4-9 お風呂



 ロイドの教官室を出てから、アルバートはずっと無言だ。いつものようにボクを抱っこして、寮に向かう。

 空気が重いのは、ボクとロイドの会話にだいぶ引いているからだろう。


(まあ、十代の少年には理解し難い内容だったかもしれない)


 ちょっと反省した。

 意外とロイドが面白い性格で潔いほどイっちゃっていたのでボクは楽しかったが、普通はどん引きする内容だろう。


(他人を害さない限り、個人の趣味は尊重してもいいと思うけどね)


 そう思うのはけっこう大人な考えなのかもしれない。思春期特有の潔癖さを持ち合わせている少年としては、それは度しがたいようだ。


(とても気まずい。なんとか機嫌をとりたい)


 居心地の悪い空気に、背中がむずむずする。

 しかし、人前でしゃべる訳にもいかずボクも黙っていた。

 重苦しい雰囲気のまま、部屋に着く。

 降ろされて、自分の足で立った。靴を脱いで、スリッパに履き変える。

 アルバートやルーベルトも無言のままスリッパを履いていた。スリッパに履き替えるのはすでに習慣になっている。靴のままよりスリッパの方が楽な事は実感してもらえているようだ。

 アルバートはソファに向かうとどっかりと腰を下ろした。


「はあ……」


 疲れたようにため息を吐く。


「お疲れ」


 そんなアルバートをルーベルトは労った。近づき、よしよしと軽く頭を撫でる。


「本当に疲れた」


 アルバートは上を向き、頭をのけぞらせた。ソファの背もたれに頭を乗せる。

 その目が玄関先で立ち尽くしているボクを見た。


「ノワール」


 おいでと言うように、名前を呼ぶ。

 なんとなく所在なげだったボクはほっとした。

 アルバートの所に行き、膝の上によじ登る。抱きつき、アルバートの頬に自分の頬をすりすりした。

 わかりやすく、機嫌を取る。

 可愛さが売りの猫だ。

 こんな時は遠慮なんてしない。もったいぶらない。


「なんだよ。ご機嫌取りだなんて、珍しいな」


 アルバートは笑った。ぎゅっと苦しいほど抱きしめられる。

 使い魔契約のせいなのか繋がっているせいなのか、アルバートの機嫌が悪いとボクはとても不安になる。心がざわざわして落ち着かなくなった。

 抱きしめられて、安心する。

 チュッチュッと頬にキスを繰り返すと、厳しかったアルバートの表情が緩んだ。


「アルバート、怒っている?」


 ボクは問う。

 小首を傾げて顔を窺うのは、わざとだ。あざといのをかわっていて、やる。


「怒ってはいない。でも、呆れている」


 アルバートはまたため息を吐いた。


「あれは一体、なんなんだ?」


 困惑した顔をする。

 ロイドのことを聞く。


「あれはただの趣味に爆走しているだけの変態」


 ボクは答えた。


「身も蓋もない言い方だね」


 ルーベルトはぷっと吹き出す。言葉とは裏腹にツボに入ったらしい。否定もしなかった。


「たぶん好きが暴走しているだけだから、実害はない」


 ボクの言葉に、アルバートはなんとも微妙な顔をする。


「実害はあるだろ」


 そう言った。


「どんな?」


 わからなくて聞く。


「踏んでやるとか何のプレイだよ」


 アルバートは眉をしかめた。


(それか)


 そんな約束をしたことを思い出す。確かにやり過ぎと言われればやり過ぎかもしれない。


(でも踏みつけるくらいで喜んでくれるなら、それはそれでいいんじゃない?)


