第5話

 領都の郊外。

大通りから枝分かれするように伸びた通りにひっそりと建てられた古く蔦の這った屋敷。


「すごいな、うちの屋敷と同じかそれより大きいかも」

 おそらく貴族か資産家か……有力者の屋敷なのだろう。

だが、庭なんかに使用人の類は一切見られない。


「とりあえず、呼び鈴を鳴らそう」

 ひとまず、正門に取り付けられた大きめの呼び鈴を鳴らす。

午後の昼下がり。カランカラン!という大きな音が響く。


 エリックは待っているしばらくの間、頭上を見上げる。

雲一つない青空がきらめき、空に浮かぶ明るい太陽が自らを照らしていた。



「おぉ、これはこれは」

 ふと、前からしわがれた声が届く。

エリックは急いで前方へと頭の方向を戻せば、深くお辞儀をする。


「ははは、このような老いぼれにそのようなことされなくて結構ですよ。いやはや、来ていただきありがとうございます」

 エリックの目の前にいる老人は、小さくしわくちゃで長くもっさりとした白髭が生えた長老然としたお爺さんだった。 身なりは貴族や有力者というより、普通に一般の市民が着るような服のようだ。


「いやはや、こんな若い方がくるとは思っていませんでした。どれ、お茶でも一杯いかがですかな?」


「あ、いえ!そんなご丁寧にされずとも大丈夫です!」


「ホホ、謙虚な男子おのこですな。しかし、私は貴方を歓迎したいのです。老人のささやかな願い、受け取ってくれますかの?」

 老人がずいっとエリックに歩み寄り、にっこりとした笑顔で目下からそう言う。


「では、お言葉に甘えて…」


「ふぉふぉ、では中へ」






 屋敷の中。玄関と繫がったホールには小さな壁掛けランタンがいくつかあるものの火は着いていない。 おそらく、大きめの窓から日光が差し込んでいるお陰で屋敷の中が非常に明るいのでランタンは着けていないのだろう。



「まったくこんな立派な屋敷に住んでおきながらお恥ずかしいことですが、このおいぼれは文字が書けませんでな。今まで手紙なんぞ書こうとすら思ったことは無かったのですが、もうすぐ死期を悟りまして知人に手紙でも書こうと思い立ったのです」

 老人とエリック、並び歩く二人はどこか祖父と孫のようにも見える。

そんな中で、エリックは老人の話を神妙に聞きながら歩いていた。


「依頼書に王国文字と国民文字が書ける方を募集とされてたのは、そういう事だったんですね」


「えぇ、代筆屋に頼もうにも代筆屋自体がすっかり廃れたようでしての。王国文字を書けるような代筆屋なんぞ更に無くて、使用人も雇えないような老いぼれにはギルドで一縷の望みにかけたというわけです」

 そして、二人はガラス張りドームのテラスの中へ入っていく。

中にはこじんまりとしたマホガニー材の一つ脚のテーブルと扇形の背もたれがついた椅子が2つ向かい合わせで置かれている。


「ささ、座ってください。それでは、お茶を持ってきます」


「あ、お手伝いします!」


「おや…よいのですか?ほほほ、ではお願いしましょうかの」

 



 小鳥がさえずる庭。

そこに張り出したテラスの中にあるテーブルには2つのティーカップに、羽ペンと上質な羊皮紙が敷かれていた。


「ほほ、まずはここで休憩しましょうか」


「あ、ありがとうございます」

 エリックはちらりと、積み重ねた手紙を見る。

4枚ほどだろうか?老人が口に出したことを書き写すそれの内容は当たり障りのないもので、特に書くことに苦労することはない。


 だが、王国文字自体は確かに多用している。

おそらく、王侯貴族かそれ以外の有力者だろうか?まぁ、一介の冒険者であるエリックが知ることでもないので、特に詮索などはせずに冷たくなった紅茶に口をつける。


「フォフォ、しかし綺麗な字だ。エリックくんは貴族の御曹司殿なのですかな」


「あ、いえ。ただの没落貴族の一人息子ですよ、ムーグさん」


「なるほど、没落貴族…ですか。それで冒険者に……」

 神妙な面持ちで顔を伏せたムーグ。

それに心配そうな顔で顔を伺うエリック。


「ほほ、しかしエリックくん。老木が言うのもなんだが…君は冒険者に向いていないよ」


「あっ、や、やっぱりですか?受付嬢の方にも同じようなことを言われました…なんだろう、やっぱり覇気が足りないんですかね?」


「いや……つまるところ今も昔も冒険者というものは蹴落とし合いだ。君のような優しい子がいていい場所ではない。となれば、その受付嬢のお嬢さんには軍に行くように言われたかね?」


