緊急事態宣言下で小説を書く女子高生の話

マーチン

緊急事態宣言下で小説を書く女子高生の話

「ねえ、華子はなこさあ」

「んー? なにー? 今湧き出るインスピレーションを書き出してるから、ちょっと待ってて」


 わたし、古路ふるみち華子は放課後に高校の同級生の時任ときとう未来みくとダベるべくファミレスに入ったのだが、ドリンクバーからアイスティーを持ってきたところで創作中の小説のアイデアをビビビっと受信してしまった。電流走る。そうなると、もう止まりたくない。


 アクリル板越しの未来は私に制止されたことで、ショートの髪を指でクルクルさせて退屈そうにしている。でも仕方がない。未来には悪いがアイデアが蒸発する前にノートにメモらせてもらうぞ。次こそは賞を取るんだ。この素晴らしいアイデアを逃すわけにはいかない。


 ……ふふふ、これで良し。寮の部屋に戻ったら今書いてる小説に反映させよう。


 わたしは花柄の布マスクをずらし、ストローから紅茶をゴクリ。む、夢中になっててガムシロを入れ忘れてた。頭を使った脳ミソには糖分が必要だ。


 ガムシロとミルクを入れて混ぜ合わせ、再びゴクリ。あまい。ささやかなしあわせ……。


 ふとアクリル板の先の未来に目をやると、机に肘を立てて手のひらをほっぺに当て、わたしを見て目もとを緩ませている。口周りの様子は使い捨ての不織布マスクで見えないけど、きっと口角を上げて微笑んでいるのだろう。


 未来は整った顔立ちでショートカットだから、こうしてるとイケメンの優男やさおとこに錯覚するけど、れっきとした女の子なんだよな。口もとが見えないのがもったいない。


 出会った頃はセミロングで美人系の印象だったけど、急に「気が変わった」とか言って今の髪型にまでバッサリと切ったときはビックリしたものだ。どっちもよく似合ってるけど。


「ん、未来、こっちをみてニヤニヤして、どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」

「いや、華子の表情がコロコロ変わってかわいいなぁ、って」

「そんなこと言っても、さっき持ってきたガムシロとミルク以外は何も出ないよ」

「ありがとう。じゃあミルク貰うね」

「ほい」


 わたしはコーヒーフレッシュをアクリル板を越えるように軽く放り投げ、未来はほっそりとした長い指で器用にキャッチしてホットコーヒーに垂らす。この板が設置される前なら未来は自分で腕を伸ばして取っていっただろうに。ほんと、ここ1年で色々変わったなぁ。


「そう言えば未来、さっきわたしに何か言おうとしてなかった?」

「あ、そうそう。このアクリル板と小説を書いてるハナチャンを見て思ったんだけど」

「おい、その踏んずけられたら真っ赤になって襲ってきそうな呼び方止めろ。このミミック」

「そっちこそ宝箱に擬態ぎたいしたモンスターみたいな呼び方止めて。……まあいいや。きょうはハナチャンとミミックでいきましょう」

「お、おう。ミミックがそれで良いなら。それで? アクリル板とわたしを見て?」


 ミミックはマスクを外してコーヒーを一口飲み、もう一度マスクをしてアクリル板越しに話し出した。


「古典の文章ってさ、現代から見たら全然文化が違うじゃない?」

「ん? 話変わった? でも、そうだね。古典って文法とか単語が違うだけじゃなくて、文化の違いも頭に入れておかなきゃ読み違ったりするよね。まさに」

「「いとをかし」」


 わたしたちは息ピッタリにキレイにハモったのが楽しくて、マスクをしたまま大笑いをする。ゲラゲラ。


 そう、古文と言ったらいとをかし。 未来なら分かってくれると思った! キレイにハモって嬉しい! 他にも古文と言ったら、春はあげぽよ。これはさすがにもう死語かな。もののあはれ。


「それでね、ハナチャンは現代社会を舞台にした恋愛小説を書いているじゃない」

「そうだね」

「でも、前に見せてもらったときは喫茶店の描写には、あの入口のアルコール消毒もなければ、このアクリル板もなかった。もちろん登場人物もマスクなんてしてなかった」


 ミミックはわたしたちを隔てるアクリル板をコンコンと軽く叩いて続けた。


「それって、現代小説じゃなくて古典を書いていることになるんじゃないかな、って」

「ん? どういうこと?」

「だって、1年前ならまだしも、今となってはアルコール消毒やアクリル板が無いお店の方が珍しいくらい。マスクも見渡す限りみーーんなしてる。そんな中、アルコール消毒やアクリル板が無いお店で、マスクをしてない人たちの話を書くのは現代文化とかけ離れていると思うの。だったら、時代物とか、古典になるんじゃないのかな、って」


