第3話 あの日

「ハァ、ハァ、ハァ。」


 俺は荒い息を繰り返していた。

 場所は、走っている内に居住区から工業区へと変わったようだ。


 だが、未だに対象に追いつくことが出来ない。

 それは、俺の体力やスピードが奴に負けているからでは無い。


「やっぱり、戦略性はそっちの方が上か…!」


 俺は、少し遠くを走るアストを見て、誰に言うまでもなくそう呟いた。


 アストとの距離はそう離れてはいない。行こうと思えば、すぐだろう。

 だが、それまでの間、アストが素直にじっとしている訳が無い。


「時間はたぶんあと少ししかない、やるしかないか。」


 俺は覚悟を決める。

 走って追いつけないなら、策で裏をかくしかない。


 俺は再び、アストを追い始める。


 アストはそれに反応し、すぐに逃亡を始めた。


 俺は、工業区の建物の屋根を飛び回りながら、アストを追い詰める。


 だが、アストも負けていない。


 建物の影や死角を狙い、俺を撒こうと細工する。

 だが、ここで見失ってしまっては、時間切れまで見つけることは、不可能に近いだろう。

 俺は、必死にアストへ追い縋り、バレないように慎重に誘導していく。


「…ここだ。」


 俺は一人つぶやいた。


 場所は死角の多い建物街。

 きっとアストは、俺を撒くために、視界を切ってくるだろう。


「そこが狙い目…。」


 俺は付かず離れずの距離で、アストを追い詰める。


 そして、何があろうとも見逃さぬように、アストを目を皿のようにして見つめた。


 そして、アストが建物の煙突の影に隠れた次の瞬間、その姿は跡形もなく消えていた。


「いま!」


 俺は急いで建物の下に降り、貯めていた力を一気に解放し、建物と建物の間を走り抜ける。


 アストは俺が建物の上を飛んでくると思っているだろうから、俺は奴の計算を狂わすように、最短距離を走り、先回りする。


 先回りに成功した俺は、裏路地の影に隠れ、静かに耳を澄ませた。


「………………。」


 あまり長くはない時間が流れ、やがてコツコツという一人分の足音が聞こえてきた。


 よし、俺は心の中でガッツポーズをする。

 だが、まだ油断は出来ない。

 俺は足音がギリギリに迫るまで、息を殺し続けた。


 音からして、あと十メートルくらいか。

 

(少しスピードが遅いな。疲れているのか?)


 俺は少し疑問に思ったが、油断するようなことはしなかった。

 アストはあんな顔をして、勝負事では、なかなかに強かだからだ。演技をしていたとしても、不思議ではない。

 油断をしないように務める俺を他所に、足音の距離はどんどん近づいてくる。


 ここに到達するまで、約七メートル──五メートル─三メートル─一メートル。


 遂に、足音の正体が、俺の視界の端に映った。


「……わぁ!!!」


 俺は、息を思い切り吸い、大声を出しながら、足音の主へと飛びかかった。


 てっきり俺は、アストの情けない悲鳴が聞こえると思っていたのだが、


「ひゃあぁ!?」


 実際に聞こえたのは、甲高い少女の声だった。


(あら?)


 俺は疑問に思ったが、もう既に体は飛び出しており、止めることなど不可能だった。


「「うわぁぁぉ!」」


 俺と少女は、互いにぶつかり合い、二人分の悲鳴と共に、ゴロゴロと路地を転がった。


「いてて、ごめん。大丈夫…」


 俺は、間違えてしまった事を謝ろうと、つい瞑ってしまった瞼を持ち上げ、声を掛けた。


 しかし、その言葉を最後まで紡ぐことは出来なかった。


 それは、少女が俺の腹の上に馬乗りになっていたから、では無い。


 いや、それも原因としてはあるが、さしたるものではなかった。


 最大の原因は、その少女の格好があまりにもおかしかったからだ。


 頭からフードが付いた外套で身を包み、肌を一切露出していない。

 今はまだ、真夏ではないが、暑くない訳でもなく、俺も他の友人たちも、半袖で活動している。

 だというのに、何故この少女は、暑さも気にせず、こんな厚着をしているのだろうか?


