第6話 離郷

 カンカンと照りつける太陽が、俺の肌を焼き焦がす。

 それに必死に耐える俺は、首に巻いたタオルで滴り落ちる汗を拭った。


「おいネウ!サボってんじゃねぇぞ!!」

「サボってないっていってるだろ!!」

「早くしねぇと、お隣さんにお前が初対面でクソ漏らした話するぞ!」

「十数年前の話持ち出してくるのやめてくれない!?」


 軽く休憩していた俺の耳に、ジルの怒鳴り声が聞こえてくる。


 それに多少げんなりしながらも、俺は荷物を運ぶ仕事を再開した。


 

 あの日から、今日で既に五年の月日が流れていた。

 

 俺の体は、鍛錬の成果か比較的シュッとした筋肉に、160前後の身長にまで成長し、体はすっかり大人とも呼べるほどになっていた。


「ふぅ、終わった。」


 俺は一通り終えた仕事の達成感を味わいながら、冷えた水の入った水筒を煽るように飲み干した。


 乾いた喉を潤していく感覚に快感を覚えながらも、俺はあれからのことを思い返した。


 あれからアストの父であるデイルは、今まで雑貨やアクセサリーを売っていたのを、武器や道具を売る方向性に変え、それと同時に運送業も始めた。


 魔獣たちによる襲撃を受けた俺たちの街では、復興の為に大量の資金が必要であり、俺くらいの年齢の奴らはほとんど皆働いていた。


 唯一、働かずに勉強の道を歩んだのが、アスト。


 彼は政府に防衛軍に入りたい、と直訴したらしく、その甲斐あって軍の養成学校に入学、今頃は既に防衛軍に加入している頃だろう。


 家の話に戻ると、三年前にはアストの弟が誕生し、アルが結婚した。


 家族が一気に増えて、忙しい時期だったのだが、それももうすぐ終わってしまう。


「…やっと、だな。」


 俺は自室にあるカレンダーを想像しながら、薄く笑みを浮かべた。


 そのカレンダーには、翌日の日にちに、大きな丸印が付けられていた。

 

 俺の旅立ちの日だ。


◇◆◇◆◇


「全く、あのネウがもうすぐ軍人か…早いものだなぁ。」

「ジル兄、それ3週間前から言ってるよ。」


 昼休憩、俺とジルは2人並んでアストの母親が作ってくれた弁当を食べていた。


 明日になれば、俺も防衛軍になるために旅立つことになる。


 防衛軍になるには、大きく3つの道筋がある。

 ひとつ目は、お金を払って養成学校に入学し、そこから防衛軍に入る道。

 2つ目は、防衛軍本部が定期的にしている試験に応募し、入学する道。

 そして3つ目は、防衛軍の偉い人に推薦を貰って、軍人になる道。


 今回俺は、この街の防衛軍支部長に推薦を貰っている。


 それによって、防衛軍に入る手筈だ。 


(うまく、やれるだろうか…)


 そんな俺の不安を表情から読み取ったのか、ジルが思い切り俺の背中をぶっ叩いた。


「気に病むなよ、お前も今まで頑張ってきただろ?大丈夫だって!」


 そういってジルは、俺を満面の笑みで励ましてくれる。


「うん、そうだな。気に病む必要なんてないよな。」


 この四年間、俺は必死に体を鍛えてきた。


 そして、ガルやアル兄にも教えを請い、同年代の奴らとは比べ物にならない程だと言われたくらいだ。


「軍人なんて楽勝!!」

「おうよ!その意気だ!」


 そういって応援してくれるジルの言葉に、俺は少しだけ寂しく思う。


 軍人になれば、もうこの場所に帰って来ることは、そうそうないだろうから。




 仕事を終えた俺たちは、自宅兼事務所へと向かっていた。


「旦那、宅配の仕事は終えましたぜ!」

「そうか、ご苦労だったな。今日はもう休んでいいぞ。」


 机の上で事務作業をしていたデイルは、俺たちが帰ると顔を上げて出迎えた。

 俺はそのまま自室に戻ろうとするが、直前で止められた。


「ああ、ネウ。ガルが部屋に来いって呼んでたぞ。」

「はーい。」

 