 いや、いやいやいや。そうかも知れないけど。違うって。いや、違うのか? うーん。


 混乱しかけたわたしを横目に、ミミックは話を続ける。


「今現在ならまだ現代と言い張れるとしても、今ハナチャンが書いている小説が賞を取ったとして、出版されるのはどれくらい先? 数年後とかだったら、このアクリル板があるのが当たり前になって、むしろ無い方に違和感を覚えるようになってるかもしれない。人前でマスクをせずに口を晒すなんてはしたない、って価値観になってるかもしれない」

「ふむ、確かにそうなってるかもしれないけど……」

「それに、ハナチャンが行ったこともないのにがんばって想像で書いたバーのシーンもどうなるのかな」

「どう、って、どういうこと?」

「今は20時までの時短営業要請がされてるじゃない? もしそれが定着して、20時以降にお店を閉めるのは当然! みたいな文化に変容したら、夜が浅すぎてその後の展開への繋ぎが苦しくなるんじゃない? それに、下手したら業種自体が絶滅して、バー自体がそれこそ小説の中にしかない架空の存在になっちゃってるかもしれない」

「そこは、ほら、リモートとかさ、オンライン飲み会とか、ニュースでもやってたじゃん。それで何とかしよう。うん」


 ミミックはいたずらっぽい目でわたしを見つめる。マスクで見えないけど、きっと口角も釣り上げて悪そうな顔をしているだろう。


「オンラインだとさ、その後ホテルに行く展開に持っていきにくいよね。お酒の勢いで今からホテルに集合! とか、展開として苦しくない? 完全に理性保ってるよね」

「そ、それは……」

「まったく、描写に必要だから! ってハナチャンにせがまれて、ホテルに付いて行ってあげた私の苦労をどうしてくれるの?」

「うっ……。その節は、その、お世話になりました。でも、バーもオンラインもだめなら、お酒はお部屋で飲めば!」

「ハナチャンの小説だと、部屋にお邪魔する仲にまで進展する過程でバーのシーンがあるのに? てか、出会いがバーだからオンラインとかお部屋だと成り立たないよね」

「た、確かに……」


 やばい、このままじゃストーリーの作り直しだ。せっかくここまで書いたのに。さっきのアイデアも無駄になっちゃう……。


「そうするとハナチャンの小説の描写は、もうニューノーマルどころか、言うなればキューノーマル」

「ミミックぅ! さんざん引っ張って、お前それ言いたかっただけだろ!」

「あ? バレた?」


 ミミックはクスクスと笑っている。まったく、人を不安にさせるもっともらしいことばかり言いやがって。


「ミミックさん。だいたいね、小説なんてものは最初の一文字から最後の句点まで全部が全部創造物なわけだからさ。小説の世界では、このわたしが創造主なわけよ。 悪質な感染症が流行ってない、現代の現実世界とよく似た異世界の物語、ってことにすれば万事解決じゃん!」

「まあ、そうね。現代ドラマを書いているつもりが現代系異世界ファンタジーにジャンル替えしてても良いっていうならね」

「ジャンル分けが難しい小説なんて世に溢れてるから別にいいの! 無理やりジャンルにはめ込んで縛られるよりも書きたいものを書くのが一番!」


 わたしがマスクを乱暴に外してアイスティーをゴクゴクと飲み干し、その様子を見てミミックは「そういえば」と言って、こちらもマスクを外してコーヒーを一口。二人ともマスクを付け直したのを確認してからミミックが言う。


「それにしても、この後、寮の相部屋に戻ったらマスクを外して濃厚な接触・・・・・をする私たちにとって、このマスクやアクリル板ってどれほどの意味があるのかしら」

「いや? 濃厚な接触・・・・・なんてしないよ⁉ 相部屋だから濃厚接触者ではあるけど。きょうは帰ったら小説の続きを書いて宿題するだけだよ? こういう外のアクリル板は、同室のわたしたちにとっては無意味かもしれないけど、そういう間柄の人たちだけじゃないから設置されてるんだよ?」