 そんな、俺の疑問は、次の瞬間に頭の隅へと吹き飛んだ。


「……あ。」


 俺は思わず、声をあげてしまった。


 少女が被ったフードの中から、一筋の髪の毛が垂れていたからだ。


 その髪は、俺が今まで見てきたどんな色よりも綺麗で、心奪われるほどに綺麗な銀色をしていた。


 まるで、天上から下界に差し込む、一途の光のような──


「………!?」


 少女はようやく自分が馬乗りになっていることに気づいたのか、一瞬で俺の上から飛び出すと、道の端にうずくまってしまった。


「ええと…」

「....ビクッ!!」


 俺が声をかけようとするが、少女は驚いたように体をビクつかせて、震えていた。


 俺は、できるだけ優しい声で、怖がらせないように努めた。


「ごめんな、遊んでいたら友達と間違えたみたいなんだ。怪我はないか?」


 少女は一瞬ポカン、とした雰囲気を見せたが、すぐに首を縦に降った。

 しかし、その衝動で、またフードの中から綺麗な銀髪が飛び出てきた。


「あ、髪が飛び出てるぞ?だい…」


 大丈夫か?俺はそう続けようとしたのだが、それは劇的な少女の反応にかき消された。


 少女はすぐに、垂れた自分の髪を、フードの中に押し込み、そっぽを向いてしまった。

 俺は、突然の出来事に、呆けてしまった。


「……………みた?」


 しばらくすると落ち着いたのか、少女は蚊の鳴くような声でそう問いかけた。


「あ、なんかごめん。あまりに綺麗な髪だったから見とれちゃったんだ。」


 俺は、嘘偽りない心情を吐露した。

 その言葉通り、否、それ以上に少女の髪はとても美しかったからだ。


「…………え?」


 だが、その言葉に少女は、間の抜けたような雰囲気と声で返した。


「きれい?コレが?」

「え?うん、凄い綺麗だと思うけど。」


 俺は質問の意図が読めず、思わず首を傾げた。

 そのまま、間の悪い沈黙が流れ、なんとなく気まずくなってきた時だった。


「わぁ!!」

「うぉぉ!!」


 突然、背後から肩に、衝撃と大声が襲ってきた。

 それに驚いた俺は、飛び上がり、そのままの勢いで後ろを向いた。


「な、なんだ、アストかよ…。」

「アハハ、ネウやっぱりいい反応するよね。」


 後ろにいたのはアストだった。どうやら少女の事に意識を取られすぎて、周囲が疎かになっていたようだ。


「鬼ごっこは時間切れで僕の勝ちだって伝えに来たんだけど、アレ?その子どうしたの?」


 アストは、どうやら少女に気がついたようだ。

 俺はアストに、事の顛末を話した。

 アストを捕まえるために先回りしたこと、その時に間違えてこの子と出会ったこと等だ。

 ただ、少女の髪のことだけは黙っておいた。

 少女の反応からして、隠しておきたいことのように感じたからだ。


「うーん、もしかしたら迷子かな?」

「ああ、それはあるかもな。」


 俺は、アストの言葉に納得した。

 自慢ではないが、俺たちが育ったこの街は、とても広い。


 ほとんどの住人たちが住む居住区、常に開発の煙が立ち上る工業区、あらゆるものが売ってある商業区の三つに大きく分れており、それらを繋ぐ道が乱雑していて、道と建物がごちゃごちゃしているのだ。


 まだ慣れていない時は、よく迷子になったものだ。


「格好から見て外の人だろう?親が商業区の宿にでもにいるんじゃないかな?」


 アストはそういって少女に視線を向けた。

 少女は一瞬間を置いたが、コクリと頷いた。


「やっぱり、それじゃあさ、僕らで商業区まで案内してあげようよ。」


 アストは、目をキラキラさせながら、そう言い出した。

 俺には分かる、あれはきっと、面白そうなことを見つけた時の目だ。


(まあ、実際このままこの子をほっとく訳にも行かないしな)


「いいなそれ。そうだ、お前はどうだ?」


 俺は、少女に問いかけ、手を差し伸べた。

 少女は、差し出された手を見ると、少し迷ったような雰囲気を出した。


(あ、もしかして、知らない人について行ったらダメとかあるのかな。)


 だとすれば、せめて大通りまでは案内してあげよう、そう思っていたのだが、少女は少し迷うと、俺の差し出した手をギュッと握った。


「じゃあ、いこう。」


 俺は嬉しいような恥ずかしいような、ごちゃごちゃした気持ちになると、それを隠すように大きな声でぶっきらぼうに言った。


◇◆◇◆◇


「アレが美味しい串焼き屋さんで、店主はあんな怖い顔してるけど、子供にはサービスしてくれるぜ。」

「あ、ほら、あそこのお土産屋さん、変なの売ってるでしょ。アレがこの街の特産らしいけど、他に売ってるとこ見たことないんだよね。」


 俺たちは、商業区に行く道すがら、少女にオススメのお店と、行かない方がいい店を教えていた。

 少女は、俺たちの話に、タジタジになりながらも、聞き入っていた。


「あ、ほら、アレ見て。この街の目玉。」


 アストがそういって指さす場所には、とても大きな建物がそそり立っていた。


「アレがこの街の防衛軍基地。あそこにいるのが、すっごくかっこいい軍人たちなんだよ!!」

(始まった…)