 俺はなんだろうと疑問に思いながらも、2階部分にあるガルの自室へと向かった。


 ドアをノックすると、中からガルの入室を許可する声が聞こえ、俺はドアノブを捻って部屋に入った。


「呼ばれたから来たけど、どうかした?」

「ああ、お前に渡しておくものがあってな。」


 部屋に入ると、ガルは椅子に腰掛けていた。


 そこから立ち上がると、横にある棚の1番上からあるものを取り出し、俺に差し出してきた。


「これは?」

「お前を拾った時、巻いてあった布に入っていたものだ。」


 それは、全体が金色をしているネックレスだった。

 

 形は五角形の星に似ており、どこか懐かしみを覚えるものだった。


「裏を見てみろ。」

「?」


 ガルの言葉に不審がりながらも、俺はネックレスを裏返してみた。


 そこには、この世界の文字で、ある言葉が綴られていた。


『親愛なるネウ──』


 その後の文章は何かがこびり付いたかのように隠されていた。


「これって…」

「恐らく、お前の本当の親がくれたものだろう。それから、お前の今の名前を付けた。」

「…ふーん。」


 俺は何も言わずにネックレスを見つめた。

 親愛なる、と書いてあることから、俺のことを愛していたのだろう。


 ならば、何故俺を捨てたのだろうか…


 脳裏に、あの時の紅炎と銃声がフラッシュバックしてくる。

 それと同時に、あの黒髪の女性のことも。


「まあ、今の俺の親はガルやだから、あんまり気にしてないよ。」


 俺はそういってガルに笑いかけた。

 本音を言えば、両親に関しては気になっていた。

 だが、それよりも今まで育ててくれたガルたちへの感謝が勝っただけだった。


「…そうか。」


 ガルは短くそういうと、俺の頭を乱暴に撫でた。

 それは、あまり優しくはなかったが、大きな愛が感じられた。


「仕事にいってくる。」

「…うん。」


 俺を一通り撫でたガルは、そういって下へ降りていった。


「へへ…」


 俺は自室に戻ったあと、自分のベッドで思わずにやけてしまう。


 それは、気難しい父親に認められた嬉しさからだった。



 翌日、俺は旅支度を済ませ、家の入口の前に立っていた。


 目の前には、家族たちが一列にならんで見送りしてくれるようだ。


 右から、デイル、マリア、アストの弟、ガル、アル、アルの奥さん、ジル、といったそうそうたる面々だった。


「ネウ、アストを頼んだぞ。」

「気をつけてね。」

「兄ちゃんバイバイ!」

「…じゃあな。」

「じゃあねぇ〜。」

「元気でな!」


 みんなが声を掛けてくれる度に、俺の中で元気が溢れてくる。


 これならば、多少辛いことがあっても大丈夫だろう。


「こいつを持っていけ。」


 ガルが何かを差し出してくる。


「これは.......?」


 それらは、無骨ながらも年期を感じさせられる逸品たちだった。

 ひとつは刃渡り20センチほどのサバイバルナイフ。もうひとつは、改造に改造を重ねられた無骨なハンドガンだった。


「俺が昔から使い込んでいたナイフと拳銃だ。使うといい。」

「…うん、ありがとう。」


 なんだかんだいいながら、ガルからなにかをプレゼントされたのは始めてかもしれない、そんなことを考えながら、流れ落ちそうになる涙を強引に拭った。


「よし、じゃあみんな、行ってくる!!」


 俺は、家族みんなに対して、満面の笑顔で返した。

 そうして、度々後ろを振り返りながら、街の出口へと歩いていった。


◆◇◆◇◆


「く〜、体が固くなってる。この世界のクルマは揺れが凄いな。いや、道路が整備されてないからか?」


 故郷を出てから、乗り合いのバスに乗ること6時間近く、ぎゅうぎゅうとした車内からようやく解放された俺は、ガチガチに固まった筋肉をほぐす。


「だけど、ついに着いたな。」


 俺の視線の先、そこには人の世の中でも、最大級の建物がそびえ立っていた。


「着いたぞ、首都バルチザス!」


 俺は防衛軍の本拠地がある首都へと到着していた。


