閑話: 猫(後編)





 ロイドを見つけて、前公爵はにやりと笑った。

 ずいぶんと久しぶりに顔を見たが、元気そうに見える。向こうは自分の顔なんて見たくないだろうが、前公爵は懐かしさを感じていた。

 ロイドとの関係は簡単に言えば上司と部下だ。

 一時期、ロイドは前公爵の指示でいろんな仕事を行っていた。そこには公に出来ないような内容も含まれている。


 嫌がるのを承知で、前公爵はロイドに寄っていった。それに気付いたロイドがしれっとした顔で逃げようとする。こちらに背を向けた。


「ロイド」


 意地悪く、呼び止める。

 嫌そうにロイドは振り返った。

 だが目が合った瞬間、表情を取り繕う。


(遅いっ)


 そう思ったが、口には出さなかった。


「ご無沙汰しています」


 挨拶をされる。

 ロイドはさっさと話を切り上げて逃げたがっていたのがわかったので、前公爵はわざと引き留めた。

 世間話を続け、立ち去る隙を与えない。

 ロイドの後ろではカールが話を終えるのを待っていたが気にしなかったし、自分に話し掛けたい一族の人間が声をかけるタイミングをはかっていたのにも気付いていたが、無視した。

 久々に会ったロイドをからかう方が楽しい。

 すると予想外のことが起った。

 ノワールが料理の皿を持ってトコトコとやってきて、カールの服を引っ張る。

 壁際に移動するために、カールを使おうとしていた。

 ノワールがいたと思われる料理が並んだテーブルは前公爵やロイドがいる場所からさほど遠くない。だが、壁際まではそこそこ距離があった。

 小さな子供が料理の皿を抱えて人の間を縫って移動するのはなかなかの難しさだろう。子供は小さく、普通の大人の視界には入らない。

 それがわかっているから、ノワールはカールを利用しようとした。

 壁際まで運んでもらうつもりでいる。


(なかなかしたたかだな)


 状況判断がよく出来ていると思った。そんなノワールとカールの行動を、ロイドは話しながらちらちらと気にしている。


「ずいぶん気にしているな。あれが例の猫だろう?」


 問いかけると、ロイドは少しばかり目を見開いた。


「どこまで、知っているのですか?」


 逆に尋ねてくる。


「そうだな。お前がこの屋敷に滞在する理由くらいまでは知っているよ」


 前公爵は答えた。少しだけ、大げさに言う。本当は詳しい侍女はまだ聞いていなかった。

 引退しても暇ではない。実の息子とも無理をしなければ顔を合わせることはない状況だ。詳しい話は今日の夜、聞こうと思っている。


「全部じゃないですか」


 ロイドは苦く笑う。


「どんな感じだ?」


 前公爵はノワールのことを尋ねた。ロイドの評価が知りたい。


「気になるなら、自分で確認してはどうですか?」


 ロイドは提案した。これで解放されるという顔をしている。わかっていて、乗ってやることにした。






 ノワールには最初、警戒された。

 そういう反応には正直、前公爵は慣れている。実の息子や孫にも甘えられたことなんてほとんどない。

 貴族の親子関係はそういうものだと理解しているが、寂しくないと言えば嘘になった。

 こちらを窺うノワールを見ていると、慌てたようにアルバートがやって来る。


「お祖父様。ノワールを苛めないでください」


 そんなことを言われた。


「まだ苛めていない」


 思わず、前公爵は言い返す。

 アルバートはノワールを抱っこして、甘やかした。

 ノワールもアルバートには甘えてすり寄っている。

 それを他人事のように眺めていたら、アルバートから思いがけない提案をされた。


「抱っこしてみますか?」


 アルバートの問いかけに、ノワールの身体がぴくっと震えたのがわかる。

 色の違う瞳が真っ直ぐにこちらを見た。


「ああ」


 前公爵は頷く手を広げる。

 渋々という感じでノワールは腕の中に移ってくる。ノワールの身体は驚くほど軽かった。それは元々は猫だからかもしれない。

 ぬくもりを前公爵は感じた。 

 心の中が暖かくなってくる。それはなんとも不思議な感覚だった。

 ノワールは首筋に顔を寄せてくる。クンクンと匂いを嗅いだ。それは少しくすぐったい。

 そっと、ノワールの背中を手で撫でた。

 ノワールはおずおずと首に腕を回して抱きついてくる。

 そんなことをされたのは孫にも息子にもなかった。


「な~お」


 ノワールは顔を擦りつけてくる。

 前公爵はドキッとした。今まで感じたことがない感情か心の中で芽生える。


「いい子だな」


 自然と、そんな言葉が口から漏れた。

 すりすりとノワールは甘える。頬にチュッとキスをされた。


「……」


 前公爵は驚く。


(なんなんだ? この可愛い生き物は)


 心の中で呟いた。

 猫だというのは最初からわかっている。だが猫とはこんなにも可愛く愛想の良い生き物だっただろうか。


「よしよし」


 頭を撫でたくなった。


「可愛い子でしょう?」


 アルバートが自慢する。愛しさに溢れた顔でノワールを見つめた。

 その顔は自分の知っている孫の顔とは違う。アルバートは貴族らしい子供だ。複雑な家庭環境のせいなのか、年より大人びていたように思う。どこか冷めていて、周りを冷静に観察しているところがあった。

 子供らしく笑った顔など、ほとんど見た事が無い。祖父である自分の前では特に取り繕っていた。

 そのアルバートが普通に笑っている。


(これは良いことなのか悪いことなのか)


 一概には判断できなかった。


「ああ。とてもいい子だ」


 前公爵はノワールは抱きしめる。

 ノワールはさらに甘えた。

 そんな猫が可愛くて、前公爵は自分の庇護下に置くことを決める。

 それをアピールするために、パーティの間中、ノワールを側に置いた。当然のように、アルバートも側にいる。

 挨拶に来る一族の誰もが、アルバートのことに触れると共にノワールについても触れざる得なかった。

 そんな連中にノワールは愛想を振りまいている。大人達をメロメロにした。

 それが故意であることに前公爵は気付いている。

 ノワールは周りの大人を自分の味方にしようとしていた。


(面白い)


 前公爵は心の中で感嘆する。

 ノワールに興味津々になった。

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