閑話 遊び。
夕食を取った後、寮の部屋でアルバートはいつものようにノワールを抱っこしていた。アルバートの足の間に座ったノワールの目は右に左に動いている。
ちらちら、ちらちら、視界の端で動くものが気になった。
新しいおもちゃをアルバートが上の方で右へ左へと動かしている。
今日、ロイドは新しいおもちゃをノワールにプレゼントした。
ネズミを模した小さなぬいぐるみだ。
この世界に猫用のおもちゃなんて存在しない。
どこで入手したのだろうと、ノワールは不思議に思った。
そもそも、何のためのぬいぐるみなのかが謎だ。
(ぬいぐるみなのにネズミはないでしょ)
作るにしても、もっと可愛いものをモチーフにするだろうと思う。
(何故にネズミ?)
猫用としか思えなかった。
(この世界のネコがとうとうおネコ様に進化したとか?)
自分で考えて、(いや、ないな)と否定する。
ネコ用のおもちゃが普通に売られているとか、ネコまっしぐらな柔らかオヤツが売られているとかそういう気配は感じなかった。ドックフードやキャットフードさえない。人間の食べ物のお裾分けを犬猫は食べているのが現状だ。
現代日本のようなおネコ様扱いはあり得ない。
いろいろ気になることはあったが、なんだかんだいってノワールはネコだ。気まぐれに生きている。今日はおもちゃで遊ぶ気分ではなかった。
受け取ったおもちゃはそのまま迎えに来たアルバートに渡す。
ロイドに礼を言ったのもアルバートだ。
一応、ノワールは「にゃあ」しか言えない設定になっているので、それはまあ仕方ない。どうしようもなく必要な時は喋るが、にゃあと鳴いているだけの方が簡単なので、基本的にノワールは『にゃあ』で全てを済ませていた。
人間だった時、人付き合いって難しいなとノワールは思っていた。
だが、ネコになって思う。
『下僕、チョロい』
人間とはネコに甘い生き物だ。可愛いだけで許してしまう。ちょっと甘えられて、スリスリとかされたらもうメロメロだ。
何でもしてくれる下僕に成り下がる。
気まぐれの一つくらいくらい何の問題にもならない。
貰ったおもちゃのことも、夕食を食べる頃には忘れてしまった。
思い出したのは、アルバートが新しいそのおもちゃのぬいぐるみを取り出したからだ。
だが、今日は遊ぶ気はないと突っぱねていたことをノワールは覚えている。
手を出すのは躊躇われた。
変なところで意地を張る。差し出されたおもちゃに手を出さなかった。
しかしアルバートも諦めない。
アルバートノワールの攻防が始まった。
これみよがしに、アルバートはぬいぐるみを振る。
上の方で、右に左にと動かした。ノワールを誘う。
ノワールも最初は無視していた。
素知らぬ顔をする。しかし、耳は正直だ。ぴくぴくと動いてしまう。興味があるのはわかりやすかった。
その内、身体がうずうずしている。
アルバートは緩急をつけて動かした。
シュッ、シュッと振ると、ノワールの頭が左右に動く。目だけではなく、頭まで動き始めた。
「にゃっ」
我慢できなくて、ノワールは手を出す。ぬいぐるみを掴もうとした。
だが、さっとアルバートはぬいぐるみを上に持ち上げる。ノワールの手は届かなかった。
「にゃにゃっ」
ノワールは不満の声を上げた。完全に火が付く。
座っていたソファに足を乗せて膝立ちになった。
だが、それでもアルバートは渡さない。ぽーんと上に放り投げた。
「にゃっ。にゃっ。にゃっ」
ノワールは真剣にぬいぐるみを取ろうとする。ほぼ無意識に声が口から漏れていた。
そんなノワールが可愛くて、アルバートはぬいぐるみを渡さない。
その内、追いかけっこが始まった。
本気でアルバートが逃げたら、小さなノワールは追いつけない。だから、逃げる範囲は狭く、ノワールがぎりぎり届かない距離だ。
届きそうで届かないことに、ノワールはムキになる。
「にゃあ、にゃあ」
ネコの言葉で文句を言っていた。
アルバートは楽しそうにそれを笑って聞いている。
(なんで猫の言葉しか話さないんだろう?)
それを傍から見ていて、ルーベルトはちょっと不思議に思った。ノワールは普通に人間の言葉も話せる。いろいろ聞かれるのが面倒だからと、人前ではネコの言葉で通しているが、寮の部屋には自分とアルバートとかいなかった。
普通に話しても問題ない。
だが最近、ノワールは寮の部屋でもネコの言葉で過ごす事が増えていた。
「ねぇ。一つ聞いていい」
ルーベルトは楽しそうな二人に声を掛ける。
「にゃっ?」
ノワールはルーベルトを振り返った。アルバートにしがみついて、その身体を上ろうとしていた。
「邪魔してごめん」
このタイミングで声を掛けるなと言いたげな顔をしたような気がして、ルーベルトは謝る。
「にゃあ」
ノワールは一声鳴いた。
気にするなという意味だとルーベルトは取る。
「最近、部屋の中でもネコ語で通しているのは何故かなと思って」
疑問を口にした。
「にゃっ?」
ノワールは今気付いたって顔をする。
「そういえば……」
アルバートもノワールを見た。
「可愛いから、気にしなかった」
ノワールの頬に手を伸ばして、よしよしと撫でる。
気持ちがいいのか、ノワールは目を細めた。
「喋る必要が、ないから?」
自分でもよくわからないのか、ノワールは小さく首を傾げる。
必要があれば喋る。だが、そういう機会はあまり多くなかった。
にゃあにゃあ鳴いていればたいていはどうにかなる。
「喋った方がいいの?」
ノワールはルーベルトに聞いた。
「いや、そういう意味じゃない」
ルーベルトは首を横に振る。ただ疑問に思っただけだ。
「邪魔してごめんね。続きをどうぞ」
アルバートとノワールを促す。
二人は互いの顔を見た。
このまま遊ぶのを止めてしまうのかと思ったら、遊びを再開する。
じゃれているのか、いちゃついているのか、わからないが楽しそうだった。
いつもより遅い時間まで、二人は遊ぶ。
当然、翌日、ノワールは寝不足になった。
眠そうに、何度も欠伸を繰り返す。
それでも、授業中は頑張って起きていた。しかしそれも放課後までは持たない。
ロイドに呼ばれて教官室に向かう頃には、すでにノワールは夢の中にいた。
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