 街の様子はザ・首都といった感じで、たくさんの建物が並び、生活が豊かなのか笑顔の人々が多いように感じた。


「まずは、この人に会わないといけないな。」


 俺は懐から、軍への推薦状を取り出した。


「クシャクシャにしないように気をつけたけど.......大丈夫かな?」


 少し不安だったが、俺は足早に軍基地に向かった。


「近くで見ると本当にデカイな…。」


 俺は防衛軍基地本部の正面まで来ていた。


 現代日本の記憶によると、国会議事堂の倍ほどはあるようだ。


「あのすいません。人に会いたいんですけど。あ、これ紹介状です。」

「ん、なんだ…!」


 俺は門の前を警備していた男性に話しかけ、推薦状を渡した。


 警備員は推薦状に記された名前を見ると、一瞬おどろいたように目を丸くした。


 しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように紹介状を返してくれた。


「どうやら本物のようだな。待合室で待っておくといい。」


 そういって警備員は待合室までの道のりを教えてくれた。


 いい人のようで助かった。

 そう思いながら、軍基地の内部へと入っていく。


「すげぇ.......」


 中に入るとまず目に飛び込んできたのは、とんでもない大きさをした旗だった。

 その旗は、天井から吊るされるように飾られており、柄は目が冴え渡るほど綺麗な色をした真紅、旗の中心には龍を連想させるた紋章が記されていた。


 この五年で勉強した知識によると、これは国から防衛軍に与えられた名誉ある軍旗らしい。

 

 これを見るためだけのために首都にくる人もいるようで、この辺りは人で賑わっているようだ。


 俺は先程の警備員に教えられた待合室を探して歩く。


 そうしていると、本物の軍人と思われる人達ともすれ違う。


「.......すげぇ、超かっこいい」


 すれ違った軍人は、それはもうかっこよかった。


 背筋がピンとして堂々としており、その身に包む軍服は仕立ての良い高級なもの。

 そして、なんといってもその雰囲気。歴戦の空気を纏っており、俺なんかが百人いたとしても片手で殲滅されてしまうほどの覇気を纏っていた。


「あれが本物、ここが本場か.......」


 故郷の軍人たちはなんというか、親しみやすいといった人達が多かったが、ここはそこまで甘くなさそうだ。

 

 俺は少し息を吸い込み深呼吸すると、緊張を解して進んだ。


 教えられた待合室にはすぐに着いた。一号室とかかれているので間違いない。

 中はソファー二つと机1つが並んでおり、俺は片方のソファーに腰掛け、荷物を下ろした。


「.......ふぅ、」


 まだ何もしていないのに疲れてしまった。これからが本番なのだ、気を引き締めなおそう。そう思った。


 ふと、部屋のソファーに気が止まった。

 手で軽く押してみると、心地よい反発力が返ってきた。


「.......超高そうだな、これ。」


 下手したら、このソファーだけでしばらく食っていけそうだ。


 待合室で待つこと数十分、ちょっと長いなと思い始めていたころだった。


「待たせたな。」


 先程の軍人よりも明らかに高そうな軍服に、高価な装飾品で身を包んだ、いかにも偉そうな人物が部屋の中に入ってきた。

 

 俺は立ち上がって挨拶をしようとしたが、その前に相手に制しられた。


「いい。あいつのことだ、弟子…いや、息子に礼儀作法を教えこんでいるとは思えないからな。自己紹介だけ頼む。」

「あ、ありがとうございます」


 そのどこかガルのことをよく知りながらも、どことなく彼を敬う態度は、俺に対して少き好感を与えた。


 我ながら少しチョロいと思う。


「俺の名前はネウ。ご存知の通り、ガルの息子で、弟子です。ここには、防衛軍に入るために来ました。」


 俺は、決して失礼のないように、それでいて勇ましく見えるように、背筋を伸ばし、表情を引き締めて答えた。

 それに相手も満足したのか、返答してくれた。

 

