11-6 抱擁。




 見た目よりずっと軽いボクを抱っこして、ミリアナは中庭の散策を始めた。

 ボクは寄りかかっていいかどうか迷って、困る。

 今のボクは子供とはいえ、一応、オスだ。妙齢の女性に抱きつくのは問題がある気がする。

 身体がふらふらと揺れるので、どうにも居心地が悪かった。


(ううーん)


 逃げ出したいが逃げられないので困っていると、ふっと笑う気配がある。

 ミリアナが笑っていた。ずいぶんと穏やかな顔をしている。


「遠慮なく、しがみつきなさい。あの子にはそうやって甘えていたでしょう?」


 ミリアナは優しい声音で言った。甘えて欲しいらしい。

 少し迷ったが、ボクはその言葉に従うことにした。

 可愛いは正義だ。

 可愛いボクを堪能したいというなら、それを叶えてあげよう。

 話に聞くほど、目の前の王女は悪い人には思えなかった。そういう匂いがしない。


「にゃあ」


 わかったと、ボクは返事をした。

 王女の首に腕を回して、抱きつく。甘えてあげた。


「ふふっ」


 ミリアナは笑う。


「可愛い子ね」


 頭を撫でられた。ネコミミに触られる。くすぐったくて、ぶるっと身体が震えた。

 ふふっとまたミリアナは笑う。


「……」


 その顔をボクは不思議そうに眺めた。こうしてみると、ただのお姉さんだ。年齢はそれなりにいっているが、年相応のドレスを着ているので、痛々しい感じは別にない。

 なんというか、良くも悪くも普通な感じだ。

 いろいろ聞かされた逸話の印象と目の前の人物が噛み合わない。


「にゃあ……」


 ボクは困惑した。


「なんでそんな顔をするの?」


 ミリアナはボクに問いかける。そんな顔と言われても、ボクは自分がどんな顔をしているのか見えない。


「にゃ?」


 首を傾げた。


「ああ。自分の顔なんて見える訳がないわね」


 ミリアナは笑った。くるりと周りを見回す。

 何を探しているのだろうと思ったら、水だった。水面に映る顔を見せたいらしい。

 見つけたのは何のためにあるのかよくわからない噴水だ。水が噴き上げるタイプではなく、いくつか段が出来ていて、上から下へと水が流れていくタイプのやつだ。真ん中あたりの段の水面にボクの顔を映して見せる。


(おおっ。今日も絶世の美少年だな)


 自分の顔に自分で感嘆した。顔の横の髪が可愛らしく編み込んである。編み込まれた髪には宝石が散りばめられていた。銀の髪にその色とりどりの宝石がけっこう目立つ。いつもより3割増しくらいにゴージャスだ。


「にゃあ」


 自分の顔に見惚れてしまう。


「自分の顔にうっとりしているの? 変な子ね」


 ミリアナは笑った。その顔はまるで少女のようだ。朗らかでとても意地悪をする人には見えない。


(なんていうか、アンバランスだな)


 ボクはそう思った。


(いろいろ聞きたい。でも、聞けない)


 ここで喋るのはどう考えも悪手だ。だが、黙っていたら何も解決しない。


「う、うにゃあ」


 ボクは葛藤した。そして、ある方法を思いつく。


(喋れないなら、書けばいい)


 気持ちを伝える方法はいくつかあった。ボクは学園の筆記試験は普通に受けている。文字が書けることはみんなが知っていた。隠す必要はない。


「にゃあ、にゃあ」


 あっちに行きたいと、ボクは指さした。


「あっち? あっちに何かあるの?」


 ミリアナは不思議な顔をする。ボクが指さした方向を見た。そこには植え替えたばかりらしい花壇がある。平らにならされ何も生えていない。


「あそこには何もないわよ?」


 ミリアナは首を傾げた。


「にゃあ、にゃあ」


 それでもボクは強請る。あっちに行きたいと訴えた。


「わがままな子ね」


 言葉とは裏腹にミリアナは嬉しそうな顔をする。


「わたしにわがまま言う子なんて、初めてよ」


 何もない花壇に連れて行ってくれた。


「にゃあ。にゃあにゃあ」


 下りろしてと、ボクは強請る。


「はいはい。下りたいのね」


 ミリアナはため息交じりにボクを降ろした。


「まるで、駄々っ子のお母さんになった気分よ」


 苦笑するが、ミリアナにはボクくらいの年の子供がいても可笑しくない。本人も、口に出してからその事に気づいたようだ。なんとも気まずい顔をする。

 ボクはその場にしゃがみ込んだ。


「にゃあ」


 ことさら明るい声を出す。左手でミリアナのドレスを引っ張った。


「なあに?」


 ミリアナは問いかける。同じように、しゃがんでくれた。 

 ボクは花壇の柔らかな土の上に指で文字を書く。


(花壇を管理している庭師さん、ごめんなさい)