 そう思ったが、もちろん口には出さない。アルバートの機嫌をわざわざ悪くする必要なんてなかった。


「アルバートも踏んで欲しいの?」


 一応、確認しておく。もしかして、自分も踏まれたかったという可能性はないわけではない。


「いや、そんな趣味はない」


 即答が返ってきた。ちょっと安心する。


「じゃあ、アルバートには身体を洗わせてあげる」


 いいことを思いついた。


「一緒にお風呂、入ろう」


 にこにこと誘う。


「それは……、悪くないな」


 アルバートは頷いた。

 それを見たルーベルトは渋い顔をする。


「アルバートもあまり先生のことを言えないよ」


 困ったように笑った。






 寮の部屋にあるのは猫足のバスだ。

 アルバートは裸になり、ボクを連れてそれに入る。自分が先に横になり、身体の上にボクをのっけた。

 足とか手とか掴んで、優しくにぎにぎされる。


「ちっちゃいな~」


 そんなことを言いながら、肉球に触る。


「にゃあ」


 ボクは鳴いた。

 肉球を触られるとぞくぞくする。


「にゃにゃにゃ」


 アルバートの手を足で蹴り蹴りした。触るなと抗議する。


「ごめん、ごめん」


 謝るが、全く悪いと思っていない。顔がにやけていた。


 今のボクは白猫に戻っていた。アルバートは猫のボクの身体を泡風呂の中でやさしく洗っている。

 くすぐったいし、なんか変な感じがするし、あんまり好きではない。

 猫の身体で人に洗われるのは変な気分だ。

 だが、アルバートはご機嫌だ。

 ずっと洗いたがっていたボクの身体をここぞとばかりに洗ってくる。


 ボクは毎日、お風呂に入っていた。日本人として、お風呂は大好きだ。シャワーではなく、ちゃんと湯船につかる。だがそれは人間の身体でだ。

 猫の身体の方はあまり水に濡れるのは好きじゃない。猫はもともと乾燥地帯の生き物だから、水は基本的に苦手だと聞いた。本能的に嫌なのだと思う。

 だから、猫の身体をシャンプーされるのはずっと避けてきた。

 毎日お風呂に入っているから、汚くないと主張する。

 だが、アルバートは納得しなかった。人間の身体は綺麗でも、猫の身体は違うかもしれないと言う。

 そう言われると、反論は出来なかった。

 とりあえず一度、シャンプーさせてくれとアルバートに強請られる。

 もちろん、ボクの返事はNOだ。

 週に一度くらい、そういう攻防がボクとアルバートの間で繰り返されている。


「ノワールは猫の時も可愛いね」


 親バカならぬか主バカのアルバートは濡れて毛がぺたっとしたボクにメロメロだ。チュッチュッとキスしてくる。


「にゃ」


 ボクは手(前足)で、アルバートの口を押した。


(猫の時はなんか嫌)


 そう思う。

 だがアルバートはその押しつけられた肉球にキスしてきた。まったくめげていない。


(ロイドのこと、言えないから。アルバートも十分、そっち側だから)


 ぞぞぞと背筋を何か走るのを感じながら、心の中で毒づいた。

 一通り洗われ、お湯で流される。ふかふかのタオルに包まれた。

 ごしごしと拭かれる。ちょっと力が強かった。


「にゃにゃっ」


 文句を言った。もっと優しく扱えと抗議する。


「ごめん」


 アルバートは力を緩めた。

 ボクはぶるぶるっと身体を震わせる。水を飛ばした。

 そのままぴょんと床に降りる。もう一度身体を震わせて乾かした後、人間に変身した。

 そんなボクをアルバートはバスタブの中からじっと見ている。


「おいで」


 手を差し出した。

 今度は人間として、お風呂に入る。

 アルバートの足の間に座らされた。腰に手を回され、背中から抱きしめられる。


「人間のノワールもちっちゃいな」


 そんなことを言いながら、手を握られた。やっぱりにぎにぎされる。


(猫でも人でも対応が変らない)


 そんなことを考えて、小さく笑った。

 アルバートの手はそのままボクの足を掴んで、持ち上げる。足の指の間とか洗われた。


「足も可愛い」


 ぎりぎりアウトじゃないか? と思う台詞と行動を取る。


「どうせなら、毎日一緒にお風呂に入ろう」


 アルバートはそんなことを言った。

 人間のボクともアルバートは一緒にお風呂に入りたがる。溺れたら大変だと心配しているようだ。一人で入れるのは不安らしい。だが、別に危険な事はない。

 むしろ、一緒に入る方が絵面的に別の意味で危険ではないかと思った。

 アルバートはきっと遠慮なくあちこち触ってくる。


(愛が重い)


 ボクは心の中でぼやいた。

 だが今はご機嫌取りの最中だ。つれなく断わるのも忍びない。


「考えておく」


 振り返り、アルバートの首に腕を回した。

 抱きつくと、ぎゅっと抱きしめられる。

 人の温もりが心地よかった。




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