「私の名前はジュラサム、ジュラサム・エルクレム一等防衛官だ。君の親であり師匠のガルとは…まあ、長い仲だと言っておこう。」


 ジェラサムさんは、高価なアクセサリーに身を包んでいるが、服の上からでも分かるほど盛り上がった筋肉は、歴戦の雰囲気を醸し出していた。


 彼は「最初に言っておく。」と前置きすると、鋭い目付きでこう答えた。


「私は君を歓迎しよう。だが、特別扱いはしない。」


 その言葉に俺は息を飲む、それは彼の眼光と言い方が、とてつもない威圧感を纏っていたからだ。

 俺は再び気を付け直すと、ジェラサムさんの話に耳を傾ける。


「まず、君にはこれから軍の中でも下っ端の下っ端である5等訓練官として生活してもらう。衣食住はこちらが準備するので問題は無い。」

「あ、はい。問題ありません。」


 5等訓練官とは、防衛軍の階級の一つだ。


 まず、防衛軍には、大きくわけて6つの階級がある。上から順に特等防衛官、1等防衛官、2等、3等、4等とあり、一番下に位置するのが5等防衛官だ。

 5等防衛官は、言ってしまえば見習いのようなものであり、それから上に上がるためには、その都度の設定された点数を、訓練などで取らなければならない。

 

 勉強の成果が出ているようだ。


「ガルの息子というのなら、期待も出来る。さて.......」


 俺がジェラサムさんの言葉に耳を傾けていると、ジェラサムさんの傍にいた秘書のような女性が彼にそっと耳打ちをした。


「.......そうか。すまない、どうやら急用のようだ。後のことは彼に任せよう。」


 ジェラサムさんは、話が終わると部屋の外から男の人を呼んだ。

 すると俺は、その男性をどこかで見た事のあるような既視感を覚えた。


「あ、もしかして…」

「やあ、久しぶり。元気だったか、少年。」


 彼は、過去に俺を獅子の魔物から助けてくれた軍人だった。


「さあ、君はこっちだ。」


 彼の言うことに従い、ジェラサムさんに礼をし、荷物を持って部屋を出た。

 その道すがら、彼とは世間話をした。


「まさか、君がここに来るなんて思っていなかったよ。まぁ、そんな予感は少ししてたんだけどね。」

「あはは、ありがとうございます。。」

「でも、ここからが防衛軍の最初の関門だ。なんといっても、ここには国中から優秀な人が集まるからね。」


 そんな話をしながら、基地内を歩く。


「えっと、これはどこに向かっているんですか?」

「君が寝泊まりするための寮さ。少し特殊な場所だけど、気にしないでね。」

「あ、はい?」


 少し含みのある物言いに疑問を持ったが、ニコニコと笑う男性を見ると、気にしたら負けという気がした。


 そうこうしているうちに、敷地内の奥に奥へと進んでいく。


「やっぱり広いですね。」

「そうだね、なんて言っても本部だからね。確か、この街の五パーセントを占めてるんじゃなかったかな?」


 首都の広さは、確か4000平方キロメートルほどのはずなので、その五パーセントと言えば.......約200平方キロメートルか。


 それは広いわけだ。


「あ、そうだ、いまのウチに渡しておこう。」

「?」


 男性はそう言うと、懐から1つのカードの様な物を取り出し、俺に差し出した。


「こ、これは.......」

「魔術式軍人証明書、それでいま自分の持っている点数や所属なんかを確認することが出来るよ。失くさないようにね。」

「は、はい。」

 

 それは一見ただのカードのような見た目をしてはいるが、その表面には俺の年齢から性別、顔写真や今ある点数などが記載されていた。

 しかも.......


