んでいき、無線ルーターをケーブルを引き抜いて持ってきた。
そよぎはルーターの型番をスマホで検索し、しばらく調べたのち首を振った。
「この機種だと駄目だね。そういう機能はついてないみたい」
イルカはほっとした。
「イルカ、あなた今『ほっ』としましたね」
「し、してない! してないです! 変な言いがかりは止めてくださいよ!」
紅子はしばし争い合う二人を睨んでいたが、ふと、スマホを操作するそよぎの手元に目をやった。
「そよぎって文字打つの速いわね。そんなフリック入力ってのでよくできるわね」
「慣れれば物理キーボードよりこっちのほうが速いよ。ほら、こうやってこう打って、予測変換も使えば……」
「…………」
紅子は何事か考え込む。
そのあいだも、さつきとイルカの二人の言い争いは続いていた。
「だから! いい加減自分の仕業だと認めなさいイルカ!」
「違うもん違うもん! わたしじゃないですもん!」
「二人とも」
突如、紅子が口論に割って入り、二人の動きが止まる。
「あんた達のパソコンをここに持ってきなさい」
「え?」
「最後の審判を始めるわ」
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