「えっ、なんでわかるんですか!?」


「フォフォ、いやなに。そうだな…エリックくん。軍に入りたい気が出たのならばまた後日、私の元に来るといい」

 そしてムーグは紅茶をぐいりと全部飲むと、ことり、と静かにティーカップを置く。 小鳥が嬉しげにテラスの上空を舞っている。


「えっと、なぜ軍、何でしょうか?軍ってやっぱり冒険者より死ぬ確率が高いんじゃ」


「ホホホ!違う違う。今の軍は比較的平和じゃよ。冒険者なんぞよりは整った環境だし、なにより後方へと回してもらえたら商会の仕事と変わらん。だけど、君はそういうのは求めていないのだろう?純粋に強くなりたいと見える」


「であれば、冒険者よりかは軍を勧める。今や衰退していく中、上にのし上がるために蹴落とし合うだけの冒険者ギルドは君にはまだ早い。まずは軍に入り、鍛えるのじゃ。エリックくん。君ならば王国文字も書けるし頭もそこまで悪くはないだろう?尉官くらいならば上がるのも容易なはずじゃ」

 

「容易…ですか」










 黄昏の帰り路。

少し多めに色を付けてもらった報酬のお金の入った袋を手に、食事でもしようと街をエリックは歩く。


 すると、突然エリックにどんっ!と衝撃が当たった。

見上げれば、3人ほどの悪どそうなひげむくじゃらの男たちだ。


「お?お前もしかして雑草男か?」


「いや…僕は」


「へへへ!アニキ!こいつ例の雑草男にちげぇねぇですよ!」


「あぁ?おっ、マジじゃねぇか!へへっ、おいおいなんだ。ドブさらいでもして報酬を手に入れたか?そうかそうか。なら、わかるよな?」

 男たちはジリジリと路地裏にエリックを追い込み、そして囲む。

その目は下卑ており、弱者をいたぶることで生きてきたであろうことが目に見えてわかる。


「どうしろ、っていうんですか?」


「決まってんだろうがっ!」

 ボゴッ!とエリックの頬が殴られる。

間髪おかず、腹に鋭い蹴りが入った。


「ごっ、おえっ!」


「へへっ、馬鹿がよ。雑草男ごときが」

 そして一人の子分らしき男がエリックの持った報酬の入った袋をを取ろうとする。だが、取れない。


「やら、ない。これは、僕が稼いだ、お金だ!」


「あぁ?雑草男が調子乗ってんじゃねぇぞボケ!」

 再度、蹴り、殴られる。

エリックの唇は切れ、体中が青あざだらけになり、骨もいくつか折れていることだろう。


 エリックはひたすらに耐える。

だが……体自体が耐えられるはずもない。エリックはそのまま意識を失っていく。


 そして黄昏に染まる路地裏の汚い土を顔中につけて、最後に見た景色は男たちが自らにつばを吐きかけ、報酬袋を奪い去っていくところだった。












「あ」

 目覚める。

辺りは暗く、そしてガヤガヤと夜の街の風情を香らせている公爵の都。


「起き…ないと」

 臭くこびりついた唾を袖で拭い、壁を支えにしながら立ち上がる。

体中が痛くて、口の中は血の味でいっぱいだ。骨がいくつか折れているのか、悶えるような激痛が体を襲う。


 ふらふらと、路地裏から通りへ出る。

街ゆく人たちは、エリックのことを見て鼻を覆って見下した目で見たり、時には罵声を浴びせたり、わざとらしくどこかへ行けというふうに手を上下に振る。



(このままじゃ、駄目なんだ)

 エリックはポタポタと、涙を垂らす。

明かりのせいで星が少ない夜空をエリックは見上げる。月はなく、まっさらな夜闇しかない新月だ。


(このままじゃ、一生誰かの食い物にされる)


(僕が、弱いからジョンが馬鹿にされて)


(僕が、弱いから僕の稼ぎさえも奪われる)


(そして、このままだと一生僕は誰かの食い物で終わる。そして餓死して誰にも知られず死ぬ)


「ぐ、ぅぅ!」

 下唇を血が出るほど噛みしめる。

ポタポタと、口の端から血がこぼれ出た。


「戻りたいなんて、思わない。でも」

 このままじゃ駄目だ。

このままじゃ、このままじゃエリックという男はただの骨になる。


「なら」

 エリックはギルドへ向かおうとした歩みを反転。

ムーグ老人のいた屋敷へと方向を変える。


 エリックを見下し、貶める人の波。

そしてその中でのエリックの目は――――決意の色をしていた。










 新月。

庭の草木が揺れた。


「フォフォ、随分と早いな」

 おそらく、彼の中で決意をする出来事があったのだろうか?

なんにせよ、彼は心を決めたのだろう。であればだ。


 弱々しいが、しかし力強さを感じさせる呼び鈴がムーグの鼓膜に響く。


 ガチャリ。

扉が開く。


 鼻を覆いたくなるほどの悪臭。

汚れた体。傷だらけの顔に血まみれの唇。大きく腫れた醜い顔。


 しかし、その目は確かに決意に満ちている。

あぁ、ならば。


「まずは風呂にするかね?エリックくん」

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最弱の魔王〜落ちこぼれ貴族の成り上がり〜 @shololompa

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