「うぉ!」

「あ、驚いた?それすごいよね、少し前に技術部門が新開発したらしくて、上も大喜びしてたよ。」

 

 俺が驚いた理由は、カードの表面を俺が触れると、まるでスマホのようにスクロールすることが出来たからだ。


 スマホのように、とは言ったものの、カードであるこちらの方が薄くそして軽い。

 

 もしかすると現代日本よりも、この世界の方が技術が進んでいるのかもしれない。


 技術、というと、この世界の技術レベルは少し複雑だ。


 少し前まで.......俺が10歳未満の頃は、技術や文明もそこまで発達しておらず、せいぜい戦後の日本程度だった。


 しかし、魔獣たちによる襲撃から、技術レベルが桁違いに上がり始めた。

 銃や兵器の開発も進み、今では現代日本

 

 そんな話しをしていると、俺が寝泊まりするらしい寮に着いた。

 そこは、築十数年は経っていそうな木製で二階建ての建物だった。

 中に入ってみると、そこそこ綺麗にしてはあり、奥を覗き見ると共有の台所やリビングらしきところもあった。


 俺の部屋はそこの2階で、一番端の部屋だった。


「多少ボロいけど、他に空きがなかったんだ、許してくれ。」


 どうやら、他の訓練官のほとんどは新設した寮に住んでいるらしいが、生憎そこは既に満員のようだ。


「君も明日から訓練に参加してもらうから、そのつもりで。あ、そういえば申し遅れた、俺の名前はイーゴだ。よろしくな。」


 彼の名前はイーゴらしい。実は大昔一度話したことがあったのだが、俺も忘れていたので助かった。


「あ、一つ聞きたいことがあるんですけど。」

「なんだい?」

「アストって、いまどうしてます?」

 

 俺の質問に、イーゴさんはニヤリと意味深な笑みを浮かべると、こういった。


「さあ。でも、楽しみにしているといいよ。」


 そういって去っていった。残された俺は少しの不安とそれ以上の好奇心に満ち溢れていた。


「アストか…気になるな。」


 俺は、アストが今頃どのように成長しているのか、そして、自分はそれに届いているのか、それを確かめるのが少しだけ楽しみになった。



◆◇◆◇◆



 荷物を整理し終え、与えらた部屋でゆっくりしていると、突然ドアがコンコン、とノックされた。


(イーゴさん?それともほかの訓練官か?)


 そんなことを思いながら、返事をしてドアを開けた。


「……あ」


 するとそこには、キレイな桃色の髪を短く切った可愛らしい少女が立っていた。

 どうやら俺の他にもこの寮に住んでいる人だったらしい。


 その子は俺の姿に目を丸くし、口をあんぐりと開けている。


「あ、あの、どうかしました?」

「……へ、」

「へ?」


 どこか様子がおかしいので、少し肩を揺らそうとすると、彼女はけたたましい声で叫んだ。


「へんたいーー!!!!!」

「ファ!?」


 そう言い残すと、彼女は叫びながら下へと降りていってしまった。


 一瞬の出来事に放心しかけた俺は、遅れて事態の飲み込みに成功する。


(ともかく、このままだと変態に認定されてしまう!)


