閑話: 毛玉。




 カールが何回か訓練に付き合うと、ノワールの動きは段違いによくなった。もともと歩くのさえどこか辿々しいとこがあったのに、身体能力の高さを存分に発揮できるようになる。

 さすが獣人の子供だと、カールは感心した。

 防御と反撃はそれなりに型になる。とりあえず安心できるレベルに達したところで、次の段階に移ることにした。

 最終的には猫になって逃げるのがベストだ。子供の足では簡単に大人に追いつかれてしまうが、猫なら子猫でも逃げ切れる勝機はある。

 そう提案すると、休憩しておやつを食べてからということになった。

 それはノワールにとって、必要な時間だ。

 休憩しておやつを食べないと、ノワールの体力はあっという間に尽きる。

 小さな子供と対峙することがあまりないのでよくわからないが、子供というのはこんなにも体力がないのだとカールは驚いた。自分の子供の頃のことを思い出そうとして、自分を基準にしてはいけないことを思い出す。


 ノワールはアルバートの膝の上に座って、おやつを食べていた。アルバートの胸に寄りかかって、甘えている。子供だからなのか、ノワールはとても甘えただ。そんなノワールが可愛くて、アルバートもべたべたに甘やかしている。

 こんな甘い男が跡継ぎでロイエンタール家は大丈夫かと余計な心配を焼きそうになったが、アルバートが甘いのはノワールと兄であるルーベルトくらいらしい。他の生徒に対しては四大公爵家の嫡男として相応しい態度を取っているようだ。

 アルバートに頭を撫でられて満足するまで甘えた後、その膝に座ったまま、ノワールは猫の姿になった。

 服が塊となってアルバートの膝の上に残される。ノワールの姿は見えなくなった。服の中に埋もれている。

 もぞもぞと服の一部が蠢き、ぴょこっと小さな白い子猫が顔を出した。その猫は珍しいオッドアイだ。左右の色が違う瞳がきらきらと輝いている。


 ノワールが子猫に戻ったのを見て、カールは子供だから猫になると子猫になるのだろうと勝手に納得していた。

 ロイドと違い、カールはノワールのことを獣人だと信じている。子猫の姿の方が本体だとは思っていなかった。

 その子猫に戻ったノワールをカールは掴み上げる。そのまま練習場の真ん中にちょこんと置いた。

 子猫は大人しくそこにお座りしている。

 その前にカールはしゃがんだ。目線が合うわけではないが、身長差がありすぎて立ったままでは話しにくい。しゃがんだ方がまだましだ。


「聞こえているか? ノワール。猫になっても言葉はわかるのだろう?」


 問いかける。


「にゃあ」


 返事をするように、絶妙のタイミングで白猫は鳴いた。通じているとカールは判断する。


「ここからアルバート達のところまで、捕まることなく逃げおおせたら、合格だ」


 カールはアルバート達を指さす。直線にすれば100メートルくらいの距離だ。

 子猫はそちらを見る。アルバートの姿を確認してから、にゃあと一言鳴いた。

 了解と言いたいらしい。

 それが愛らしくて、思わずカールは頭を撫でた。


「にゃ?」


 驚いたように、子猫は声を上げる。

 印象的なオッドアイが真っ直ぐカールを見つめた。そのきらめきは人の姿でも猫の姿でも変わりない。

 この国では、普通でないことは美徳だ。人と違った特徴はメリットになる。特別な力をそこに宿していると考えられていた。

 実際、ノワールはとても目がいいとロイドが言っていた。あのロイドがそういうくらいだから、相当なものだろう。


「3つ数えたら、スタートだ。いいな?」


 カールは立ち上がり、言った。


「にゃんっ」


 子猫が返事をする。

 いち、に、さんと3つ数えてから、カールはノワールを捕まえようとした。手を伸ばす。

 だが、ひょいっと子猫は身を翻した。

 子猫はようやく足元がしっかりしてきたくらいの大きさだ。遠目には白い毛玉に見える。その毛玉がぴょんぴょんと跳ねていた。

 それはなんとも愛らしい。だが、にやける余裕がカールになかった。

 的が小さいせいか、とても捕まえ難い。

 その上、とても身軽だ。

 ぴょんぴょん後ろに跳ねながら、子猫はカールと距離を取る。ただ逃げているわけではなかった。ちゃんと頭を使っている。


 子猫が小さすぎて、逃げ切れるのかカールは不安を覚えていた。しかし、いらぬ心配だったらしい。

 ノワールは自分の小ささを十分理解した上で、それを生かしていた。

 真っ直ぐに逃げるより、右に左に揺さぶりを掛けるのが得策と判断したらしい。

 実際、小さな身体でぴょんぴょん跳ねられると、追い掛けるのは大変だ。完全に振り回される。


(だが……)


 カールは心の中で呟いて、渋い顔をした。

 優しく捕まえようとすると至難の業だが、もっと乱暴な手段--例えば、足で蹴り上げる--とかいう暴挙に出た場合はどうだろう。

 それは小さいことはあまり利点にならないのではないかと思った。そして、手で捕まえるよりその方がずっと簡単だろう。

 だがさすがに、試しに蹴ったりとかは出来ない。


「ううーん」


 カールは唸った。それを見てとったのか、子猫は突然、たたっと駆けだす。カールを振り回すのを止めて、一目散にアルバートのところに向かった。

 カールは慌てて追い掛ける。それは大人の猫に比べればだいぶ遅いが、それでも人間が追いつけるほどではない。

 それに、子猫の時のノワールは体力が切れがないように見えた。

 ノワールはカールが追いつく前に、アルバートの膝に飛び乗る。


「にゃあ」


 可愛らしく鳴いたノワールをアルバートは優しく抱きしめた。

 追い掛けるのを止めたカールは歩いてアルバート達に近づく。珍しく息を切らしていた。


「相手の隙をついて姿を隠したら、猫になって逃げ出すのが一番だな」


 ノワールに告げる。


「にゃあ、にゃあ」


 賛同するように、ノワールを鳴いた。その姿はただただ愛らしい。


「訓練は今日で終わりですか?」


 アルバートは聞いた。


「そうだな~」


 カールは少し考える。


「これ以上教える事は特にないが、身体は定期的に動かした方がいい。週に一回くらいは続けたらどうだ?」


 アルバートに提案した。


「にゃあ」


 承諾するように、ノワールは鳴く。


「いいみたいです」


 アルバートは笑って、子猫を撫でた。

 白い毛玉はアルバートの上でごろんと腹を見せ、撫でろと要求する。

 アルバートは嬉しそうにお腹を撫でていた。







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