BS520

四方山次郎

マンドラゴラの悲鳴は恋の知らせ

「マンドラゴラの悲鳴は恋の知らせ」という言葉がある。200年ほど前の詩人が編み出したものだ。マンドラゴラとは、ナス科マンドラゴラ属特異種の植物で、引き抜いた際に聞くことができる彼らの悲鳴は人間を発狂、もしくは死に至らしめると知られている。しかし、毒も薄めれば薬となる。彼らの悲鳴の振幅を抑えれば、大脳新皮質だいのうしんひしつの働きを和らげる程度になると判明したのは前述の言葉が生まれるそのさらに昔のことだ。つまり、アルコールを摂取した状態と同様の“酔い”の感覚を覚えることができるのである。


 大学に入学したばかりの学生は大方が20歳以下であり、お酒を飲むことは許されていない。しかし、ただのルールが彼ら彼女らの心の爆発力を抑えることはできない。どうにかして酔いたいと望む学生は数多くおり、数多あまたの試行錯誤の果て行きついたのが”マンドラゴラ酔い”である。

 新芽が芽吹く陽気な季節、酔いを求めてマンドラゴラを引き抜く若人わこうど。求めに応じ悲鳴をあげるマンドラゴラ。そして、成功体験と悲鳴に酔いしれ仲を深める男女に、運悪く心の臓を止めてしまう殉職者じゅんしょくしゃたち。若気の至りともいえる彼らの行動に感心した過去の詩人は、彼ら恋の冒険者をたたえてんだそうだ。



〇〇〇〇



「マンドラゴラ狩りに行きましょう」


 万次郎くんからそうお誘いを受けたとき、わたしはどきりとした。

 万次郎くんはわたしと同級の高校一年生の男の子だ。背丈はわたしの肩ほどまでしかなく、そよ風にさらさらと流れる金髪、少しかかった前髪の向こうから覗くくりくりとした黄金色こがねいろの瞳がとてもチャーミングだ。

 もしかして、とわたしは考える。男女でマンドラゴラ狩りをやるという行為はくだんの言葉もあるため、彼はわたしとそういう関係になりたいと考えているのだろうかと勘繰かんぐる。


「マンドラゴラを? いったいどうして」


 素知らぬ顔で出方をうかがうと、万次郎くんは何でもないように答えた。


「初春のマンドラゴラは生きがいいので。薬としてもよく売れるんです」

「小遣い稼ぎってこと?」

「そんな感じです。今のうちに少しでも稼いでおきたいんです」

「ふーん」


 万次郎くんは学歴としては高校一年生であるが、年齢は10歳だ。本当であれば小学生4年生であるはずなのだが、彼は飛び級に飛び級を重ねて今は高校一年生、この春にはさらに飛んで都市部の大学生になる予定だ。

 それに対して、わたしは22歳で高校一年生だ。飛び級ではなく潜り級という学年が下がる行為を繰り返して現在の地位にいたる。彼とは天と地ほどの差だ。


「立派だねえ」

真里菜まりなさんはもう少し頑張ってください」

「返す言葉もないよ」


 万次郎くんにいつもと違うところがないかと様子をうかがう、いつもと同じ冷静な物言いに特段変化は見られない。

 役所でのマンドラゴラ狩りの手続き中も、装備を整えている間も、街から森までの十数分ほどの道のりの中でも彼に変わった様子はない。

 大学デビューでませたものかと思ったがわたしの勘違いだろうか。




 マンドラゴラは森の河川付近にある樹木にまぎれているというのが通説だ。

 よく見ると風も吹いていないのに葉をかさかさと動かす姿を見ることができる。


 わたしたちは悲鳴対策に耳当てをしてスコップで周りの地面をほぐしながらマンドラゴラ狩りを開始した。

 初めてのわたしは万次郎くんの様子を見ながら手さぐりに漁っていた。さっそく視界の端で彼が30 cmほどのマンドラゴラを引き抜いた。耳当てをしているので音は聞こえないが、体中にびりびりと響く感覚を覚える。これがマンドラゴラの悲鳴だ。

 わたしは彼のその手際てぎわをじっくりと見ていた。

 引き抜いたそれを、あらかじめ準備していた珪藻土鉢けいそうどばちに突っ込み、その上から土をかける。もともと土に埋まっていた頭の上の部分までかけると、最初こそゴソゴソとうごめいて悲鳴を上げていたマンドラゴラであったが、しばらくするとおとなしくなった。

 わたしも万次郎くんのやり方を習って、見つけたマンドラゴラに手を伸ばした。


「しっかり腰を入れて引っ張ってください。周りの地面ももっと柔らかくして」

「任せなさい! って、うわわ!」


 力いっぱい引っ張ったわたしは勢い余って後ろにひっくり返った。

 その途端、全身が響く感覚を覚えた。

 マンドラゴラの悲鳴だと理解したと同時になにかが前から襲い掛かってきた。

 今引き抜いたばかりの新鮮なマンドラゴラだった。


 土まみれのねじれ曲がった人型の根っこに黒いくぼみが三つ。目と口だ。目に眼球はなく、黒いぶにぶにした何かが詰まっているようだ。口と思われるくぼみにはとがった牙のようなものが見えた。あんなのにかみつかれたらと思うと背筋が寒くなった。恋の代名詞になっている本体とは思えない鬼の形相である。