 それはまずいと、俺は気を取り直すと、階段を2段とばしでかけ下りる。


 階段を降りた先には、先程の少女が数人の人物たちと話していた。

 歳は俺とそれほど離れてないように見えるので、ここに住む例の訓練官たちだろう。


「ほ、ほら!あの人です!あの人が変態さんです!私の下着を盗みに来たんですぅ!」

「ちがうわ!俺は新しい訓練官だよ!」


 とんでもないことを口走る少女に、俺は思わず大きな声で反論してしまう。


 それにより一層怯えてしまったのか、彼女は涙目になりながら他の人物たちの背中に隠れてしまった。


「新しい訓練官、そういえば来るのは今日でしたね。マナ、この人は現時点では変態ではありません、安心してください。」

「ちょっと待って、これから変態になるかのような言い方やめて。」


 そんな失礼なことを言ってきたのは、比較的小柄で、俺よりも少し薄い黒髪をおカッパのようにした少女だった。

 その少しタレている目は、目が合った相手になんとなく威圧感を与えてくる。


「まあ、玄関で立ち話もなんですし、あとはリビングでお話しませんか?」


 薄い金髪を耳まで切りそろえた少年が、そういって提案してきたので、俺たちはひとまずリビングまで移動した。


「ええと、自己紹介をすると、俺の名前はネウ、今日からここの寮に入って、明日から訓練に参加することになります。だから、よろしくお願いします。」


 リビングの机に座った俺がそういって敬語で自己紹介すると、他の面々も順番に自分の名前を明かしてくれた。


「私の名前はシイナです。よろしくお願いします。」


 黒髪おカッパの名前はシイナらしい。あまりお喋りをするタイプでは無さそうだ。ていうか、どことなく日本の歌手を思い出させるな。


「僕の名前はアノールです。ここにいるのは皆歳が近いので、敬語はいいですよ。ところで、紅茶を入れたのでどうぞ。」

「あ、ありがとう、」


 アノールという金髪の少年は礼儀正しく、俺たち全員の前にお茶を運んできてくれる。


 ありがたく頂こうと思い、カップを手に取りそれを口に含んだ。


 吹き出してしまいそうになった。


(な、なんだこの紅茶、めっちゃまずい…)


 普通の紅茶は風味とほんのりとした甘みが特徴的だが、これは甘みというよりエグ味が口に広がり、風味と呼ぶにはおぞましい香りが鼻いっぱいに広がる。


(なんだこれ、ここではこれが普通の紅茶なのか?)

 

 そう思い、周りをチラ見してみた。


(誰一人手をつけてないんだけど!?)


 その場にいる全員が、紅茶の存在そのものを無視しているかのように無反応である。


「さあ、どうですか?僕の入れた紅茶は?」


 アノールはそういってニコニコ笑いながら俺に問いかけてくる。

 一瞬、嫌がらせか?と疑いもしたが、そのキラキラとした純粋な目を見ると、そんな気も失せてしまった。


(腹を決めるか…!)


 俺は大きく息を吸って、吐き、また吸う、と同時にカップに残る全ての茶を胃袋へと叩き落とした。


「…………結構なお手前で…。」


 そして、できる限りの笑顔を作ってそう答えた。

 アノール以外の人達にはそれが演技だとひと目で分かったかもしれないが、本人は違ったようで、余程嬉しかったのか「それではお代わりを…」とまた同じ惨劇を繰り返そうとしていた。


