7-5 ハンデ
カールは左手一本でノワールを抱っこしていた。小さな子供など、カールにとっては軽い。特にノワールは元が子猫のせいなのか見た目よりずっと重さを感じなかった。
ノワールはカールの肩に顔を埋めて、寝ている。カールとの打ち合いで力を使い果たしたようだ。
すやすやと眠る寝顔は天使のように愛らしい。猫耳が周囲の音に反応して、時折ぴくっと動くのも可愛かった。大きなカールの身体に、身を預けて安心している。
それは子供がパパに甘えているようにも、熊の肩口に子猫がしがみついているようにも見えた。
とりあえず、微笑ましいのは確かだろう。
カールは何事もないように、ノワールを抱っこしたまま生徒達を指導していた。
打ち合っている生徒達に近づき、アドバイスを送る。それはどれも的確で、みるみる生徒の太刀筋は良くなった。
そのことは本人も実感するらしく、指導を受けた生徒の顔は嬉々として明るいものに変わる。
「アルバートは肩に力が入りすぎている。特に左肩。もっと力を抜け」
カールの声に、アルバートは一つ、息を吐いた。すーっと身体から力を抜く。
その状態で、打ち込んだ。
ルーベルトはそれを躱すが、余裕はない。
その理由がなんなのかは直ぐにわかった。カールの指摘を受けて、アルバートの剣が伸びる。リーチが長くなった。思った以上に深いところに剣先が来る。
「ルーベルトは手だけで剣を扱おうとするな。もっと全身の力の流れを意識しろ。剣は身体の一部だ。手の先にあるのが剣で、身体の力を剣先に流すことをイメージしろ」
言われたとおり、ルーベルトは身体の力をそのまま剣に伝えた。流れるように剣が動き、先ほどまでは簡単に跳ね返されたのが、今は受け流される。弾き返す余裕がないのが見て取れた。
少しのアドバイスで、剣の動きは劇的に変わる。
ルーベルトはたいして剣術に興味がなかった。必要だからやるが、アルバートのように自主的に剣を振るおうとは思わない。課外活動に剣術を選んだのも、アルバートの付き添いだ。
だが今初めて、剣を振るうことを楽しいと思う。
正しく剣を扱えるようになると、必要な力は小さくなった。効率的に力を活用しているのが自分でもわかる。体力の消耗も少なかった。
カールが生徒達に人気がある理由をアルバートもルーベルトも理解する。教官として、カールは思いの外有能だ。
アルバートとルーベルトがいい感じに打ち合っているのを見て、カールは満足する。次の生徒の指導へ移った。一人一人にカールはアドバイスを送る。
学園の生徒は数が少ない。一つの学年は1クラスで、30人ほどだ。一人一人に目を配る余裕がある。
ノワールを片手で抱っこしたまま、右手で剣を振るって見本を見せたりもした。そして話の流れで、直接打ち合いの指導をしてやることになる。
相手は侯爵家の子息でアレクと言った。剣の腕に自信があるようで、一度、カールと打ち合うことを前々から希望していた。赤い髪の色そのままに、熱血漢なタイプらしい。背が高く体躯もしっかりしていて、貴族の子弟にはちょっと珍しいやんちゃな子だ。性格はさばさばしていて意外と人気者らしい。それは周りの対応を見ていてわかった。アレクのために、周囲の子達が自分の訓練を止めてスペースを作ってやる。アレクに言われたからではなく、自主的に。
「お預かりします」
アレクと組んでいた子が手を差し出した。カールからノワールを受け取ろうとする。
抱えたままでもたいして邪魔にならないと思ったが、ここは預けるのが正解だとカールも思った。凭れているノワールを引きはがそうとする。
「にゃう~」
だが、眠ったままでノワールは嫌がった。よほど寝心地がいいらしい。離れるのを拒否した。小さな手がぎゅっとカールの服を掴む。
それに気付いて、カールはノワールを渡すのを止めた。
そもそも、勝手に他の生徒にノワールを預けたら、アルバートが怒るだろう。
ちなみにそのアルバート達はこの事態に気付いていなかった。こことアルバート達がいる場所は端と端なのでけっこう離れている。何か騒がしいとは思っているだろうが、たいして気に止めていないだろう。
「このままでいく」
カールはそう言った。
「え?」
生徒は戸惑う顔をする。それはアレクも同様だ。
「危ないですよ」
眉をしかめた。
「ちょうどいいハンデだ」
カールは笑う。
ノワールを抱えていることも、右手一本でやることも、生徒と打ち合う程度のことならカールの実力を考えるとたいしたハンデにもならない。
「いえ。こちらが斬り掛かり難いんです」
アレクは文句を言う。
眠るノワールに斬りかかるなんて非道な真似、とても出来なかった。後でアルバートに凄く怒られるのもわかっている。
「気にするな。お前の剣はどうせ当たらない」
カールは自信満々に言った。
そこまで言われたら、アレクもむきになる。
「何かあったら、先生が責任を取ってくださいよ」
カールに責任を押しつけることにした。
「当たり前だろう。この場で起きる全ての責任は教官の私が取る」
カールは頷く。無自覚に格好いいことを言った。
ノワールを片手で抱っこしたまま、カールはアレクと対戦した。
「うにゃっ」
激しく動くと、ノワールが身じろぐ。
「う~っ」
寝心地が悪いと、不満そうに唸った。
「ああ、悪かった」
カールは謝る。よしよしとノワールをあやした。
ノワールはすうすうと寝息を立てる。この状況を全く気にせず眠れるのだから、ある意味、大物だ。
ノワールを起こさないよう、カールはなめらかに動く事を意識した。
普段とは違うその身体の動きに、カールは新しい可能性を見いだす。上半身を動かさず、下半身だけで移動すると剣の軌道が安定した。
(面白い)
今までになかった動きはカール自身を驚かせる。そして、楽しかった。
言葉通り、アレクの剣はノワールまで届くことはない。
カールは圧勝した。
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