第11話 転売屋を追いかけろ⑤
「えーみなさま! 本日はリア・モンド選手来日記念のサイン会&撮影会にお越しいただき、誠にありがとうございました!」
都内某所のイベント会場に、ステージ上から司会者の声が響き渡った。
「チケットのプレゼント抽選に惜しくも外れてしまった皆様は、来月からのWEB先行販売を申し込んでくださいね。それではモンドさん、最後に皆さんへご挨拶をどうぞ」
「サンキューベリーマッチ。日本のみなさん、私がクレナイを塵へ返すところを、ぜひ見に来てくれ」
リア・モンドはそう言ってイベントを締めくくり、万雷の拍手に包まれながらステージの袖へ引っ込んだ。
イベント出演の仕事を終えたリアは、一人で会場の裏口から出て、滞在予定のホテルに向かって歩き出した。土地勘は全くないが、スマホの地図があればどうとでもなる。
リアがしばらく歩いたところで、歩道の脇のベンチに腰掛けてうつむいている男の姿を見かけた。両手で顔を覆い、これでもかというほどに落ち込んだ様子を示していた。
「どうした、お前。なんでこんなところで泣いてる?」
才女のリアは、五ヵ国語を流暢に話す。日本語もそのうちの一つだった。
リアが声をかけると、男は顔を上げて涙目で語りだした。
「その……モンドさんの試合のチケット、どうしても欲しかったんですが……抽選に外れてしまったんですよ」
「そうか」
「実は、僕には病気の妹がいて……妹はモンドさんの大ファンなんです。モンドさんの試合を見せてあげられれば、元気が出ると思っていたんですが……」
「そうか。ちょっと待ってろ」
それだけ言うと、リアはスマホで電話をかけ始めた。
「あの、誰に電話しているんですか?」
「私のマネージャーだ」
「え、もしかしてチケット用意してくれるんですか!」
「そんなわけあるか。あいつはスマホを持っていないから、一緒にいる私のマネージャーに電話して連絡するんだ。まったく、手間をとらせる」
「え……あいつって……」
「すぐここに来る」
リアの言葉通り、それから十秒と経たないうちに、イベント会場から誰かが飛び出し、野生の肉食獣のごときスピードで走り寄ってきた。
炎城寺紅子だった。
「え……炎城寺!?」
慌てて逃げ出そうとする男を、リアと紅子は難なく取り押さえた。
「クレナイ、やはりこいつがお前の言ってた転売屋か」
「そうよ、リア」
示し合わせたような言葉を交わす二人を見て、男――バフェットたくまは、ようやく嵌められたことに気づいた。
「お、お前……なんでここに……」
「あんたの顔写真を、日本中の格闘技団体に拡散して張ってたのよ。そしたら今日、リアからイベントにあんたが来てるって連絡を受けて、やって来たってわけ。すぐにでもぶっ飛ばしてやろうかと思ったんだけど、裏をとるまでは駄目だって止められたから、楽屋で待機してたのよ」
「それにしても、クレナイから聞いていたのと全く同じパターンのセリフを聞かされるとは思わなかったぞ。なんて芸のない奴だ。しかも、よりによって同じ試合のチケットを狙うか?」
「ただのラッキーで成功したのを、自分の実力だと思い込んじゃったのよ。こういう奴は、信じられないほどバカになるんだってさ。やーいバーカ」
「く、ぐ…………」
リアルで一言煽られるのは、ネットで百回煽られるより悔しい。バフェットたくまの顔は、見る間に屈辱で真っ赤になった。
「言っとくけど、あんたのことは格闘技界だけでなくて他のスポーツや芸能界にも伝えるわ。今後はどこのどんなイベントからも出禁になるわよ」
「ふ、ふん……たかが顔写真でそんなこと……」
「とことん頭の回転が鈍い奴だな。お前は今日のイベントで、入場の時に身分証明書を提示したことを忘れたのか」
「あっ」
「お前の顔と個人情報は紐づけられ、めでたくブラックリスト入りした。これからは、高額で希少価値のあるチケットやブランド品は、ほとんど購入できないと思った方がいい」
「ひ、ひどい……」
「酷いのはどっちだアホ」
あまりに自分勝手な言い分に、リアはため息をついた。
「まー、それよりもさ。おい、たくま先生。わたしから騙し取ったチケット返せよ」
「あ、あれは合法的に……」
「黙れ」
紅子の拳が、バフェットたくまの右頬に炸裂した。
「ぼ、暴力だ! 格闘技の選手が一般人に暴力を」
「黙れって言ってんでしょ」
再び、紅子の拳が、今度は左頬に炸裂する。
「訴えてやる……け、警察に……」
紅子の拳が地面に炸裂し、コンクリートのタイルを砕いた。
「ひいっ!」
「好きにすれば? 警察呼べば、あんたがやってた転売についても捜査されるけど、それでもいいならね」
「う、う……」
バフェットたくまは完全に心が折れ、それ以上何も言えずに黙りこんでしまう。
ネットでは最弱の炎城寺紅子は、リアルでは最強であった。
「さあ、最後の警告よ。チケットを返せ」
紅子が悪鬼のごとき形相で凄んだ。
「あれは、わたしの友達のためのものよ。あんたの存在しない妹のためじゃない」
「あーもう! なんなのよこれは!」
紅子はオークションサイトを見て叫んだ。
「どうしたんですか、お嬢様」
イルカが聞いた。
「わたしの限定グッズとかサインとかが、こんなに転売されてるのよ」
「どれどれ……ふーん、なるほど……。たしかにねえ」
モニタに表示された炎城寺紅子関連の出品を眺めながら、イルカは同意する。
先日締め上げたことが堪えたのか、あれ以来オークションサイトでもTwiterでも、バフェットたくまの姿を見ることはなくなった。だが当然のことながら、たくま一人がいなくなったところで、この世から転売屋が消滅したわけではない。
オークションサイトは今日も、ひと目で転売品とわかる出品で賑わっていた。その中に、紅子自身のグッズも大量に含まれていることを発見したのだ。
「せっかく、苦労してあのたくまとかいう奴をぶちのめしたのに」
「ま、あんなのは氷山の一角だったってことです。……結局、転売屋の摘発が一向に進まない原因はそこなのかもしれませんね。捕まえても捕まえても、同じことする奴は次々に現れるから、馬鹿らしくてやってられないんですよ」
「ちっ」
舌打ちして、紅子はマウスから手を離した。
交代でイルカがマウスをつかみ、画面をスクロールさせて出品物一覧を確認しはじめる。
「限定DVDが四万円、バッグが五万円、スニーカーが七万円……どれも定価の倍以上の値段がついてますね。それに、直筆サインが十万円ですか。ほええ……」
いつもSNSや掲示板でバカにされている紅子の姿ばかり見ていたイルカは、紅子グッズの予想外の人気に感心してしまう。
「お嬢様の関連商品が、これほど高値で取引されているとは知りませんでしたよ。ある意味、お嬢様の人気がそれだけ高いということですね」
「そんなことで喜べないわよ」
紅子は憮然として言った。
「ところでお嬢様、お願いがあるんですが」
イルカが改まって切り出した。
「なによ」
「サインを十枚ほど書いてくれませんか?」
「殺すぞ」
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