刑事課、干支について駄弁る

「なんで私は年男になれないんですかねえ」


 新渡戸にとべはタバコの一服中、嘆きのように声を絞り出した。

 古登ことは一瞬きょとんとしたのち「いや、丑年うしどしじゃん、お前。今年、年男だろ?」と返す。


「いや、確かに私は丑年ですが、ほら、種族的にね?」

「今のご時世種族なんて関係ないと思うけど」


 古登は改めて新渡戸の全身を見る。古登と同じダークスーツに身を包み、そのスマートな体の線をくっきりと映し出しているが、そのスーツの下は人間とは違い、灰色の毛でおおわれていることを古登は知っている。頭の上方にぴんとたつ凛々しい耳、くりんとした黄色の瞳と、その愛くるしい顔、タバコを持つ手、足はすべていわゆる猫という生物の特徴を表していた。古登と同じ点は二足歩行であることと同一の言語を話す点だ。



 520年前、科学技術が特異点を超え、空想だと思われたあらゆる事象が実現可能となった。時空を超えることすら不可能ではないとなった世界では生物の進化も劇的なものだった。今でさえ猫や犬、数多くの種族はヒトと同じ知的生命体として扱われているが、その特異点を超える以前、彼らはヒトとは別の枠組みだったと古登は学んだ。

 一緒にタバコを吸う新渡戸の姿を見ているとにわかには信じがたい。



「いくら君が猫だからといって猫年がないことを気に病むことはないんじゃないか? ほら、ヒトにもヒト年なんてものないし」

「ヒトは別ですよ。何千年も前からそのままの形で存在し続けている知的生命体ですし。私たち猫はほんの数百年前に知的生命体として認識された、いわゆる種族的な若輩者じゃくはいものですよ」

「いやいや、それは悲観的な考え方だよ。土俵が同じなら若者だろうが老人だろうが、実力がものをいうはずさ」


 新渡戸は煙を吐き出し、「それは建前だ」と小さくつぶやいた。


「なんで猫年はないのでしょうか」

「……書物によるとうん千年も前に動物たちが干支を決める徒競走をしたらしい。猫も参加する予定だったが、ずるがしこいネズミに誤った徒競走の開催日を教えられて土俵にも上がれなかったということらしい。まあつまり君たち猫には非はなくすべてはネズミのせいってわけさ」

「一部の地域では猫とネズミの紛争が絶えないのもそれが理由ですか」

「そういうことだ」


 生物が劇的な進化を迎えたとしても積極的に推し進める生存競争に参加する必要がなければ進化しない種も存在する。猫や犬、その他多くの愛玩動物ペットはその代表的な例であった。

 まず、進化した凶暴な植物昆虫節足動物たちが猛威を振るう。それに抵抗するかのように野生の動物たちが進化した。しかし、ヒトに守られる愛玩動物たちはその例には含まれない。彼らは彼ら自身のかわいらしさを持つことでのみ生き延びることが許されたのだ。

 対して、狩りや生産活動を行う者たちが進化の過程でヒトとの意思疎通を可能としたのも当然の理である。新渡戸たち猫人族ねこびとぞくもその一例で、野生の猫が進化した結果である。それまで長きにわたって繰り広げられた他種族間での食物連鎖も変化が訪れ、追う追われる関係であった猫ネズミも手を取り合うことが多くなった。それでも一部地域や水面下では本能に根差された猫によるネズミいじめ、ネズミによる猫嫌悪は今でもなお終結していない。


 新渡戸はため息をつく。


「確かにそれはネズミが悪いことをしたと思います。しかしそれは何千年も前の話ですよね? なぜそれが今までずっと続くのですか? 過去のしがらみなど捨ててしまいましょうよ。ヒトだって過去は我々を愛玩動物として扱っていましたが、現在は同じ知的生命体として扱っているではないですか? まあ、法律上はですが」

「確かにな」

「猫もネズミを襲うことをやめ、ネズミも猫お断りのお店を開かなくなり、猫は干支に参入! いいことづくめじゃないですか」

「そううまくいくかぁ? 本能にはあらがえないものだぞ」


 古登はしばし考え「いや待てよ」と手をたたく。


「選挙があるじゃないか。立候補して干支への猫導入を提案してみたら? 猫人族からの得票率は高くなると思うし良いところまでいくんじゃないか? 立法として成り立ったら本能だとしてもさすがにネズミも抑えに走るはずだ」


 古登はいい考えがひらめいたと思ったが、新渡戸の表情は変わらない。


「選挙なんか今の方々は誰も興味ありませんよ。投票率だってほとんどないようなものじゃないですか。みんな今の状態に満足しきっているんですよ。猫たちだってネズミを狩ることが許されているんですから」

「だけど今のままでは何も変わらない。それに君の誠実さと洞察力をもってすれば政治家になれると思うぞ」

「馬鹿なこと言わないでください! 百歩譲って私が誠実だとしても政治家なんて誠実な者がなれる職ではありませんよ。好感度だけでやっていけてたのははるか昔の愛玩動物時代の話ですよ。もっとも、私の現状をかんがみるに私の祖先は愛玩動物ではなかったと思いますが」


「だめか」と落胆する古登に「絶対に」と新渡戸が強く念押しした。


「このもやもやとした気持ちは何か発散できないもんですかね……」


 吐き出したタバコの煙の行く先を見つめながら新渡戸はぽつりとこぼす。


「それはもう、食にぶつけるしかないよ。いい酒を飲んでいい肉を食って、そして寝る。それが一番いい。もしくは――」


 ちょうど、休憩時間終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。二人は仕事へ戻らなければいけない時間だ。


「今日の残りの仕事はなんでしたっけ?」


 タバコを片付けながら新渡戸が訊ねると、古登は目をつむり思念帳を確認する。


「警視庁爆破予告、大鷹殺人事件、獣人族売買組織『桜色』の捜索、気象衛星故障について……っとこれは違うか。ん? これは……」

「何かありましたか?」


 ずらりと並ぶ事件の中からひとつ興味を惹かれる事件を見つけた古登は、新渡戸に思念で情報を送信した。


「喜べ、連続強盗犯”ネズミ”小僧の捜査があるぞ。これをやろう」

「それはそれは……」


 新渡戸はぺろりと口をひとなめし、黄色い瞳を鋭く光らせた。


「腕がなりますね」

「喉か腹の間違いじゃないのか?」


 古登は苦笑した。

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