 めっちゃ丁重にお断りした。


「さて、次は俺の番だな。」


 そういって立ち上がったのは、濃い赤髪を短く切った少年だった。

 訓練官は皆白の軍服を着ているのだが、彼はそれを着崩していた。


「俺の名前はカルア、よろしくな!」


 彼の名前はカルアというらしい。


 …格好と言葉の端々から、どことなくチャラ男感が漂ってくる。 まあ、偏見だろう。人は見かけに寄らないだろうし…


「ちなみに好きなことは女の子と遊ぶこと、趣味は女の子とお話することだぜ。」


 …訂正、やはり人は性格が見た目に現れるらしい。


「さて…ええと、そろそろ落ち着いてくれないか?」


 俺は、相変わらずシイナの背中に隠れている桃髪の少女に言った。


 彼女は少しの間ビクビクしていたが、意を決したのか、オロオロとしながらも口を開いた。


「わ、私は、マ、マナです…、よろしくおねがいします…。」


 そういってマナは蚊が鳴くような声でそういった。


「えっと最後は…」


 俺は最後の一人に目を向けた。


「……………………。」


 彼女は色素の薄い髪をショートヘアーにしたスレンダーな少女だった。


 彼女はその特徴的な鋭い目で俺を一瞥すると、ため息を吐きながら興味なさげに目を逸らした。


 …俺のガラスの何かにピシッとヒビが入る幻聴がした。


 俺が胸に生じた激痛を抑えていると、カルアが代わりに紹介してくれた。


「悪いな、この子の名前はリラ。ちょ〜っと無愛想で素直じゃないけど、本質はたぶんかわい…」

「死ね」


 リラの容赦のない言ノ刃が、カルアの心の臓を深々と抉る。

 結果、胸を抑えた心の負傷者が二人に増えた。


「あ、あの、もう遅いのでご飯にしませんか?」

「いいですね、ネウさんの歓迎会もしたいですし。」


 マナとシイナのフォローでなんとか持ち直した俺たちは、みんなで夕飯の用意を始めた。


「夕飯は自炊なのか。」

「はい。たまに新館の食堂も使うのですが、こちらの方が近いし早く仕上がるんです。」


 食事の準備は当番制らしく、今日はシイナとマナが担当らしい。


 俺はここでは新人なので、周りに気を配りながら、準備を手伝った。


 できた料理は、野菜と肉を牛乳で煮込んだシチューと堅焼きパンだった。


 それを机に全員分並べると、各々のタイミングで食べ始める。

 この世界では、いただきますという習慣はあまり浸透していないようだ。


「お、これめっちゃ美味しいな。」


 俺は右手にパン、左手にスプーン持ったまま言った。

 故郷でも、このような料理を何度か食べたことがあったが、それよりも若干美味しく感じた。

 

「マナは人見知りが酷いですが、それ以外は結構器用なんです。なので、最近はみんなマナの料理を楽しみにして、それ以外の料理を乗り切っています。」

「え、何それ希望がないと食べられないレベルの奴が出てくるの?」


 俺がこれから出てくるであろう料理の数々に恐怖を覚えていると、ガタンと物音がした。


 どうやら、どこかへと行っていた様子のカルアが息を切らしてやってきた。


「ど、どうしたんだ?」

「へへ、俺、やってやったぜ。」

「え?」

「…上官の食料庫から、酒を取ってきた。」


 そう言い放ったカルアの手には、ワインらしき酒瓶があった。


「え!?それってダメなんじゃ…」

「バレなきゃセーフだって、それに今日はお前のお祝いもあるからな。」


 そういってカルアは笑いながらコップにお酒を注いだ。


「全く、これでルール違反は何度目か。バレたら大変なことになります。なので、私も隠蔽に力を貸すとしましょう。」

「ワインなんて久しぶりですね。僕にも注いでくれよ。」

「わ、私も飲みたいです…!」


 どうやら他の皆もお酒を飲みたいようで、各々が自分のコップを準備している。


 そんな中で、リラはため息を吐きながら席を立つと、自分の部屋に帰っていった。


「……?」

「ああ、あいつはマナちゃんよりも人見知りなんだよ…たぶん。だから、人が集まる所にも行きたがらないんだ…たぶん。」

「全然自信ないじゃん。」


 俺はそんな会話に思わず吹き出してしまう。


(どうやら、ここでも楽しく過ごせそうだ。)


 不安な要素も多々あるが、それでも俺は防衛官になるために努力して、そして楽しもうと思い、今世初のお酒にドキドキしながらワインを呑んだ。


 

 めっちゃ酸っぱかった。


●○●○●


 とある真夜中の執務室、そこでは一人の男が夜月を眺めていた。


 そこに、ノックが響き、遅れてドアが開かれる。

 そこには門を守っているはずの警備員が立っていた。

 昼間、ネウが話しかけた警備員の男性だ。


「ジェラサム一等防衛官殿、報告にまいりました。」


 彼の言葉に男─ジェラサムは怪訝な顔をした。


「そんなに硬くならなくていいぞ?」

「…フッ、ありがてぇ。」


 ジェラサムの言葉に彼は薄く笑い、途端に態度が軟化する。


「で、あの小僧は何者なんだ?あのガルからの推薦状を持っているなど、普通はありえないぞ。」

 

 彼は部屋の椅子にドカりと座るや否や、単刀直入に言い放った。


 それに対しジェラサムはゆっくりと椅子に座り、単調に話し始める。


「まず、彼がガルの息子という話だが、事実だ。先日、私宛にガルの手紙が届いた。なんでも、才能のある有望なやつらしい。」

「ふむ、あのガルが推薦…それに息子か、にわかには信じられないな。」

「奴も時代と共に丸くなったのだろう。」

「まさか、あの凶刃がそうそう丸くなるとは思えん。」


 二人はひっそりと笑い合うと、途端に表情を鋭くした。


「で、本人はどうだった?」


 彼はわざと濁して問うと、ジェラサムは一呼吸置いたあと、告げた。


「私の魔術によると…彼はあの歳で人を殺している、何人もな。」


 月下の密かなる談話を、ネウはまだ知らない。

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