8-7 変わらぬ日常。
命を狙われているかもしれないとわかったからといって、ボクの日常が何か変わったのかというと、実は何も変わらなかった。
変えようもない。
ボクはいつも通りに学園で授業を受ける。
あえていうなら、いつも以上にアルバートがべったりくっついて側を離れなくなった。
ほぼ抱っこされている。
赤ちゃんにでもなったような気分だが、アルバートがボクの世話を焼きたがるのはいつものことだと言えばいつものことなので、周りは何も気にしなかった。
それはそれで痛いなと思う。
相変わらず、『にゃあ』しか喋らないボクはみんなのマスコットだ。
お菓子をくれる女の子は多い。
可愛らしさを求められているのは知っているので、たまにサービスで可愛くにゃあと鳴いてあげた。
気分が良くて愛想を振ると、お菓子が増える。
貢ぎ物をされている感じだ。
いくら食べても太らないので、貰えるだけ頂く。
お菓子は前世の方が美味しかったことはちょっと残念だ。
この世界のお菓子はちょっと雑なところがある。
甘い物は徹底的に甘く、それが美味しいと思われている節があった。
(もっと繊細な味のバリエーションを楽しみたい)
そう思うが、それを上手く伝えられない。
計量が命のお菓子作りは大雑把な前世のボクには向かない作業だった。料理ならたいてい美味しく作れるのに、お菓子作りは面倒で早々に作ることを止めてしまう。作るより安くて簡単に市販のお菓子が手に入ったのも作らなくなった理由の一つだ。そのため、覚えているレシピがほぼない。こちらの世界で再現しようにも、出来なかった。
既存のお菓子で我慢する。
だがそれも、猫のままだったら口にすることは出来なかった。
魔法を覚えて良かったなとしみじみ思う。
魔法の授業は面白いし、出来る事が増えるのは楽しかった。
不満があるとすれば、ロイドが教官室に仕掛けている攻撃無効の魔法を教えてもらおうと思ったのに、断わられたことだろう。
いつものように課外活動を終えてアルバートのお迎え待ちの間、ロイドと二人きりなので頼んでみた。
「お願いだにゃーん」
普段は使わないそんな言い方で、お強請りする。
上目遣いで可愛らしく甘えた。
抱っこされた腕の中、すりすりする。
とても頑張ってサービスしたのに、素っ気ない反応が返ってきた。
「意味が無いから、却下」
ロイドは首を横に振る。
凛と突っぱねられた。こういう時は食い下がっても無駄だと、すでにボクは知っている。
「チッ」
思わず、舌打ちが出た。
じとっと恨みがましくロイドを見ると、喜ばれてしまう。
「その蔑んだ目、嫌いじゃない」
ウキウキされた。
(無自覚Mめっ)
ボクはどん引く。さすがに失礼だと思ったので、口には出さなかった。
「可愛い。頬にチューしたい」
ロイドは浮かれたままほざく。
「ダメに決まっている」
ボクは拒んだ。寄せようとするロイドの顔を手で押し返す。
そんなやりとりもMっ気のあるロイドを喜ばせてしまった。
ロイドはにまにましている。
人としてはどこか破綻しているロイドだが、魔法使いとしては有能だ。特定の場所に設置する魔法は汎用性が低いと言われると納得するしかない。他にもっと覚えるべき魔法があると説得された。
「自分の半径5メートル以内の攻撃魔法は無効とか指定が出来たらいいのに」
ぼやいたら、ロイドは笑った。
「魔法はそんなに都合のいいものじゃないよ」
そんなことを言われる。
(魔法なんて、そもそも都合のいいものじゃん)
そう思ったが、口にするのは止めた。そんなぼやき、口に出しても意味がない。
代わりに他の防御魔法を教わった。
その研鑽に励む。
基本的に魔法に対するセンスを持っているので、わりとあっさり出来るようになった。
だが、発動時間を早めるために練習を繰り返す。
反復練習は魔法にとって有効だ。慣れれば、素早く発動できる。
(ボクって勤勉)
ふと、真面目すぎる働き者の自分に気付いた。
「猫ってもっと気まぐれで、横着で、だらだらしていても、可愛いってだけで許される生き物だと思う」
唐突に、そんなことを口にしたボクにロイドは驚く。
「何の話?」
困惑した。
「猫という生き物の本質についての話」
ボクは答える。
「ボクは猫の割に働き者過ぎると思う」
不満を訴えた。
もっとのんびり、だらだらしたい。猫として生まれた時点では、そういうつもりだった。
なのに毎日、わりと忙しい日々を過ごしている。
こんな予定ではなかった。安定した、家猫暮らしを狙っただけなのに。
「働き者はダメなの?」
ロイドは苦笑した。
「猫っぽくない」
ボクは答える。口を尖らせた。
その唇をロイドの指がむにっと摘まむ。
「ノワールは可愛いから、それだけで十分価値があるよ。猫っぽいとか、どうでもいい。頭でぴくぴく動く猫耳は壮絶に可愛いけど」
ロイドはボクの猫耳を見た。
猫耳は勝手にぴくびく動く。ボクの意思にはあまり関係ない。
ロイドは手を伸ばして、猫耳に触れた。指で優しく撫で上げる。
「にゃにゃっ」
ボクはぴくっと反応した。
背筋がぞわぞわする。
「感じるの?」
嬉しそうにロイドは手を伸ばしてきた。その手をボクは掴んで止める。
「触っちゃ、ダメ」
むーっと、頬を膨らませて睨んだ。
「そういうの可愛いだけだから、ダメだよ」
ロイドに真顔で注意される。
「可愛いのはもともとだにゃ」
ボクは言い返した。
そんなやりとりをしていたら、アルバートが迎えに来る。
さっとボクをロイドから取り上げた。自分が抱っこする。ボクはアルバートの首に腕を回した。しがみつく。
「先生。ノワールに手を出したら殺しますよ」
アルバートは笑顔で怖いことをさらりと言った。
「聞いていたのか?」
ロイドは苦笑する。
「いいえ、何も」
アルバートは否定した。
「だだの勘です」
微笑む。
「余計こえーよっ」
ロイドの突っ込みをアルバートはスルーした。
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