12-1 小さな変化。





 突然の体調不良に驚いたのはアルバート達だけではなかった。

 ボク自身、驚く。だが、原因はよくわからなかった。

 翌日、目が覚めた時には特に問題はない。寝過ぎて少しだるいくらいだ。


(ここはどこだろう?)


 夜中、目が覚めた時はたいして気にしなかったが、ここはいつも寝ているアルバートの寝室ではなかった。部屋に見覚えがない。


(客間? ……ともちょっと違うか)


 部屋の中を見回して、そう思う。わりと広い部屋だ。ただし、家具はベッドしかないのでがらんとしている。ベッドの頭の方に壁に備え付けの棚があった。そこにも何もない。

 唯一、ベッドサイドに小さなテーブルがありそこに水差しと時計が置かれていた。時間を見るとまだだいぶ早い。いくらなんでもこんな時間から起き出したら使用人が迷惑だろう。少しベッドの中で時間を潰すことにした。

 とりあえず、水差しから水をグラスに注ぐ。それをくいっと飲み干した。

 ぐう。

 お腹が鳴る。


(お腹空いた~)


 夕飯を食べずに寝たことを思い出した。

 グラスをテーブルに置くと、ごろんとベッドに横になる。所狭しと置かれたぬいぐるみを手に取った。一つ一つ、眺める。


(こんなの、どこで売っているんだろう?)


 少し不思議に思った。ボクはこの世界に来てから、街の中でぬいぐるみを売っているのを見た事がない。それっぽいお店はなかった。たまにどこからかロイドが調達してきたのをくれるが、どこに売っているのか聞いたことはない。


(だって、高そうなんだもん)


 ボクは心の中でぼやいた。値段を聞いたら、迂闊にもらえなくなる気がする。だが、欲しいと頼んだわけでもないものにお金を払うのもなんか違う。


(そもそも、ぬいぐるみなんて需要があるのだろうか?)


 疑問に思った。ちなみに、ビスクドール的なものは女の子のおもちゃとしてはある。たまに貴族の女の子が持っているのを見かけた。だが当然、それはとてもお高かい。人形の服は手作りのオーダーメイドで、本物の宝石が服に付いていたりした。そういうことを考えると、高くなるのは必然だろう。

 つまり、この世界での人形はかなりの贅沢品だ。

 ぬいぐるみもそんな感じだと思う。


(この一つ一つもそれなりにお高いのだろうな)


 そう思うと、庶民のボクとしては汚してはいけないという気になった。ベッドサイドの棚のような場所に一つ一つ、並べていく。


「ふふっ」


 ちょっと面白い光景が出来上がった。サファリパークっぽい雰囲気になる。

 笑っていたら、アルバートが様子を見に来た。


「ノワール。何しているんだい?」


 不思議そうに問われる。


「にゃあ」


 ボクは一声、鳴いた。アルバートを振り返る。抱っこを求めるように手を広げると、ぎゅっと抱きしめられた。ボクはアルバートの背に手を回す。アルバートの胸に顔を埋めて、クンクンと匂いを嗅いだ。


(優しい匂いがする)


 ほわほわした気分になる。


「にゃあ」


 大好きと一声鳴いて、アルバートの頬を両手で包み込むように掴んだ。ちゅっと唇に触れるだけのキスをする。


「にゃあ」


 もう一度鳴くと、アルバートからもちゅっちゅっと沢山キスされた。唇に額にも頬にも。数が多くて、若干、うざい。


「にゃあ」


 もう十分というように、ボクは背を反らした。キスの雨から逃げる。

 そんなボクの姿にアルバートは小さく笑った。


「良かった。元気になって」


 泣きそうな顔をする。

 相当心配掛けたのがわかった。


「にゃあ……」


 心配掛けてごめんなさい--そんな気持ちを込めて、一声鳴く。

 言葉にすればいいのはわかっているが、なんだか気恥ずかしかった。それに、言葉にしなくてもそれくらいは伝わるらしい。


「心配をかけて、悪い子だ」


 叱る言葉とは裏腹に、アルバートは微笑んでいた。ボクが元気なことに心からほっとしている。ボクの頬に自分の頬をつけて、すりすりしてきた。


「にゃあにゃあ」


 ボクは鳴いて、アルバートに抱きつく。

 アルバートの腕の中にいる時が一番安心した。


「ここ、どこ?」


 気になっていたので、問う。


「ノワールのために用意した寝室だそうだ」


 アルバートは答えた。


「……」


 ボクは微妙な顔をする。


「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」


 アルバートはボクの頬を片手で包み込んだ。


「用意はしてあるが、ノワールをこの部屋で1人で寝かせるつもりはない。今まで通り、わたしの部屋で一緒に寝よう」


 その言葉にボクは安心する。


「にゃあ」


 そうする--と、元気に答えた。







 社交の季節は一週間ほど残っていた。

 ボクはアルバートに連れられて、パーティに参加する。招待状にはボクの参加を求める但し書きが増えた。アルバートはその事にいい顔はしなかったが、無視も出来ない。渋々、ボクを連れて参加した。パーティの間はボクはほぼアルバートに抱っこされていた。見た目よりずっと軽いのに、大した負担ではない。だが、ずっとアルバーサに抱っこさせるわけにもいかなかった。たまに1人で椅子に座って休む。

 そういう時は料理を盛った皿を与えられた。ボクは料理をフォークで黙々と食べる。

 そんなボクの姿をたいていの貴族は遠巻きに見ていた。

 興味はあるが、怖いのだろう。不用意に差し出される手には、遠慮なくシャーッと威嚇することにボクはしていた。

 貴族だから何でも許されると思ったら、甘い。こっちはただのネコだ。人間の階級なんて、本来はネコには全く関係ない。偉かろうが、知ったことかと思った。

 怖がって寄ってこないなら、面倒がなくていい。


「その小さな身体によくそんなに入るな」


 知らない人が話し掛けてきた。

 パーティの参加者なのだから、貴族だろう。着ている服は上質だ。たぶん上級貴族だと思う。

 明るい茶色の髪と深い青の瞳をしていた。その色だけ見れば落ち着いた雰囲気がありそうだが、そうでもない。どちらかと言えばチャラい感じがした。


(知らない人とは口をきかない)


 ボクは心の中で呟く。それは児童の登下校の心得みたいなものだ。小学生は普通、知らない人とは話をしてはいけないと習う。名前を教えてもダメだと言い聞かされた。名札も登下校の時は外すように言われた覚えがある。

 ボクの見た目は今、児童だ。その教えは適用されるだろう。

 男を無視して、料理を食べ続けた。普通に美味しい。


「あれ? 無視??」


 相手は笑った。


「可愛いのに可愛くないね」


 そんなことを言われる。


(可愛くなくて結構です)


 ボクは心の中でだけ毒づいた。見知らぬ誰かに可愛いと思ってもらう必要なんてない。ボクはボクが大切に思う人に可愛がって貰えれば満足だ。

 チャラい男とは関わりたくない。

 近寄るなオーラをがんがん出しているのに、男はそれを無視する。


「ねえ。そのネコミミに触ってもいい?」


 男は問いかけてきた。


(ダメに決まっている)


 心の中で答える。


「シャーッ!!」


 無視するわけにもいかなくて、仕方なく威嚇した。


「ようやく返事をしてくれた。良かった。聞こえていない訳ではなかった」


 男はそんなことを言う。


(この人、面倒くさい)


 ボクは心の中でそう思った。ちょうど皿も空になったので、この場を逃げ出すことにする。

 だが、男は後ろから付いてきた。



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