12-9 前世(2)




 前世のボクはとても気まずい気持ちで元カノであり先輩でもある彼女と向き合っていた。


「迷惑を掛けてごめんなさい」


 謝られる。

 彼女は落ち込んだ顔をしていた。美人なのでそれも絵になる。


(美人って得だな~)


 他人事のように、その時のボクはぼんやりとそんなことを考えていた。

 彼女は自分と彼には恋愛感情はもうないことをボクに切々と説明する。


(そんなの知っている)


 ボクは心の中で呟いた。

 彼が元カノに持っているのは純粋な好意だ。それは友情と言ってもいいかもしれない。別れたと言っても、長い付き合いだ。それなりに情があるのは当然だろう。

 でもボクはそれが堪らなく嫌だった。

 いっそ、彼女に未練があると言われた方がましだったかもしれない。

 だって彼は一生、彼女を嫌うことはない。ずっと友達であり続けるだろう。

 それが嫌だと言うのはただのわがままかもしれない。だが、嫌なものは嫌だ。理屈では無い。

 ついでに、彼女の今の境遇にもボクは同情できなかった。


 彼女が困っているのは、ストーカー問題だ。

 それがただのストーカーなら、同情するし、助けたという彼を止めることは出来ない。むしろ、協力したかもしれない。

 だが、彼女のストーカーは不倫相手の奥さんだ。

 会社の取引先の既婚者と彼女は関係を持ってしまったらしい。その彼と彼女がどんな経緯で関係を持ったかは知らない。わかっているのはその関係が奥さんにばれて、奥さんが病んだことだ。

 相手の男性は彼女を守ることより逃げることを選んだ。単身赴任を希望して、転勤してしまう。

 残されたのは彼女と、彼女が許せない奥さんだ。

 相手の男が転勤で逃げたのだから、関係は終わったも同然だ。だが、それでは奥さんは納得しない。会いに行こうと思えばいつでも会いに行けるだろうというのが奥さんの言い分だ。実際にそうなのだが、そこまでして彼女と関係を続けるつもりなら、彼女を置いて行ったりはしないだろう。

 不倫男にとって彼女はそれほどのたいした存在では無かったらしい。そして彼女の方もそのことを実感していた。男と再び関係を持つつもりはない。

 だが奥さんはすでに冷静な判断力を失っていた。心を病み、彼女が許せない気持ちだけが暴走する。

 彼女は奥さんに付きまとわれ、家に帰れなくなった。不倫の件が会社にもばれ、居辛くなって辞める。

 理由が理由だけに、実家の両親には激怒された。頼れない。結局、元カレに助けを求めた。


 話を聞いた彼は彼女を放っておけなくなる。

 そして状況を恋人だったボクにも話してくれた。隠し続けるのは無理だと思ったのだろう。最初から許可を求めてきた。

 だからボクは彼女が話す彼女の事情を全て知っている。

 知った上で、無理だと判断した。

 そのことをどうやって伝えようか、ボクは悩む。彼女はボクが誤解していると思っているが、誤解なんてしていない。

 全部知った上で、別れようと決めた。

 ボクはもう、いろんな意味で疲れていた。騙したような罪悪感にも、愛されているのかどうかわからない不安に悩むことにも。

 だから、彼女のことは切っ掛けに過ぎない。彼女が全て悪いわけではなかった。迷惑だと思っているが、恨んではいない。

 だから彼女とけんかをするつもりも傷つけたい気持ちもボクにはなかった。ただ、巻き込まれたくはない。

 彼女と関わりたくなかった。


(どうすれば帰ってくれるだろう)


 彼女の話を聞き流しながら、前世のボクはそのことばかり考えていた。

 ピンポーン。

 部屋のチャイムが鳴ったのはそんな時だ。

「はーい」

 彼女の前から逃げ出すいい口実が出来たとばかりに、玄関に向かう。不用心にも、そのままドアを開けてしまった。

 一人暮らしをするようになってから、ドアは相手を確かめてから開けるようにしていた。だがその時は、それが頭から抜け落ちていた。

 彼女と二人きりの空間が、息苦しくて仕方なかったのかもしれない。

 ドアを開けた瞬間、どんっと誰かが身体ごとぶつかってきた。


「え?」


 声を上げた時には相手はすでに離れている。その手には血に染まった包丁が見えた。

 自分が刺されて、しかもその包丁が引き抜かれていることを知る。


(ダメだ。助からない)


 刺された痛みより血が流れ出ていく感覚の方が大きかった。痛いより、熱い。

 立っていられず、身体が前のめりで倒れ込んだ。


 チリリン。


 そんな音が耳に届く。思わずそちらを見ると、アパートの手すりの上をネコが歩いていた。首輪に鈴が付いている。それが鳴ったようだ。


(ネコだ)


 薄れ行く意識の中で、ボクはネコを見つめていた。ネコも何故かボクを見ている。


(次に生まれ変わるなら、ネコがいいな。暢気に気ままに暮らしたい。女はもう面倒だから、オスでいいや)


 そんなことを思って、ふっと笑った。


「キャーッ!!」


 彼女の悲鳴が辺りに響く。

 その後どうなったのか、ボクは知らない。そのままボクは死を迎えた。


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