 俺は内心ため息をついた。

 アストは、超がつくほどの軍オタなのだ。

 そりゃ、年に数回ある軍人の公開訓練に毎回見に行くくらいには。 

 まあ、俺も軍人が格好よくて好きではあるが、アストほどではない。


「ほら、早く行かないと日が暮れちゃうぜ。」

「…はーい。」


 アストはしぶしぶといった様子だったが納得した。

 しかたない。何故ならば、一度軍の事を話し始めたアストは、ちょっとやそっとの事では止まらないからだ。


(早くこの子を送って帰ろう。)

 

 そんな呑気な事を考えている時だった。


 ふと、何かの異変に気づいた。


 後ろを見ると、アストは足を止め、ある方向を見ていた。


「おい、何してるんだよ。早くいこうぜ。」


 俺は呆れながらも、笑いながらそういった。

 アストは普段はしっかりしているが、年相応に幼い部分もあるのだ。

 そういう所もあっていいと思うが、今は早くこの子を送ってあげたかった。


「違う。」


 しかし、アストはそんな幼い顔などしていなかった。

 真面目な、それも疑問で満ちたような顔をしていた。


 そこで、気づいた。


 街行く人達のほとんどが、同じように足を止め、一つの方角を見つめていることを。


「あれ、なんだろう。」


 アストの言葉に、俺は疑問を感じながら、目を向けた。


 その視線の先には、街全体を覆うほど大きさの巨大な砦の一部があった。


 俺が小さいころから街を守ってきた砦、そんな場所に一つだけ異常な点があった。


「…人影、か?」


 砦の上に、不自然な人影があった。

 

 それを見つけた瞬間、俺は違和感に襲われた。


 普通、あんな小さな人影、見つける方が難しいだろう。


 そんなゴミみたいに小さな人影に、道行く人のほとんどが目を奪われている、そんな光景が不自然で、違和感で、気持ち悪かった。


 自然と動悸が早くなっていくのを感じる。


 まるで存在してはいけない存在が、周りを土足で踏み荒らしているような、胸を掻きむしりたくなる不快感と不安が、人影から滲み出していた。


 だからだろうか、俺の目には次の瞬間、人影がやった行動がはっきりと映っていた。


 人影は、片手を上げ、なにかの合図のような行動をした。

 

 その時だった。


 人影の後ろから、とても大きな何かの影が現れた。


 それは、大きな、巨大な蜥蜴のような容姿をしていた。


「は?」


 俺は何が起こっているのか理解することが出来なかった。


 あまりの衝撃のあまり、脳が正常に機能しなかった。


 だが、それはまだ、絶望の序章にすら過ぎなかった。


 人影が天高く挙げた手を、一気に振り下ろす。

 それに呼応するように、蜥蜴は大きく口を開け、そして咆哮した。


『グルォォォォォ!!!!』


 大地を揺らすほどの衝撃波と共に、光の柱が、蜥蜴の口から飛び出した。


 すると今度は後ろから、何かが爆発するような音が聞こえてきた。


 俺が急いで振り返ると、その光線は防衛軍の基地へと直撃していた。


「……は?」

 

 俺は思わず間の抜けたような声を出した。

 今まで、十年間に及び培ってきた常識が、跡形もなく消し飛ばされていく光景に、脳が理解することを拒んだのだ。


 人影が、もう片方の手を上げた。


 すると、人影の後ろから、おびただしいほど数の異形が現れた。


 それらは、虎のような、熊のような、鳥のような姿形をしており、全てに共通しているものは、俺が知るそれらよりも巨大であることぐらいだった。


「……魔獣。」


 誰かがそう呟いた。


 それに応えるように、人影は挙げた手を、振り下ろした。


 その時、俺の耳に、幻聴が聞こえた。


『蹂躙せよ』


 その言葉に従うように、魔獣たちは一斉に動き始めた。


『──────!!!!!』


 その瞬間、人々は堰を切ったように逃げ惑い始めた。


 平和な日常が、地獄へと変わる瞬間、俺は自分が思い違いをしていることを思い出した。


 ここは、平和な日本でも、俺が知っている地球ですらない。


 危険で、残酷で、弱肉強食の──


「異世界だ。」


 俺は思わず呟いた。


 それに呼応するかのように、基地を破壊した巨大な蜥蜴型の魔獣が、天に向かって咆哮した。

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