第12話 宿命の対決・紅子VSイルカ①

 紅子が“宿命の対決”と出会ったのは、漫画サイトの無料配信キャンペーンがきっかけだった。

 


『あの古典的名作が蘇る! “宿命の対決”全七巻無料配信中!』


 

「へえ、最後までタダで読めるんだ」


 ネットをぶらついていて、なんの気なしに覗いた漫画サイトのトップに表示されていたアオリ文だった。その文と共に、おそらくは漫画の主要人物であろう、二人のキャラクターがにらみ合う画像が表示されていた。


「こういうのって、どうやって儲けてんのかしらね……」


 紅子は常々不思議だった。漫画もゲームも動画も、どう見ても相当の手間と資金をかけて作られているだろうクオリティの作品が、ネットでは無料で公開されているのだ。こんなことをして、作ってる会社は破産しないのだろうかと心配になる。


 そのことをイルカに聞いたら、「『儲ける』という漢字は『信者』と書くのですよ。ふふふ、つまりですね……」などといつもの早口ドヤ顔解説を始めたが、結局よくわからなかった。


 それはともかく、“宿命の対決”の絵柄は紅子の好みだった。


 テレビは見ない、動画サイトも見ない、小説も読まない紅子だが、漫画だけはたまに読む。


「ちょっと読んでみよっと」


 暇だし、タダだし、七巻で終わるなら……という軽い気持ちで、紅子は“宿命の対決”を読み始めた。



 

「めっっっちゃ面白いじゃん!!!」


“宿命の対決”全七巻を読み終えた紅子は、猛烈に感動していた。


 主人公は仲良しの二人の幼馴染、アルとオーム。オームはどんくさい気弱な子で、アルは対照的にスポーツ万能のガキ大将。悪ガキにいじめられるオームを、アルが助けるのが日常だった。

 時が経って成長したアルは、故郷を飛び出し冒険者となる。スリルや財宝を求める気持ちもあったが、一番の目的はオームを守れる強さを手にするためだった。

 アルは冒険の末、光の騎士と呼ばれる英雄になる。しかし、アルが村を不在にしている間に、オームは闇の力に取りつかれ、悪の戦士へと変貌してしまっていた。そして、物語はアルVSオームの“宿命の対決”へと向かうのだ――。


「このアルって本当にかっこいいわね。それに凄くいい奴だし。友達のために頑張って強くなろうとするなんて、感動的だわ。うんうん」


 しかし、紅子にはこの漫画の終わり方が今一つよくわからない。


 最終回はアルとオームの戦いが決着してそれで完結となるのだが、オームが闇落ちした元凶である「暗黒の組織」や「魔王」が、結局登場しなかったのだ。これでは完結というよりは第一部完、くらいの終わり方に見える。


 不思議に思った紅子は、いつものようにイルカに聞いてみることにしたのだが。


「イルカなら買い物に行きましたよ」


 さつきからそう言われてしまった。


 イルカとて、べつに紅子のお守りだけが仕事ではないのだ。


「しょうがない、そよぎに聞いてみよっと」


 それならばと、紅子はスカイプでもう一人のパソコン先生に相談することにした。


『“宿命の対決”? うん、読んだことあるよ。面白いよね』


 さすがは古典的名作というべきか、二十年以上前の作品にもかかわらず、小学生のそよぎが知っていた。


「でも、あの終わり方ってなんかおかしくない? 続編とかあるの?」


『その予定だったみたいだね』


「予定だった?」


『もともと、アルとオームが戦う“宿命の対決”が第一部で、そのあと二人が力を合わせて真の黒幕を倒す第二部があるはずだったんだよ。でも、結局その第二部は描かれなかったんだ』


「なんで?」


『そこは今でも謎なんだよね。漫画の人気はあったから、打ち切りになったわけじゃないと思うんだけど。作者が飽きちゃったのか、逆に第一部で満足してこれ以上は蛇足だと考えたのかも……』


「そんなの駄目でしょ! 漫画家なら、読者のためにちゃんと最後まで描きなさいよ!」


『漫画家って、人気になればなるほどストレスがたまる仕事らしいからね』


「作者のストレスなんて知ったこっちゃないわ。わたしは続きが読みたいのよ」


『お姉ちゃん以外でも、そう考えてる人は多いよ。そういう人達は、ネットで布教活動してるね』


「布教活動?」


『この漫画は面白いですよって、ブログやSNSで宣伝するの。そしたら漫画が人気になって売れるでしょ? そうなれば、出版社や作者が続編を出そうかって気になるかもしれないでしょ』


