閑話: 八割方、猫。




 休日のボクは八割方、猫だ。

 人間としての理性が2割で、残りの8割が猫としての本能で動いている。

 何が言いたいかというと、自分の行動が理性で制御出来なかった。


 例えば、人間のボクは猫じゃらしがただのおもちゃだと知っている。だから人の姿を模している時は、猫じゃらしを見てもちょっとうずうずするくらいで、我慢が出来た。だが、猫の時は違う。

 気になって、気になって、気になって……。エンドレス気になる状態で、手を出さずにはいられない。生きていないことがわかっているのに、まず、手の先でつんつんと突いて生存確認をしてしまう。急に動き出したりしないことを確認した上で、安心して襲いかかった。

 それはほぼ狩猟本能だ。獲物を狙うハンターの血が騒ぐ。

 だがそもそも、ブリーダーの家で生れてそのままロイエンタール家に引き取られたボクは飼い猫生活しかしたことがない。狩猟生活なんて無縁だ。

 そんな自分にも狩猟本能が残っているのだから、遺伝子って凄い。


 そういうわけで、子猫の時のボクはねこじゃらしラブだ。アルバートが楽しそうに猫じゃらしを振っている姿も可愛いので、気分が乗っている限りは遊んであげる。

 ただし、子猫のボクの集中力は長くは続かない。

 直ぐに眠くなった。

 それが寝る子と書いてネコと呼ぶ生き物としての性質なのか、まだ子猫のせいなのかはわからない。だが、食欲よりなにより眠気が勝った。

 眠くなったら、どんなに足掻いても瞼が重く下りてきてしまう。睡魔に抗うすべはなかった。


 そして最近、眠くなってうとうとしていると、アルバートにひっくり返される。

 天井にお腹を向ける、いわゆるヘソ天という状態にさせられた。

 仰向けになると、勝手に手足が伸びる。そのだらんと伸びきった姿がアルバート的にはとても可愛いようだ。


(生物としてこれはどうなんだ? あまりに無防備じゃないか?)


 そう思うが、眠くて何も出来ない。俯せに戻ることさえ不可能だ。理性とは裏腹に身体は睡眠モードに移行している。

 だがまあ、ヘソ天くらいならいいと思っていた。その程度なら、特に支障は無い。

 アルバートがうきうきと楽しそうなので、ある意味、サービスだ。主に気を遣うくらいはネコの時だって多少は出来る。

 しかし、放置していたらアルバートの暴走は激化した。





 ある日、アルバートの膝の上で子猫の姿で寝ていた。

 眠りにつくまで、アルバートに撫でられる。優しい手で愛おしそうに触れられるのは心地よかった。アルバートの愛はちょっと重いが、嫌ではない。

 うとうとし始めると、例のごとくひっくり返された。ぐぐっと身体が伸びる。

 ネコなのに猫背が治る気分だ。

 そのまま睡魔に身を任せていたら、ふわっとした身体が浮いたる

 どうやら、アルバートに持ち上げられているらしい。


 ボクは子猫のまま成長していない。

 普通は、使い魔契約をした後もネコは成長するそうだ。実際、一緒に引き取られた兄弟猫たちはもうほとんど成猫に近い大きさまで育っているらしい。アルバートがルイおじいさんとそういう会話をしているのをボクは聞いていた。

 この世界に電話なんて便利なものはない。だが、通信手段がないわけではなかった。ありがちな魔法の世界の常識として、水晶を通して遠隔地にいる相手と通話できる。テレビ電話みたいな感じで顔を見ながら会話が出来た。

 ボクがちっとも大きくならないことを、アルバートは少し気にしている。最初は子猫の可愛さにただメロメロだったアルバートも、さすがにまったく成長しない事には不安を覚えたようだ。

 だが、ペット産業が盛況だった前世の日本と違い、この世界には獣医なんて職業はない。人間の医者ですら少ないのだから、動物のお医者さんなんていなくて当然かもしれない。

 そのため、ボクのことを相談できる相手がいなかった。それで、ボクを連れてきたルイおじいさんに白羽の矢が立る。

 だがおじいさんにも、ボクが成長しない理由はわからなかった。

 結局、元気なら問題はないだろうということになる。そう思うしかないというのが本音かもしれない。


 とにもかくにも、そんなわけでボクの身体は未だに小さかった。アルバートの両手の平にすっぽり納まる。

 そんなボクを時々、アルバートは両手で掬って持ち上げる。

 今もたぶんそんな感じなのだろうと思った。


「にゃ?」


 なんとか瞼を開けると、アルバートの顔が直ぐそこにある。


「食べてしまいたい」


 そんな呟きが聞こえた気がした。


(こわっ)


 そんなことを思っていると、ボクのお腹にアルバートは顔を埋めてきた。


「!?」


 ボクは驚く。びっくりして、目が覚めた。

 アルバートはすうすう息を吸っている。匂いを嗅いでいるようにも見えた。

 それがいわゆる猫吸いってやつだと、気付く。


(変態っ)


 叫んだ。だが、口からは猫の声しか出ない。


「にゃにゃにゃっ」


 嫌がった。蹴り蹴りしようと足を動かすが、当たらない。後ろ足は空を蹴った。

 アルバートはふうっと埋めたお腹に息を吹きかけてくる。

 ぞわぞわっと身体が震えた。


(本当に嫌っ!!)


「にゃーっ」


 ボクはルーベルトに助けを求める。

 ボクの騒ぐ声でこちらを見たルーベルトは、ボクのお腹に顔を埋めているアルバートを見て目を丸くして固まった。さすがに驚いている。


「にゃーっ。にゃーっ」


 ボクが諦めずに叫ぶと、ルーベルトははっとした。


「アルバート」


 呼びかけ、アルバートを注意してくれる。


「ノワールが心底嫌がっている」


 止めてくれた。


「それ以上やると嫌われるぞ」


 軽く脅す。

 だが、ボク的には現時点でアウトだ。


 アルバートが顔を上げた隙にボクは暴れる。

 アルバートの手の中から逃げ出した。そのまま、隙間に入り込む。

 小さな身体はどこにでも隠れられる。狭くて暗いところが好きなのは、猫の本能だ。

 ボクにもその性質はある。


「ノワール。もうしないから、出ておいで」


 アルバートの呼ぶ声が聞こえた。だがもちろん、無視する。

 ボクは怒っていた。

 隠れたままではご飯が食べられないが、一回くらい食事を抜かしたって死にはしないだろう。

 それより、誰にも邪魔されずに眠れる方がずっといい。

 その日一日、ボクは隠れ続けた。

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