閑話: 予想外





 ロイドが来ることをルーベルトとアルバートはノワールに話さなかった。

 内緒にしようと提案したのはルーベルトだ。話せば、相手をするのを面倒臭がって隠れてしまう可能性がある。


 猫の姿の時のノワールはかくれんぼが得意だ。気に入らないことがあると直ぐにぷいっと姿を隠す。猫の気性そのままに気ままだ。ノワールが猫の姿で過ごすと決めている休日は、アルバートが隠れているノワールを探している姿をよく見かける。おやつでおびき出そうとしても、気が向かなければ出てこない。人の姿の時とは違い、猫の時のノワールの食欲はそれほどではない。食い気が先行したりはしなかった。


 そんなサプライズ作戦は成功し、朝食後、ノワールが猫の姿でソファでまったりしている時にロイドはやってきた。

 予定通りだが、ロイドは一人ではない。

 その後ろには教官のカールとラルフがいた。

 経緯など知るはずもないルーベルトはただ困惑する。

 ラルフはなんとも気まずい顔をしていた。出迎えたルーベルトと目を合わせようともしない。


(どういうことだ?)


 疑問を抱いたが、質問するタイミングがなかった。

 玄関先で客を立ち尽くさせる訳にもいかない。

 とりあえず靴を脱いでスリッパに履き替えて貰った。自分の教官室でもスリッパを使っているらしいロイドは当たり前のように履き替える。それを見て、他の二人はロイドに倣った。

 三人はアルバートと向かい合うようにソファに座る。ロイドがどんな大義名分で部屋を訪れたのかを知ったのはその後だ。

 ラルフとのなんとなく気まずい関係をなんとかしようとしたという体らしい。


(余計なお世話だな)


 ルーベルトは心の中で毒づく。

 ラルフは悪い人ではない。それはわかっていた。昔から何かと絡まれたが、酷い事をされたことは一度もない。

 勝負を挑まれるのは鬱陶しいが、勝負そのものは正々堂々としたものだった。下手な小細工をしないことには好感を持っている。

 だがだからと言って、仲良くなれるとは限らない。

 今までの諸々で、溝はどうしようもないくらいに出来ていた。

 それになにより、ラルフと仲良くしたいという気持ちがあまりない。

 ラルフが家を継ぐ嫡男だったら、話は違う。同じ四大公爵家として、ある程度は親しくしておいた方がいいだろう。だがラルフは三男だ。家を継ぐ可能性はほぼゼロに等しい。無理して仲良くするメリットは何もなかった。

 アルバートはともかく、ルーベルトはそう思う。家やアルバートの損得を一番に考えていた。

 そんなことはラルフもわかっているのだろう。

 今までの謝罪を口にしながら、仲良くなれるとは思っていないように見えた。

 どことなく空気が重く、気まずい。

 ロイドが少し困った顔をした。


 そんな時、予想外のことが起こる。ノワールが動いた。

 何故か、ラルフに愛想を振る。撫でる許可を出し、甘えた声で鳴いた。

 ラルフはとても驚く。この前会った時に、人の姿のノワールに威嚇されたことを覚えているのだろう。恐る恐るという感じで手を伸ばした。

 ノワールは撫でられるのをじっと待つ。

 ラルフは優しくノワールの白い身体を撫でた。

 猫のノワールはにゃあにゃあと愛想のいい声で鳴く。だいぶ機嫌がいい。そのことに気を良くしたのか、ラルフは嬉しそうに微笑んだ。今まで見たことがない柔らかな表情を浮かべる。

 そんな二人の姿に、重苦しかった場の空気が変わった。

 誰もが微笑ましい気持ちになる。

 結局、アルバートはラルフの謝罪を受け入れた。許せと、ノワールにせっつかれる。ノワールが受け入れた人間をアルバートが拒絶できる訳がない。アルバートはノワールにどこまでも甘かった。


 三人は昼近くまで、ノワールと遊んでいた。

 正確には、ノワールが三人の相手をしてやる。ロイドやラルフももちろん、最後には巻き込まれただけであろうカールまでノワールにメロメロになっていた。

 ノワールは故意にカール達を落とそうとしていたふしがある。人の姿の時はそれなりに空気も読むし気も遣うが、猫の時は勝手気ままに振る舞うと決めているノワールにしては珍しい。あざといほど、可愛いを全面に押し出してアピールしていた。