「そんなことってあるの?」


『一度終わって、十年以上たってから続編が出た前例は、いくらでもあるよ。ドラゴンボールとかエヴァンゲリオンとか、シャーロック・ホームズなんかもそうだね』


「そうなんだ。じゃあ布教すれば続編が読めるかもしれないのね」


『うん』


「よし、じゃあわたしもTwiterで布教するわ」


『やめて!』


 ものすごい勢いでそよぎが反対する。


「なんでよ」


『みい子のYOUTUMEの時のこと忘れたの? お姉ちゃんのTwiterで宣伝なんかしたら、アンチや愉快犯に荒らされまくるよ。あの炎城寺が推す漫画だから叩いてやろう、みたいに』


「じゃあどうすればいいのよ」


『布教するなら匿名でやるべきだよ。“炎城寺紅子”の名前は出しちゃ駄目』


 海原家が夕食の時間になったので、そこでスカイプ通話は終了した。


 そよぎが強く主張したので、紅子は実名を隠して“宿命の対決”の布教活動を行うことにした。しかし、具体的に何をすればいいのかは思いつかない。


「名前出しちゃ駄目ってんなら、本名でやってるTwiterは使えないし……」


 SNSの裏アカという発想は、紅子からは出てこない。


「そうだ、ブログね。ブログやってみよ」


 そよぎも、布教活動はブログやSNSでやるものだと言っていた。


 紅子とて、ブログがなにかくらいは知っている。インターネット上で書く日記のことだ。とはいっても、実際の日記のように個人的な毎日の出来事を書き留めるブログは少なく、ほとんどのブログは特定の趣味をテーマにして、それについての考えをあれこれ書き連ねるというもののようだ。紅子にとっては“宿命の対決”がそれになる。


 紅子はさっそく、ネットで適当に見つけたブログサービスへ登録を開始した。


「ブログのタイトルは……うーん、『“宿命の対決”応援ブログ』にするか。ハンドルネームは……『青子』でいいや」


 登録方法はごくシンプルで、十分とかからず完了し、紅子のブログページは用意された。


「よし、それじゃあ発信していくわよ!」


 紅子は意気揚々とキーボードを叩き始めた。


 

『この“宿命の対決”という漫画は超面白い最強の漫画です。どこが面白いかというと、主人公のアルが超かっこいいからです』

 

『第一話ではアルとオームの子供時代から始まります。いじめられっ子のオームを守るために年上の不良たち五人と喧嘩するアルの姿には感動します。素晴らしい友情だと思います。一話でもう最高だと思います。ノーベル文学賞を送るべきだと思います』

 

『どうです、面白そうでしょう。気になった人は漫画サイトに行きましょう。今なら無料で読めます。そして、気に入ったら続編希望とコメントしましょう。ただし、続きを書かないと殺す、とかそういうことは書いてはいけません。そういうことを書くと逮捕されて刑務所行きになってしまいます。ネット初心者はよくそういう間違いをするので注意しましょう』

 


「うん。とりあえず最初はこんなもんかしらね」


 我ながら名文が書けた、これなら“宿命の対決”がどれほど素晴らしい漫画か、知らない人にも伝わるだろう。紅子は書き込んだブログを見直しながら、満足して腕を組んだ。


「なにをやってるんですか?」


「うひゃあ!」


 不意に背後から声をかけられ、紅子は思わず悲鳴をあげた。


 慌てて振り返ると、イルカが部屋の入口に立っていた。


「ちょっとイルカ! 入るならノックくらいしなさいよ!」


「はあ?」


 イルカが間の抜けた返事をする。


 それもそのはず、これまで紅子はそんなことを誰にも言ったことがないのだから。


「入りたいなら勝手に入れ」が紅子の普段のスタンスである。


 それでも一応、常識として他の使用人はノックをするが、イルカだけは紅子の部屋のドアを勝手に開けるのが常であった。


「パソコンで何やってたんですか? またTwiterで煽られてた……わけでもなさそうですね」


「べつになんでもないわよ」


 紅子は、イルカに見られないようにモニタのスイッチをオフにする。


 紅子がそんな挙動をするのも初めてだったから、イルカはますます不審がる。


 しばし探るような目で紅子の顔を眺めた後、にやにやと笑いながら言った。


「あれれー。もしかしてお嬢様、エッチなサイトでも見てたんですか?」


「んなもん見てないわよ! あんたと一緒にするな!」


「恥ずかしがることないですよ。みんなやってることですから」


「違うっての! 今忙しいんだから、さっさと出ていけ!」


「あわわ。わ、わかりましたよ」


 ぐいぐいとイルカの体を押して、廊下へ放り出す。


 そのまま部屋のドアを閉めて、鍵をかけた。


「ふう……危うく見られるとこだったわ。ブログを人に見られるのって恥ずかしいものなのね。やっぱ日記だってことかしら」


 紅子が「恥」という感情を抱くことは、極めて珍しい。


「このブログのことは、イルカにも秘密にしよっと」

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