 心の中で謝った。何を植えたかは知らないが、もしかしたらそれを台無しにしてしまうかもしれない。

 綺麗にならされた表面はボクの指でほじくり返されていた。


「あなた、文字が書けるの?」


 ミリアナは驚く。だが、直ぐにボクが学園で生徒として授業を受けていることを思い出したようだ。


「試験を受けているんですもの、書けて当然ね」


 納得する。

 ボクは”質問してもいい?”と花壇に書いた。


「いいわよ。特別、許してあげる」


 ミリアナは頷く。


”本当は優しい人なのに、どうして意地悪するの?”


 ボクはいきなり直球を投げた。もっと回りくどい言い方の方がいいのかもしれないが、書くのはそれなりに時間も手間もかかる。オブラートに言葉を包む余裕なんてなかった。


「いきなり、言いにくいことを聞くのね」


 ミリアナは呆れた顔をした。だが、怒ってはいない。


(ほらね、優しい)


 ボクは心の中で呟く。本当に意地悪な人ならこの一言で怒り出すだろう。


「わたしはね、怒っているの。もうずーっと長い間ね。怒っているから、意地悪するの。みんなを困らせたくて」


 答えた言葉は本音だろう。何故あっさり本音を語ってくれたのか、ボクにもわからない。だがミリアナはもう怒ることに疲れていた。それだけは感じ取れる。

 怒るというのはとてもエネルギーを消費する感情だ、ずっと怒り続けるのはそれだけ気持ちも身体も疲弊する。長い間、怒り続けたミリアナは疲れていた。だが、怒りのおさめどころが見つからないのだろう。


”疲れたなら、怒るのを止めていいのに”


 ボクはそう書いた。


「今さら、止められないのよ」


 ミリアナは苦く笑う。その顔は哀しそうに見えた。


”旅行に出るとかは?”


 王宮を離れてみるのはどうかと提案する。冷却期間をおけば、怒りがさめたことに周りも納得しやすいだろう。


「それは難しいわね。こう見えて、意外と忙しいのよ」


 ミリアナは幾つも仕事を抱えているようだ。お姫様なんて城でのんびりお茶しているだけだと思ったら、違ったらしい。話を聞く限り、がっつり商売に手を出しているようだ。しかも、儲かっているらしい。王宮に増えた調度品の半分以上はミリアナの儲けで購入したようだ。



(王様が娘に何も言えないのって、娘への後ろめたさではなくてその経済力のせいなんじゃない?)


 ボクはふと、思い至った。


”じゃあ、ペットを飼うとかは?”


 動物を飼うと性格が丸くなる人は少なくない。


「あなたがわたしのペットになってくれるの? それはいいわね」


 ミリアナは喜んだ。


「にゃあ」


 違うと、ボクは首を横に振る。


”ボクはアルバートのネコだからダメ”


 素っ気なく、断わった。


「つれない子ね」


 ミリアナは苦く笑う。その顔は寂しそうに見えた。

 胸がきゅんとする。


”でも、遊びに来るくらいならいいよ”


 フォローのつもりでそう書いた。


「遊びに来てくれるの?」


 ミリアナは目をぱしぱしと瞬く。意外そうな顔をした。


”いいよ。アルバートたちに意地悪しないなら”


 ボクは頷く。


「いいわよ。可愛いあなたの飼い主だもの。意地悪なんてしないわよ」


 そう言うと、ボクの頬に手を伸ばした。優しく撫でる。


「にゃーん」


 気持ち良くて、声が出た。


「優しい子ね」


 ミリアナは呟く。

 ボクはすりすりとミリアナの手に顔を擦りつけ、それからミリアナに抱きついた。ぎゅっとしがみつく。


「本当にいい子」


 ミリアナはボクを抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る