7-9 猫でも訓練。




 教官のカールとこっそり訓練を始めるようになってから、ノワールは少し変わった。魔法で変化した身体のせいか、ノワールの動きはどこかぎこちない事がある。自分の身体を上手く使いこなせていないように見えた。

 だがアルバートにはノワールのそんなところも可愛い。世話を焼きたくなるし、事実、そういう足りないところは率先して補ってきた。

 しかしカールとの訓練で、ノワールは自分の身体の使い方に慣れたらしい。少しぎこちなかった動きが回数を重ねるとなめらかになった。

 防御も反撃もそこそこ形になる。

 自分の活動限界もノワールは掴んだようだ。どのタイミングでカロリーを摂取すればいいのか、わかっている。


(問題は好き勝手に食事を出来なくなった時だな)


 そう思ったが、アルバートはそれを口にはしなかった。それは捕まって監禁とかされた時の話になる。少なくとも自分の側に居る時に、ノワールにそういう意味で苦労させるつもりはなかった。


 アルバートは目の前でカールの襲撃をするりと躱すノワールを見つめる。動きに合わせて、銀の髪が揺れていた。しなやかな身体の動きは美しくさえある。思わず見惚れていると、攻撃を躱したノワールが反撃に出た。カールを蹴る。

 リーチを考えて、攻撃は蹴りに限定したらしい。それが一番、相手に届きやすかった。だがもちろん、カールには通用しない。逃げられた。だが、もともとノワールの狙いはそれだ。相手が離れてくれたなら、それでいい。カールから逃げる。練習場の近くには木が植えてあった。その木を足場にして高いところに登る。カールはそれ以上、追い掛けなかった。

 ノワールの勝ちだ。


(そろそろこの訓練も必要無くなるな)


 アルバートはそう思う。

 それはカールも同様のようだ。


「じゃあ、次は猫の時の対処法を学ぼうか」


 誰も思いもしないことを言い出す。

 するすると下に下りてきたノワールはそれを聞いて驚いた顔をした。


「え?」


 思わず、聞き返す。


 そんな顔も可愛いなと、アルバートはにやけた。自分でも痛いことを考えている自覚はある。だが、贔屓目に見なくてもノワールは可愛い。整いすぎてどこか冷たく見えた顔はどんどん表情が豊かになっていた。それは人形に精気がこもっていくようにも見える。


「猫になった時の訓練も必要だろう?」


 カールは真顔で問うた。


「猫になった時はただ逃げればいいんでしょ?」


 ノワールは首を傾げる。何の訓練が必要なのかわからなかった。


「そうだよ。でも、猫の身体で全力疾走、したことがあるのか?」


 カールは尋ねる。

 ノワールは黙り込んだ。


「ない」


 首を横に振る。

 生れた時から人に飼われていたノワールは家の外に出るのもロイエンタール家に連れていかれたあの時が初めてだ。猫の姿で外に出たことはない。

 それに気付いて、不安な顔をした。無意識に、アルバートを振り返る。

 近くに座っていたアルバートは、ノワールが自分を見た事に満足な顔をした。頼られて嬉しい。


「猫で訓練するのは、おやつを食べてからにしませんか?」


 アルバートは提案した。

 そろそろ、ノワールの体力が尽きる頃だろう。


「そうだな。休憩しよう」


 カールは頷いた。


「ノワール、おいで」


 アルバートはノワールを呼ぶ。自分の膝に座らせて、お菓子を与えた。

 ノワールは甘えるようにアルバートに寄りかかる。猫耳がぴくぴく動いた。

 それが可愛くて、アルバートはにやける。よしよしと頭を撫でた。べたべたに甘やかす。

 ルーベルトが苦笑しているが、気にしない。

 カールもアルバートの隣に座って休憩を取った。こちらは体力的には問題ないが、手持ちぶさたなので休んでいる。


 休憩しておやつを食べた後、ノワールはアルバートの膝に座ったまま、猫に戻った。

 アルバートの膝の上には中身のなくなった服が抜け殻のように残る。子猫の小さな身体は服の中に埋もれていた。

 もぞもぞと服の一部が蠢いて、子猫のノワールが顔を出す。


「可愛いな」


 思わず、カールが呟いた。

 アルバートはそっと優しく、埋もれていた子猫を服の中から出す。

 相変わらず子猫のノワールは小さかった。とてもか弱く見えて、この身体で無事に逃げることが出来るのか不安になる。


「こんなに小さな身体で、訓練して大丈夫なんですか?」


 アルバートはカールに聞いた。


「小さくても、逃げる時はたぶん猫に戻った方が確実だ。逃げる事に慣れておいた方がいい」


 カールの意見はもっともで、アルバートは何も言い返せない。

 カールはそっと、子猫を摘まみ上げた。

 練習場の真ん中辺りに連れて行く。

 グランドのようになっているその場所は、周りに何もない。広い場所にぽつんとノワールは置かれた。


「にゃあ、にゃあ」


 不安そうにノワールは鳴く。

 その声が切なくて、胸が締め付けられる気がした。


「これ、見ているこっちがきついな」


 アルバートは呟く。


「そうだね」


 ルーベルトは頷いた。


 カールは小さなノワールを捕まえようとする。ノワールはひょいっとそれを躱した。小さな身体だが、動きは俊敏だ。小さい分、身体がとても軽い。小さな白い物体がぴょんぴょんと大きなカールを翻弄している。

 それはなんだかとても可愛らしい光景だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る