「いぎゃああああ」と悲鳴を上げた、つもりだったがわたしの悲鳴はマンドラゴラの声量にかき消されてしまった。

 かみつこうとしてくるマンドラゴラ相手にわたしが必死で抵抗していると、万次郎くんが飛びついて引きはがしてくれた。

 投げ捨てられたマンドラゴラは悲鳴を上げながら森の奥へと姿をくらました。





「ごめんね。せっかく捕まえたマンドラゴラ逃がしちゃって」


 わたしを助けるために飛び出した際、先ほど捕まえたマンドラゴラの鉢を倒してしまっていた。そのマンドラゴラはもうすでにもぬけの殻だ。


「そんなことないですよ。真里菜さんに怪我がなくてよかった。マンドラゴラは悲鳴の危険性が有名ですが、彼らの獰猛どうもうさも甘く見てはいけません」

「万次郎くんは優しいなあ」


 それからはリベンジよろしく、特に問題もなくマンドラゴラ狩りが進んだ。

 といっても鉢に入れてかさばるため、わたしは二匹、万次郎くんは三匹しか持ち歩くことはできなかった。

 もぞもぞと動く鉢を横目に川辺で一息ついた。


「引っこ抜いたときはあんなにうるさいのに、埋めると本当に静かになるんだね」

「土の中だと安心するらしいんですよ。その割に自分で土を掘って埋まるという行為をしないのは不思議なんですよね」

「不思議だねえ」



 そこでふと例の言葉を思い出した。

 結局、万次郎くんにどのような思惑おもわくがあってわたしを誘ったのか、真意は明らかになっていなかった。



「本当は君がマンドラゴラ酔いをしようとしてるのかと思ったよ」

と本音をぶつけると

「マンドラゴラ酔いをですか?」と万次郎くんはきょとんとする。


「うん。君も春から大学生になるからさ。酔ってみたいとかあるのかなって」

「ぼくはあまりそういうことには興味ないですね」

「え~、大学生になるのにもったいない。ほら『マンドラゴラの悲鳴は恋の知らせ』っていうし、何か出会いがあるかもしれないじゃん」


「ああ」と彼は頭を掻く。


「実はあれ、誤用なんですよ。あれはマンドラゴラ酔いについて詠んだうたとはちょっと違うんです」

「え、そうなの?」


 わたしの質問に彼は少し考え込むようなそぶりを見せてから


「実はマンドラゴラたちは自由恋愛ができないんです」


 といった。


「え」


 今度はわたしがきょとんとする番だった。

 マンドラゴラと自由恋愛という単語が結びつかなかったからだ。


「マンドラゴラは基本が植物ですから、種を広げるためには基本的に風や虫に頼った受粉をします。そういうことならマンドラゴラにかかわらずどの植物もそうなんですけど、引き抜かれたマンドラゴラたちは違うんです。地をさまよい、そして出会った同じく引き抜かれたマンドラゴラと受粉できるんですよ」


「へえ」とわたしが感心して聞いていると万次郎くんは説明を続ける。


「引き抜かれたマンドラゴラたちは走り回ってその先で出会った相手と一緒になることが多いそうです。どこかわからないところから飛んでくる花粉で受粉するのとは違い、自分たちで相手を決めることができる。勝手に飛んでくる花粉をよけて、見向きもしてくれない高嶺の花や埋まったままじゃ見ることのできないその子の綺麗なこころを見て恋することもできるんです。それって動物がするような自由恋愛みたいなものだと思いませんか?」


 気づけば彼は立ち上がって、目を輝かせて熱弁していた。


 言われてみればそうかもしれない。まさか、マンドラゴラの恋愛模様まで想起するとは、いやはやとんでもない想像力だ。これほどの逸材をこんな田舎に置いておくわけにはいかない。

 彼はいずれ世界を変えるような大掛かりな仕事をやるに違いないとわたしは思った。


「あの詩人は、マンドラゴラの悲鳴を、彼らの恋の第一歩だって詠んだんです。とすると悲鳴というよりかは産声ですかね」

「ロマンチックだね」


 しみじみとする彼に同調し、ふと、森の奥に消えていったマンドラゴラのことを思い出した。


「わたしたちが引き抜いたマンドラゴラ、逃げ出しちゃったあの子たちにもそういう素敵な出会いがあるのかな」

「ありえない話ではないですね」

「あの子たちの旅立ちに幸あれって感じだね」


 言い終えると彼はとたんに静かになってしまった。

 はて? と彼のほうを向くと、彼は再び座り込み浮かない顔で川を眺めていた。


「ぼく、不安なんです」

「え?」


 小さい声でそうつぶやくのが聞こえた。


「昔っから友達が少なくて、だから、勉強だけは頑張ろうと思って、でも頑張った分だけどんどん学年が上がってしまって、学年が変わるとそれまで友達だった人ともすぐ疎遠になってしまうんです。これ以上同じ経験をするの、怖くて」

