第19話 宿命の対決・紅子VSイルカ⑧

「わたしは裏切り者を許さない。絶対に見つけ出して、ぶっ殺すわ」


 かつてない殺気を振りまきながら宣言する紅子。


 それに異を唱えた勇者はやはり、九条さつきだった。


「お言葉ですが。話を聞く限りでは、犯人はブログが紅子様のものだと気付かずに荒らしていたわけですから、つまり過失なのでしょう。それを裏切りとまで言うのは酷ではありませんか」


 その発言に、イルカは即座に飛び付いた。


「そ、そうですよ、お嬢様。きっと犯人も反省してますよ。許してあげたらどうでしょう」


 だが、過失犯への温情という提案を、紅子は即座に切り捨てる。


「うるさい! わざとだろうが、そうでなかろうが、結果的にわたしに歯向かった事に変わりないのよ!」


 さつきとイルカ、この二人の意見にも聞く耳を持たない。つまり今の紅子は誰にも止められないのだと、全員が悟った。


「……まあ、とはいえ。わたしも鬼じゃない。今この場ですぐ自首するなら、許してあげるわ。怒らないから、悪いことした人は手を挙げなさい」


「………………」


 六人の使用人たちは、お互いの表情を伺うように視線を交わす。


 しかし残念ながら、というか当然、誰も手を挙げない。すでに怒っている人間が、怒らないなどと言っても、説得力があるはずないのだから。


 もちろんイルカも何も言わない。ここで自首などすることは、自殺に等しい。


「そう……よーく、わかったわ」


 沈黙の数十秒が過ぎ、再び紅子が口を開いた。


「あくまで、このわたしに歯向かうわけね。いいわよ、やってやるわ。あんた達全員、徹底的に締め上げて、犯人を見つけ出してやるわ」


 戦時中に横行した特高や憲兵は、きっとこんな発言をしていたのだろう。


「今! そうやってしおらしくしてるあんた達の誰か一人は、内心でわたしを嘲り笑っている! 覚悟しておきなさいよ! 笑ってられるのも今のうちよ!」


(そんなことありません。めっちゃ怯えてますから……)


 イルカは、心の中でなんの意味もなく呟いた。


「菜々香」


 紅子が新人メイドの名を呼んだ。


「は、はいっ!?」


 突然呼ばれた菜々香は、飛び上がりそうなほど動揺して返事をする。


「あんた、さっきからソワソワして、わたしと目を合わせないわね。怪しいわよ」


「そ、そんなことありませんっ!」


「本当のこと言いなさいよ。それとも体に聞いた方がいいのかしら?」


「違います! 違います! わたしじゃありありません!」


 とりあえず、疑いの矛先は新参者の菜々香に向いたようで、イルカはほっとした。


 ――と思いきや、紅子は耳ざとくイルカのため息を聞きつけ、詰め寄ってくる。


「イルカ! あんた今『ほっ』としたわね! あんたが犯人なの!?」


「してません、してません! ひええええっ!」


 そんな泥沼の騒動を一通り繰り広げた後、結局、ゴリ押しでは犯人の自白を引き出せないと紅子は悟ったようだ。


「これから一人ずつ尋問して、アリバイ検証をするわ」


 紅子はそう宣言した。


「アリバイ、ですか……」


 たかがブログ荒らしが、殺人事件のごとき大仰な扱いになってきた。もっとも紅子にとっては、自分の大切なブログを荒らしたことは、殺人以上の大罪なのだろうが。


「そうよ。荒らしがわたしのブログに書き込んだ時間に、あんた達が何をしていたか。それをまず調べるわ。……言っとくけど、嘘ついても他の証言と突き合わせれば、すぐバレるんだからね!」


「はいはい。では、さっさとしてください」


 さつきも紅子の犯人探しを容認するようだ。


 もはや包丁を持ち出しても、今の紅子は止められないと判断したのだろう。


「それじゃあ、まずはイルカ。あんたからよ」


「わ、わたしですか!?」


「そんなに怖がらなくていいわよ」


 怒りと暴力の化身のような女が言う。


「べつに、あんたを一番に選んだことに、深い理由はないわ」



 

 紅子は、残りの五人にリビングルームで待機するよう命じて、イルカの部屋にやって来た。


「あの……わたしの部屋で何をするつもりでしょうか」


「尋問だって言ったでしょ。ま、リラックスしてくれていいのよ」


「できませんって」


 紅子はイルカのベッドに我が物顔で腰を下ろし、ポケットからメモ書きされたノートの切れ端を取り出した。


「まずは簡単な質問に答えてもらいましょうか。えーと、まず…………最初にわたしのブログが荒らされた、月曜日の二十時十五分、あんたは何してた?」


 お嬢様のブログを荒らしてました、などと言えるはずがない。


「さあ……五日前のことなんて、よく覚えてませんが……。多分、食堂で夕食の後片付けをしてたのではないですか」


 もちろん嘘だが、これはもしバレたとしても「記憶が曖昧だった」と言えば誤魔化せる。


「ふうん。じゃあ、一昨日の夜に荒らしが現れた時は何していたの」


「お風呂に入っていたと思いますよ」


「わたしは一昨日の夜と言っただけで、具体的な時刻は言ってないわよ」


「………………」


「なんでお風呂入ってたなんて即答できるの?」


「…………いやですねえ、お嬢様。この前、お嬢様のブログを拝見した時に、荒らしの書き込んだコメント欄も見せてもらったじゃないですか。あそこに表示されてた投稿時間は、十九時半ごろだったでしょう」


