閑話: 猫(前編)
それがただの猫であることを前公爵は息子からの報告で聞いていた。
アルバートに抱えられたその子はどう見ても小さな人間の子供にしか見えない。しかも人形のように綺麗すぎるほど整った顔の子供だ。あまりに可愛らしすぎて、男の子には見えない。
透き通るように色白の肌に銀の髪。全体的に色素が薄い中、色の違う青と緑の瞳だけが妙に人の目を引いた。
そして頭には白い猫の耳がついている。
その耳がぴくぴくと動いていなければ、アルバートが大きめの人形を抱えていると誰もが思うだろう。
それがその子が獣人とされている証であったが、その認識が誤っていることを前公爵は知っていた。
獣人は獣の耳を持っている。
その認識は間違いではない。だが、人形みたいなその子には猫の耳とは別に人間の耳もちゃんとついていた。
それは獣人にはありえない。それでは耳が4つ有ることになってしまう。
それに、獣人であればシッポもでているはずだ。だがその子の尻にはシッポも見えない。
それはその子のベースが人の形だからだ。そこに猫の耳が残っているという認識が正しい。
それはつまり、その子は獣人とは別のモノだということだ。
しかしそれを認識できるのはこの場では前公爵くらいだろう。
獣人を目にしたことがある者はとても少ない。実在するのが確認されているのは数体だ。しかもたいていの場合、主が隠して人前には出さない。前公爵でさえ、実際に目にしたことがあるのは数回だ。しかも何十年も前の話になる。
今、アルバートの連れている子供を見て、それが獣人ではないと判別できるものはおそらくいないだろう。
(それにしても、心臓に悪い嘘をついたものだ)
前公爵は苦く笑った。ノワールのことを初めて聞いた日のことを思い出す。それは半年ほど前のことだった。
当主のアーノルドは週一くらいで父親のところを訪れている。それは呼び出されることもあったし、自主的に足を運ぶこともあった。
引退しても、前公爵の権力は未だに強い。情報は共有しておいた方が何かと都合が良かった。
ノワールの件もすぐに父に報告を入れる。
使い魔の猫が自分で魔法を使い、人の形を取ったことを話した。
その話が嘘だとは、前公爵は少しも疑わない。息子がそんなくだらない嘘をつくわけがないことはよくわかっていた。
自分と比べて、息子は真面目で真っ直ぐだ。
曲者だと言われ続けた自分の息子があんな生真面目な人間に育つのだから、人間というものは面白い。私生活には難がないわけではないが、当主として問題はないので大目に見ることにしていた。
「それはただの猫なのか?」
前侯爵は素直な疑問を口にする。
アーノルド自身、訝しく思っていたので父の疑問はもっともだと思った。
「それでも、確かに猫なのです」
そう答えるしかない。
その白い猫は他の兄弟猫より少し小さく見えた。瞳の色が左右違うことを除けば、特筆すべきことは無いただの白猫だ。それが黒猫ならともかく、白猫という時点でアーノルドは興味を失う。
それがことの成り行きで嫡男であるアルバートが使い魔として契約することになった。反対することも出来たが、その程度のことは本人の好きにさせて構わない。
使い魔というのは魔法使いにとっては大事なパートナーだ。しかし、嫡男であるアルバートに魔法使いとしての能力は誰も求めていない。アルバートには領主としてやるべき仕事が他にたくさんあった。
アルバートを学園に通わせるのも、魔力の腕を磨かせるためではない。学園の卒業生という肩書きと、魔法使いのランクをある程度上げておく必要があるからだ。
アーノルドは使い魔に期待なんて何もしていない。逆に言えばだから、アルバートの自由を許した。
だがノワールはただの猫ではなかった。人の形を取り、魔法を学びたいと言い出す。正直、アーノルドには正気とは思えなかった。
しかしそれに大叔父までが乗り気になる。
実の息子にさえ何を考えているのか読めない父親と違って、大叔父のことは信頼していた。
彼が賛成するなら、ロイエンタール家のためになるのだと考える。
紆余曲折を経て、ノワールは獣人として学園に行くことになった。
そして学園が始まって半年後。
期末試験の成績が保護者であるアーノルドに届いた。学園では保護者に直接、成績票を送っている。魔法で送るので、遅延も未配達もなかった。アーノルドはそれを父である前公爵にも見せる。
それにはノワールの成績票も含まれていた。
「だだの猫の成績ではないな」
前公爵はノワールの成績票を手に、眉をしかめる。厄介なことになったと思った。
過ぎたる力は災いを呼ぶ。それを前公爵はよく知っていた。
優秀な2人の孫と比べても、ノワールの成績は遜色ない。
前公爵もアーノルドも不自然に黙り込んだ。空気が重くなる。
「まあ、いい。2人が帰ってきたらパーティを開くのだろう?」
前公爵はアーノルドに確認した。
「はい。学園から戻ってくる、その日に」
アーノルドは頷く。
「ではその日、自分の目で確かめよう」
前公爵はそう言うと、その話を終えた。
そしてパーティ当日、前公爵はわざとノワールと距離を取った。
周りの反応を離れた場所から眺める。
アルバートに抱っこされて、ノワールはあちこち連れ回されていた。
気まぐれな猫とは思えないほど、空気が読めている。
ちゃんと愛想を振りまいていた。自分の立場をよく理解しているように見える。
(あの感じなら、問題はないな)
ただ可愛いだけの存在なら、問題ない。猫が自分の立場を弁え、大人しくしているなら素知らぬふりで放置しようと思った。
やれやれと心の中で呟きながら、何気なく会場の中に視線を巡らせた。
思いもしない旧知の人物の顔をそこに見つける。
(そういえば彼は今は学園の人間だったな)
諸事情で、学園の教官が屋敷に滞在することになったことは息子から聞いていた。だがその教官の名前までは確かめていなかった。
(ロイドだったのか)
にやりと彼は口の端を上げる。
面白いものを見つけたという顔をした。
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