「万次郎くん……」

「でも今日一緒にマンドラゴラ狩りをして、やっぱり真里菜さんと離れたくないって思っちゃって……。ぼく、大学に行くのにも迷いが……」


 万次郎くんは体育座りをして足に顔をうずめてしまった。


 そうか。彼は思い詰めていたんだ。

 わたしを、これまで何度も見てきた自分から離れていく友人たちに重ねてしまったんだ。だから、せめてなにか思い出作りだけでもと考えてのマンドラゴラ狩りだったのだ。そんな悲しい思いを秘めていたのに、大学デビューでませていると考えていた自分がうらめしい。


 わたしは思い切って立ち上がった。


「万次郎くん、はい」


 万次郎くんに手を差し伸べた。万次郎くんは不安そうな顔を浮かべている。


「なんですか?」

「なんでもいいから、手、つかんで」


 万次郎くんは恐る恐るわたしの手の平のうえに自分の手を置く。間髪入れずにわたしは彼の手を握り、ぐいっと、立ち上がるまで引き上げた。

 彼はいきなりのことに目をぱちくりとさせていた。


「い、いったい何を?」

「君は今、引き抜かれたんだよ」

「はい?」

「引き抜かれたマンドラゴラは、自分から土に埋もれたりしないんだよ!」


 わたしは彼の目を見つめた。彼の黄金色の瞳は不安そうに揺れている。

 おそらく、ここでわたしが何も言わなくても彼は大学に行くだろう。両親の期待や心配、今後の人生を考えたら行かない手はない。彼はそういう心優しく賢い子だ。

 だけども、私がいうことで彼のこころが少しでも安らぐのであれば。


「さっき言ってたでしょ? 引き抜かれたマンドラゴラは自分から土の中に戻ったりしないって。引っこ抜かれた君はここに留まらず大学に行くべきだよ」

「いや、言っている意味が――」

「わたしは君のことを忘れない」


 辺りがしんとした。風の音も、マンドラゴラが葉を揺らす音も聞こえないほど静かだった。


 わたしはもう一度「忘れない」と繰り返した。


「でも」

「でもじゃないの。全く。何年の付き合いだと思ってるの? 5年だよ5年」


 そう。わたしが彼を知ったのは同級生になったからじゃない。彼はその聡明な頭脳によって身近で起こる特異的なボヤ事件を解決する小さな名探偵として有名だった。近所に住んでいたわたしはそのころから知り合っていた。


「まだ、4年と354日です」

「細かいね。まあそれでもいいよ。最初にあったころの君は生意気にも『ぼくの助手になりたいのであればいつでもどうぞ』とか言ってたんだよ? そんな君とわたしが今までずっと友達だった。学年が一緒だったのはたったこの一年の間だけ」


 万次郎くんはただ黙って聞いている。

 わたしは「つまり!」と強調する。


「たった少し、大学に行っている間離れただけで何か変わるわけないの。それに、どうせ大学も飛び級してすぐもどってくるんじゃないの? だから――」


 わたしは彼の手を両手で包み込み、目を合わせて伝えた。


「安心して、ね?」


 彼の眼がだんだんうるんできた。「はい、はい」と何度も鼻声で繰り返す彼の頭を、わたしはなで続けた。

 彼はこの春大学生になる。見た目に反した知識量と大人びた言動から勘違いしてしまうが、彼はまだ10歳で子どもなのだ。

 友人が少なかった彼ならなおさら、どころが必要だ。

 わたしは「大丈夫だよ」と彼を優しく抱きしめた。



〇〇〇〇



「ありがとうございました」


 落ち着きを取り戻した万次郎くんはしっかりとした眼差まなざしを向けてお礼をいった。

「どういたしまして」とわたし。


「君みたいな聡明な頭脳と感受性豊かなこころを持っている男の子がこんなところでくすぶっていちゃだめだよ」

「ぼくはまだまだです。これからもっと精進します」

「その意気その意気。その調子で偉くなってわたしも上の学年まで引っ張り上げてよ。このままだとわたしどんどん潜り級して幼稚園生になっちゃう」

「潜り級は高校一年までですよ」

「知ってますぅー。冗談です冗談―」


 わたしたちはクスクスと笑い合った。


「東京に行っても元気でね」

「……はい」

「悪い人には関わっちゃだめだよ」

「……気を付けます」

「しっかり勉強してきてね。わたしが高校を卒業できるかどうかは君にかかってるんだから」

「……善処します」


 わたしは「だから冗談だって」と笑う。彼もつられて笑う。


 彼は、これからもどんどん突き進んでいくだろう。

 それでも、そう遠くない未来、彼はきっとこの街へ戻ってくるはずだ。

 そんなときはわたしが一緒にいてあげなきゃいけない。だって、彼はとても寂しがり屋で、わたしの大切な友達なのだから。



 森の奥に消えていったマンドラゴラが再びこの場所に戻ってきて別のマンドラゴラを引き抜く、そんな場面を想像しながら、わたしはそう心に決めた。

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