「そう」


 その後、同様の質問がいくつか交わされた。


「ふん、ふん……。つまり、基本的に荒らしの湧いた時間に、あんたにはアリバイと言えるものは何もないってことね」


「そうなりますね」


 これは、さほど問題ではない。イルカが紅子のブログを荒らしていたのは、全て夕食後の自由時間であり、他の住人もほとんどアリバイなどないはずだ。


 そもそも、誰かと一緒にいてもスマホがあれば、ブログを荒らすくらいのことは簡単にできる。LINEでも確認するふりをしながら、ブログを訪れてコメントを打てばいいのだから。


 さらに共犯の可能性まで考えれば、アリバイの有無など無意味に等しいのだ。


(ああ、我ながらこれはいいアイデアですね。タイミングを見て、「犯人は二人以上の共犯かもしれませんよ」とお嬢様に吹き込みましょう。それで捜査はますます混迷します。ふふふ)


 そんなことを考えているうちに、イルカはいつものふてぶてしさを取り戻してくる。


(そうですよ、わたしがお嬢様と知恵比べして負けるわけがないんです。容疑者が六人に絞られたといっても、所詮はそこまで。このわたしが尻尾を掴ませることなどあり得ません)


 自信満々にそう考える。


「じゃあ、次にあんたのパソコン見させてもらうわよ」


「は!?」


 紅子は、ベッドの枕元にあるノートパソコンを開き、勝手に電源を入れた。


「あんたのパソコン、薄くて軽いわね~。わたしもこういうのにすればよかったかしら」


「ちょ、ちょっと! 人のパソコン勝手に見るのはやめてください! エッチ!」


 イルカは慌てて抗議するが、無論そんなことで紅子が手を止めるはずがない。


「なにがエッチよ。パソコン見られることがエッチになる奴のほうがエッチでしょ」


「プ、プライバシーの侵害ですよ! 人権問題です!」


「わたしは今、犯罪捜査してるのよ。犯罪者に人権があるわけないでしょ」


 またネットで叩かれそうなセリフを吐きながら、紅子はイルカの指をつかんだ。


「え、なにを……ひゃあ!」


 つかまれたイルカの指はタンクローリーのごとき馬力で引き込まれ、人差し指がパソコンの指紋認証センサに押し付けられる。それでロックは解除された。


 紅子はベッドの上に胡坐をかいて、パソコンをいじり始めた。


「な、なにをする気なんですか……お嬢様……」


 恐る恐る、イルカは尋ねた。


「心配しなくてもいいわよ。べつに、スパイウエア? とかいうのを送り込むつもりはないし」


「お嬢様相手に、そんな高度なこと心配していませんよ」


「ちょっとネットの履歴を見せてもらうだけよ」


「!?」


 その言葉どおり、紅子はブラウザを立ち上げて、設定画面から『全履歴を表示』をクリックした。


 イルカのこれまでのインターネット閲覧履歴がすべて表示される――はずだったが。


「……なにもないわね」


 履歴は完全に真っ白で、何一つ表示されなかった。


「はい。そうですよ」


(危なかったーー! 念の為ネットの履歴全部消しておいてよかったーー!)


「あんたが犯人なら、わたしのブログへアクセスしてた履歴が残ってるかなって思ったんだけど」


「ご冗談を。お嬢様の右腕、一番の忠臣、この千堂イルカがそんな真似をするはずありません」


 平静を装いながらイルカは言った。


「そうね……」


「わたしの潔白を信じてもらえましたか?」


 紅子はその質問には答えず、逆に質問を返した。


「なんでないの?」


「えっ」


「どうして、ネットの履歴が、何ひとつ、残っていないの?」


「それは……消したからです……」


「どうして消したの?」


「それは……」


「それは?」


「それは、エッチなサイトとか見てるからですよー! もしも誰かにパソコン見られたら困るから、定期的に履歴は消してるんです! もう、こんなこと言わせないでくださいよ、恥ずかしいー!」


「なんでこのタイミングなの」


「は……」


「わたしが荒らしにキレたのと、あんたが履歴消したのが、ほとんど同時じゃない。このタイミングの一致は偶然なの?」


「…………それは、ほら。一昨日の夜は、荒らしの件でお嬢様が二度もわたしの部屋に来られたし、九条さんまで来たじゃないですか。あんな頻繁に誰かがやって来たら、不安になって履歴を消したくもなりますよ」


「ふうん。ま、そうかもね」


 それで、尋問はひとまず終了となった。




 イルカと共にリビングルームに戻った紅子は、二人目の尋問を開始する。


「次。 菜々香、あんたの部屋で話を聞くわ」


「わ、わたしは犯人じゃありませんよ……!」


「それはわたしが決めるのよ、さっさと来い。……他のものは引き続きこの部屋で待機よ。勝手に出ていった奴は犯人とみなすわ」


 その時、イルカはようやく紅子の意図を理解した。


 紅子は、犯人がネットの閲覧履歴を削除する時間を、与えないつもりなのだと。


 だから犯人捜しを公言した後、誰にも自室に戻ることを許さず、リビングルームに拘束したのだ。


 イルカはすでに履歴の削除を済ませていたから、結果的に無駄ではあるが……。


 それでも、紅子が一人でそこまで考えていたことは驚きだった。


 今の紅子は普段とは違う。覚醒――怒りが限界を超えて、逆に頭が冴えるようになったのか。


 そして現在、紅子が最も疑っているのは、おそらく最初に尋問した自分だ。


 イルカは、あらためて身震いした。

 

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