第7話 掲示板レスバトル③

「とにかく、もうこのような輩に関わるのはやめてください。お嬢様のITスキルでネットの魑魅魍魎と口論するのは、あまりに分が悪すぎます」


「いやよ! もう少しで勝てるんだから!」


「どこをどう見ればそう思えるんですか?」


「こいつらは間違っていて、わたしは正しいからよ」


「…………ではせめて、本名とメアドを晒すのはやめてください。そういう場所じゃないですから、この掲示板は」


「いやよ! 匿名で安全な場所から隠れて攻撃するなんて、卑怯者のすることよ!」


「…………」


 イルカは、しばし紅子を哀れみの目で見つめたのち、ため息をついて、おもむろに語りだした。


「どうやらお嬢様は、勘違いされているようですね」


「勘違い?」


「お嬢様はネットの口論、すなわち『レスバトル』の本質を勘違いしているのです」


「……どういうことよ」


「お嬢様はレスバトルを格闘技の試合と同じ目線で捉えています。ネットの煽り合戦を、まるでスポーツの試合みたいに考えて、正々堂々だの、卑怯だの、本名晒せだの、正しいだの間違ってるだの、そんなこと言ってたら馬鹿にされるのは当たり前ですよ」


「なんですって」


「お嬢様、レスバトルの本質とは『試合』ではなく『戦争』なのですよ」


「はあ?」


「戦争の極意は、いかに自分は傷つかず、安全な場所から相手を攻撃するかです。この思想のもと、人類は素手から剣、剣から槍、槍から銃火器と、攻撃の間合いを広げることに腐心してきました。近年ではついに無人戦闘機が実用化され、本国のオフィスからリモートで戦闘機を操作して、地球の反対側にいる敵兵を蹂躙する事すら可能になりました。さて、お嬢様はこれを卑怯と呼びますか?」


「それは、まあ……戦争ならしょうがないけど……」


「ですよね。戦争では卑怯が当たり前。自分だけ隠れて安全な場所から攻撃できるなら、やるに決まってます。そのためには、個人情報は秘密にするのが当たり前。兵士の名前や住所を晒すなんて、もってのほかです。そしてなにより、戦争に、正しいだの間違いだのといったレッテルは、なんの意味もないのです。いつもいつでも勝ったほうが正義なのです。レスバトルも同じだと思ってください」


 やたら早口でイルカは語る。


「いや、インターネットの悪口合戦と実際の戦争は違うでしょ」


「同じですよ」


「えっ」


「インターネットがこれほど普及した現代では、ネット上での勝利は現実の勝利であり、ネット上での死は現実の死に等しいのです。お嬢様が目指しているインフルエンサーというたぐいの人々は、まさにネットの勝利者。彼らは莫大な収入と名声を手にして、現実でも左うちわで暮らしています。逆にネットで敗北した人々はどうなるか? ネットで叩かれた芸能人は落ちぶれて、企業や商店は売上が急落し、それに関わる人々の人生まで狂わせます。ネットの炎上が原因で自殺までした人間もいることは、お嬢様だって知っているでしょう。政治家のプロパガンダ合戦だって、今やネットが主戦場なんです。……いかがです。ネットの戦いとは、まさに富・誇り・生命を奪い合う現実の戦争に等しいでしょう」


「いや、それは……どう……なの?」


「なにか反論ありますか?」


「う……いや……」


「反論ないならわたしの勝ちですね。はい、このレスバトルは千堂イルカが勝利しました」


「これってレスバトルだったの!? ずるいわよ、先に言いなさいよ!」


「はあ……またそれですか。たった今、レスバトルに卑怯もなにもないと説明したばかりでしょうが。『いまからレスバトル仕掛けますね』などと宣言してくれる、親切な相手がいると思いますか」


 紅子としてはそんな言い分にはとても納得できないが、では具体的にどう反論するかと考えると、なにも思いつかない。


「いまのお嬢様は、二十一世紀の戦場で『やあやあ我こそは』などとのたまう、時代遅れの武人気取りでしかありません。このままでは、毎日キーボードを破壊することになりますよ」


 完全勝利、とばかりに偉そうな説教をしてくるイルカに対して、紅子はぐぬぬぬ……と歯ぎしりする。


「とにかく、キーボードが壊れた以上、今日はもうネットに書き込むことはできないでしょう。プロテインを飲んだらおやすみになって、ボケた頭を冷やしてください」


 イルカが、机のすみに置きっぱなしになっていた、豆乳割りプロテインを紅子に差し出した。


「あ、今のは時差ボケという意味であって、決してお嬢様のことを脳がボケた馬鹿と言ったわけではありませんよ」


「いちいち説明しなくていいわよ」


「それでは、おやすみなさいませ」


 イルカが部屋を出ていくと、紅子は憤然としてプロテインシェイカーを引っ掴み、一気に飲み干した。


「うー、イルカのやつー! ちょっとパソコンできるからっていい気になって!」


 紅子は、使用人を馬鹿にするような主人は大嫌いだ。そういう輩を見れば、即座にぶん殴ってきた。だからといって使用人が主人を馬鹿にするのはいいのか、といえばそんなはずはなく、そういう舐めた態度の使用人も、当然ぶん殴ってきた。


 しかし、口論で言い負かされたイルカを暴力で黙らせたところで、真の勝利は得られない。


 レスバトルの雪辱は、レスバトルで果たすしかないのだ。


「この炎城寺紅子が、このまま引き下がると思わないことね! 明日こそ、アンチ共を黙らせてやるんだから!」

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