閑話: 過去の話。





 カールと2人で晩酌する時間はロイドにとって息抜きだった。ロイエンタール家の待遇はいいが、居候として気を遣わないわけではない。

 2人でのんびりと酒を飲む時だけは気が休まった。何を話すと言う訳でもなく、まったりする。


 トントントン。


 不意にノックが響いた。


「はい」


 ロイドは返事をする。ここはロイドの部屋だ。

 ドアが開き、ノワールがぴょこんと顔だけ出す。ネコミミがぴくぴく動いて何とも愛らしい。


「どうした?」


 ロイドは優しく問いかけた。


「にゃにゃ?」


 入室の許可を求めるようにノワールは鳴く。


「いいよ。おいで」


 ロイドは手招いた。

 ノワールは部屋に入ってくる。可愛らしいネグリジェを着ていた。レースとフリルとリボンが付いていて、どう見ても男の子用ではない。色は優しい水色だが、ノワールの服は基本、白黒か青か緑だ。瞳の色に合わせているらしい。


(寝間着姿まで愛らしいから、凶悪)


 ロイドは心の中で呟いた。

 ノワールは自分が愛らしいことを十分に知っている。その上で、自分の容姿を最大限に活用していた。

 ノワールはとことことカールの隣に向かう。ソファをよじ登って座った。

 カールはその愛らしい姿に目を細めている。でかい図体に似合わず、カールは可愛いものが好きだ。特に子供には優しい。その分、子供からも好かれた。王子がカールにだけ懐いたのも、そういうカールの性格が幸いしているのだと思う。


「なんでそっちに座るの? こっちにおいで」


 ロイドは自分の隣をトントンと叩いた。ソファなら、自分の隣だって空いている。


「にゃっ」


 即答が返ってきた。ネコ語のはずなのに、何故かはっきり嫌だと聞き取れる。

 ノワールは結構、容赦ない。

 だが、拗ねたり臍を曲げたりしている場合ではなかった。ノワールは過去の話を聞きたがる。

 アルバートやルーベルトは優しい子だ。気になっていても、聞いたら不味いと思うのか何も問わない。見てみぬふりをした。だが、ノワールにそのつもりはないらしい。

 度々王宮に行くことになったのに、知らないことがあるのは困ると尤もそうな理由をつけた。


(でも本心はただの興味本位だろうな)


 心の中で突っ込む。

 だがこういうちょっと無理目のお願いをする時のノワールは結構策士だ。目をうるうるさせて、可愛らしい顔でおねだりする。ロイドが自分に甘いことを利用した。


(本当に性質が悪い)


 ロイドは心の中で苦笑する。だがそういうノワールに自分が甘いことを自覚していた。






 話を聞いて満足したのか、ノワールはコップ一杯の水を飲み終えると、帰えると言い出した。


「聞くだけ聞いたら用無しなのか? つれないな」


 ロイドは拗ねる。


「少しくらいサービスしてくれたっていいのに」


 困らせたくて、そんなことを言った。


「……」


 ノワールはむうっと口を噤む。だが、一理あると思ったようだ。少し考えると、ソファを降りてロイドに近づく。

 くいっとロイドの腕を引いた。


「何?」


 ロイドは内緒話でもあるのかと耳を寄せる。


 チュウ。


 頬に柔らかな感触が当たった。


「ん?」


 ロイドは驚く。目を丸くした。


「サービスにゃ」


 ノワールは呟く。ちょっと不本意そうな顔をしているのが、また可愛らしい。


「ありがとう」


 ロイドは素直に礼を言った。

 ノワールは満足な顔をする。


「ノワール。わたしには?」


 カールが羨ましそうに聞いた。


「にゃあ」


 来てと言いたげに、ノワールは手を広げる。

 カールはノワールのところに来て、その身体を抱き上げた。

 ノワールはカールにしがみつき、頬にちゅうとキスをする。


「ありがとう」


 カールは嬉しそうに微笑んだ。


「このまま、アルバートの部屋まで送ってあげよう」


 そう言う。


「にゃ」


 ノワールは頷いた。カールの首に腕を回してしがみつく。カールはノワールを抱っこしたまま部屋を出て行った。






 一人残されて、ロイドはグラスに手を伸ばす。飲みながら、昔のことを思い出した。

 ノワールに語った昔話は嘘ではない。だが、真実とも言い切れなかった。話していないことがいろいろある。

 例えば、王子がカールに抱いている感情が何なのかは実はかなり微妙だ。昔は確かに思慕だった。兄を慕うように、カールを慕う。だが途中で取り上げられたことによって、その気持ちはちょっと歪んでしまった。今の王子の感情が、思慕なのか恋愛感情なのかはけっこう曖昧だ。確かなのは、カールにその気持ちに応える気はないということだろう。


 カールの一番は今も昔も自分であることをロイドは知っていた。

 それが責任感なのか何なのかはロイドにもよくわからない。カールの感情はけっこう謎だ。

 親の虐待からカールの父親に救われたロイドは最初から自立の道を探していた。カールの家にいつまでも世話になるわけにはいかない。王宮勤めを目指したのは自然な流れだ。魔力に自信があったから魔法師師団を希望するのも普通のことだろう。カールとの縁も学園を卒業したら終わると思っていた。なのにカールはついて来る。同じ王宮勤めになった。それだけでなく、家督まで弟に譲ってしまう。

 ずっと一緒にいてくれるというカールにロイドは困惑するしかない。そんなこと、頼んではいなかった。

 だが同じ王宮に勤めていても、顔を合わせる機会はほぼ無かった。ロイドは家庭教師の一人として当時は跡継ぎであったミリアナに魔法を教えるのが主な仕事になる。

 国王には使えないと困る魔法がいくつかあった。その魔法を使えるようにするためには、かなり厳しい鍛錬が必要になる。

 当時、ミリアナは13歳くらいだ。そんな少女に過酷な訓練を強いるのは心苦しい。だが、出来ないと困るのも事実だ。ロイドは厳しく指導する。ミリアナは頑張った。

 だが王妃が亡くなり、国王が再婚する。王子が生まれると王女の状況は一変した。

 それに伴い、ロイドも家庭教師を外される。部署の移動を指示された。

 その時、王女から好きだと告白された。もう王になることが無いのなら、自由に生きても許されるだろうとミリアナは呟く。ロイドにはそれが自棄になっているようにしか見えなかった。

 丁重にお断りする。

 王女の良くない噂をいろいろと聞くようになったのはその後だ。あの時、自分が受け入れていれば何かが変わったのだろうかと思わないわけではない。

 だが、その気が無いのに受け入れることは出来なかった。好意を寄せられても、応えられるとは限らない。

 その話はその後、一度も王女とはしていなかった。たまに何かの会議で顔を合わせることがあっても、王女からは必要以上に話しかけられることもない。

 ミリアナがどう思っているかなんて、ロイドは知らなかった。

 だが、彼女がいろいろ疲れているというノワールの話は理解できる。自分が知っている昔の彼女ならそうだろう。変わったと言われていたが、根本的には変わっていないのかもしれない。

 ノワールの出会いがミリアナにとって良い方向に事態が動くことをかつての師としてロイドは願った。




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