 そんなノワールの作戦に、三人は面白いように引っかかる。完全に手のひらの上で転がされていた。

 その様子をアルバートはただ苦笑いして見ている。


 三人が帰った後、ノワールは昼食を食べるために人の姿になった。猫の姿だと、アルバートは人間用の食事をノワールに食べさせない。調味料が猫にとってはよくないことを以前にノワールがぼそっとこぼしてしまったせいだ。身体に悪いとわかっているものをアルバートがノワールに与える訳がない。

 人の姿になったノワールは、裸の身体にガウンを纏った。また猫に戻るつもりでいるから、着替えるのが面倒らしい。休日はたいてい、ガウン姿だ。


「あー、疲れた」


 ソファにもたれかかって、ぼやく。手足を投げ出し、天井を仰いだ。


「お疲れ様」


 ルーベルトは苦笑しつつ、紅茶のカップを渡す。

 ノワールはそれを受け取り、ふうふうとしばらく息を吹きかけて紅茶を冷ました。適温になったのか、一口、含んで確かめる。大丈夫だったようで、そのままごくごくと飲み干した。喉が渇いていたらしい。


 そんなノワールの隣にアルバートは移動した。


「ラルフが気に入ったのか?」


 嫉妬を隠さない口調で問う。


「別に。でも、アルバートはラルフと仲良くした方がいいと思った」


 ノワールは答えた。


「何故?」


 アルバートは問う。手を伸ばし、ノワールの頬に触れた。

 ノワールはふっと笑う。触れた手に自分から頬をすり寄せる。


「猫の勘。ラルフはたぶんいいやつだし、きっといつか役に立つよ」


 ニッと笑った。その笑みはちょっと黒い。人形のような顔がますます綺麗に見えた。


「私のためなのか?」


 アルバートは確認する。


「もちろん」


 ノワールは頷いた。


「ボクの主はアルバートだけだよ」


 可愛いことを言う。

 それが媚びなのか本音なのかは微妙な所だとルーベルトは思った。もしかしたら、どちらもなのかもしれない。

 確かなのは、そんなノワールにアルバートがメロメロなことだ。


「おいで」


 アルバートは手を広げる。

 そこにノワールは飛び込んだ。

 アルバートの膝の上に向かい合うように座る。


「ノワールは今日も可愛いね」


 にこにこと笑いながら、アルバートはノワールの頬を撫でた。


「ボクはいつも可愛いよ」


 ノワールは当たり前のように言う。それが嫌味に聞こえないのが、ルーベルトには不思議だ。

 だが下手に謙遜するよりよほどいい。実際、ノワールは可愛いかった。さらさらの銀の髪も白すぎる肌も、頭の上で感情豊かにぴくぴくと動く猫耳も、左右の色が違う瞳も。全てが精巧に作られた人形のようだ。だが、不思議とそこに冷たさはない。人よりも感情表現は上手だ。


(ノワールは本当に猫なのだろうか?)


 ルーベルトは時々、疑問に思う。人だったのに、魔法で猫にされたどこかの国の王子とか言われた方がよほどしっくりくる。猫という生き物はこんなにも人間を理解しているのかと信じられない気持ちになった。


 そんなことを考えていたら、目の前の二人はいちゃつきだした。アルバートがノワールにキスをしている。それは頬や額にだったが、見た目的にはかなり危ない。ぎりぎりアウトという感じがした。


「はいはい。キスはそこまで」


 ルーベルトは止める。


「もうすぐ、昼食が届きますから自重してください」


 アルバートを叱った。


「親愛のキスだろう?」


 アルバートは不満な顔をする。


「それでも、幼児を襲っているようにしか見えませんから」


 ルーベルトは首を横に振った。


「えっ……」


 アルバートは絶句する。そんな風に見えるとは思っていなかったらしい。

 一方ノワールは気づいていたのが、苦く笑っただけだった。 

 

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