 未来・・が目を半開きにしてマスクをモゴモゴさせている。きっと舌なめずりしてるのだろう。


 マスク越しでも隠しきれない妖艶ようえんなその様子に昨晩のことが思い出されて、身体の芯が熱くなってくる……。これ、お店の入り口の体温計で引っかかるやつだ。


華子・・、つれないね。昨日はあんなに良い声で鳴いてたのに」

「な、鳴いてなんかないし!」

「ふふ、顔を真っ赤にして、華子かわいい」

「なんでマスクで隠れてるのにそう言い切れるの!?」

「私は華子よりも華子のことを知ってるからね」


 未来は余裕といった様子で、マスクをずらしてコーヒーをまた一口飲み込む。くそぉ、顔が熱くなってるから、きっと本当に真っ赤なんだろう。言い当てられてるのが恥ずかしい。


 未来はマスクを戻して続ける。


「学校で今日子きょうこちゃんが『華子ちゃん、きょうハスキーな声だけどノーマルな風邪でも引いたのかな? このご時世だから休んだ方がいいんじゃないかな』って心配してたよ」

「誰のせいだ!だれのーーーー!! 昨日の夜は未来のせいで腰が立たなくなって、きょうは声が酷いだけじゃなくて体育も散々だったんだから!」


 ハア、ハア、いつの間にか立ち上がっていた。肩で呼吸をしていると、突然わたしの肩が叩かれる。ん? どちらさま?


「お、お客さま、他のお客さまのご迷惑になりますので、お静かにしていただけますか」


 そこには小柄な若い女性のウエイターさんが立っていた。マスクをしているせいで大きな目が強調されて、とてもかわいらしく見える。これが俗に言うマスク美人か。(失礼)


 マスクで顔色がよく分からないけど、少し赤らんでる気がする。ヤバっ、話題が話題で周りが見えなくなってたけど、そう言えばここ自室じゃなかった!


 急いで周りを見渡す。周りのお客さんがわたしたちをチラチラ見てるけど、よかった。私たちと同じ制服の子や知り合いは居なさそうだ。


 未来は美人でイケメンだから学校では男女問わずファンが多い。未来が女の子のことが好きな子だとウワサが流れて変な目で見られることは無さそうだ。いや、むしろ女性ファンが増えるか。なら尚更良かったわ。


 わたしがホっと胸を撫でおろすと、今度は未来がガタっと席を立ち、ウエイターさんに頭を下げた。


「うるさくして申し訳ありません。ほら、華子。もうお店出よ」

「う、うん、そうだね。本当にごめんなさい」


 わたしも頭を下げ、そそくさと店を後にした。もうあのお店には行けなくなっちゃったな。




 そして、その帰り道。わたしたちは手を恋人繋ぎにして夕焼けの中を歩いていた。オレンジ色の空気に包まれて二人で歩く。まさに青春。


「それにしても華子、よく男女の恋愛小説を書こうと思ったね。男の人と付き合ったこともないのに」

「だって、ほら、やっぱり女の子としての憧れといいますか、何といいますか」


 確かに男の人と付き合ったことはないけど、でも、未来に抱くこの気持ちは本物。それがあれば、いくらでも想像して描けちゃうよ。


「華子はオトコのことは知らないのに、オンナとしての快楽は知っちゃって、いやらしい子」

「だれのせいだ! お前も膜破ってわからせてやろうか⁉」

「やだ乱暴。私そこまではしてないのに。安心して。華子の処女は無事なままだよ」

「あーーーーもーーーー!」


 さっきまで恋する女の子の気分にひたれてたのに、台無しだよ!


「未来は見た目は人の目を引くイケメン美女なのに、中身はスケベな性欲モンスター! 宝箱の見た目で冒険者を惹きつけて襲っちゃうミミックそのものだな!」

「華子だって、優しく踏んであげたら顔を真っ赤にして悦ぶじゃない。ほんとハナチャン」

「うるさーーーーい! 人をドMみたいに言うなあぁ!」

「ふふ、違ったの?」


 なんでわたしはこんなヘンタイを好きになっちゃったんだろう。先に手を出したのはわたしだけど、まさかわたしの方がメロメロに落とされるとは思ってなかった。


 でも、まあ、これからの世界、どう変わっていくかは分からないけど、文化が変わってわたしの小説も時代遅れになって、現代社会じゃなくなっちゃうかもしれないけど、それでも描いた人の心は変わらないはず。創作でもリアルでも、そういったことを大切にしていこう。

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