CASE 2-4
「ということだから、もう穴は必要ない。きちんと埋めておけよ」
そう言ってジンがちらと地面に向けた視線に京子は慌てる。
何なの? 手伝うって言ったわよね?
「え? だって呪いの手助けをしてくれるんじゃないの?」あなたがアレをやってくれるのよね?
「成就の手助けとは言ったが、呪いの支度を手伝うとは一言も言っていない」
そうして地面からついっと持ち上げられた背筋の凍るような冷たい目は、京子を捉えて離さない。
「その穴の具合を見れば、あれだろうな。ややもするともう少し広げる必要がありそうだが、その穴に頭部だけ残して犬を埋め餓死寸前で首を切るってやつか? あるいは飢餓状態の犬を殺して埋めてその上を御百度参りでもするのか?」
「……そ、そうよ。犬を殺さなくちゃいけないの。犬は用意したわ。ちゃんと殺すつもりで……な、なかなか機会が来なかっただけ! そうしないと呪いは効かないんだからそれを手伝ってくれるんじゃないの!?」
「まさか。なぜ? 私は犬を殺すつもりはない。それにそもそもお前に犬を殺す覚悟がないのなら、最初から呪術を使おうなどという甘い考えはやめておくべきだな」
よくも、よくもよくもよくも。
みんながわたしをみんながあの子をみんながみんながみんなが……!
京子は思わず、手に持っていたシャベルを勢いよくジンに向かって投げつけた。
あ、と我に返った京子の耳目を驚かせたのはシャベルがジンのその身体の真ん中を通り抜けて、その後ろの木に当たる音だった。
「あ、あ、あ……ああ……」
「願いを叶えてやると言っただろう? 穴を埋めろ。呪うのは勝手だが犬を殺す必要はない」
そんなことに使われるなんて犬が憐れだ、と続けて小さく言ったのをイツキだけが聞いていた。
向こうに飛んで行ったシャベルを、イツキが拾って京子に手渡す。
「せっかく掘ったのに、残念ですね。……あ、でも犬を殺さないで済むから良いのか」
分かっていたはずだった。突然現れたこの人達は、何か変だと。何故なんて、答えるまでもない。たった今その証を目の前で確かに見たではないか。わたしもすでに狂っているのだろうが、きっとこの二人は……。
そうよホンモノ。
そうに違いない。
はは、と力なく乾いた笑い声が出た。
改めて恐ろしさに身体が震える。
いや、喜びだろうか。
わたしのしていたことは所詮、呪いごっこだったのかもしれない。それでわたしが引き寄せたものは、いったい何だろう。
でも、それがなんだってよかった。
「アハ。わたしは、もうどうなっても良いんだった。あの子を思い出すだけで生きているのが苦しいんだから。あの子がされたように、同じようにアイツを殺せるなら……。そうよ。ねえ……穴を埋めるから、ちょっと待ってて。お願いだから、消えたりしないでそこにいてよね」
シャベルを受け取り、掘り返した穴に土を戻し終える頃、それは思っていたより時間が掛かってしまったせいで、空は白々と明るくなり再びの朝が来たことを知らせていた。
ああ、また一日が始まる。
あの子を失ってから喜びなど感じることの無くなった、日が落ちては登るを繰り返すだけのいつもと同じ夜明けだ。
それが変わるとするならそれはきっと、あの子がもう一度わたしの所に帰ってくるとき……つまり、これからもそんな日は来ない。永遠に。
しかしこの奇妙なジンとやらは言ったではないか願いが叶う、と。その言葉にだんだんと気持ちが高揚してくる。
だったら、あの子の
「さあ、あんた達が誰かに見られる前に家に帰らなきゃ。わたし今、実家に居るのよ。と言ったところで、あんた達にはぴんともこないんでしょうけど。年寄りは朝が早くて……とにかく近所の目があるから急いで帰るわよ」
そう言って初めて、黒いスーツの二人組を連れた泥だらけの身体に大きなシャベルを担いだ自分の姿が、他人の眼にどう映るかなんて今まで思いも寄らなかったことに気がついた。
まあ、仕方がない。
例えあの呪いがこの二人から見たら、おままごとみたいなものだったとしても、わたしは本気だった。それに縋って生きていたと言っても良い。アイツを呪い殺そうとしていたんだもの。
これから何をするのか知らないけど、それが成就するのなら可哀想にあそこの娘は気が触れたと噂になるくらいで丁度も良いのかもね。
自虐的な笑いを、ジンとイツキがどう捉えたのかは分からない。それこそどうでも良いと京子がシャベルを肩に担いで歩き出そうと足を踏み出す。
するとそれまで無風だった雑木林の中に一陣の風が吹いた。目眩を感じて思わず目を瞑った京子が次にそれを開けた時、そこは実家にある自分の部屋の中だった。
「すごい……。どうやったの?」
「教えたところで、どうにかなるものじゃない」
ジンの表情ひとつ変えることのない
「まあまあ、とりあえず京子さん? でしたよね? 合ってた良かった……って、そうじゃなくて……えっと京子さんの話を聞かせてくれませんか?」
「……話って?」
「呪い殺そうとしている相手と理由だ」
「あんた達、それ知ってるから来たんじゃないの? 何? なんなの? そんなんでわたし……本当に願いを叶えて貰えるわけ? 全部、ぜんぶ知っているから来たんでしょ? ……ずっとわたしを……あの子を見ていたんじゃないの?」
そこで突然、全てが分かってしまったような気がした。
憑き物が落ちた。
すとん、と。
ああ、やっぱりまたホンモノじゃなかった。
目の前にいる二人は、自分が見ている幻覚なだけ。わたしに都合の良い言葉を話してくれるいつもの幻覚。
思い出してみてよ。
投げたシャベルが当たらないのも、声だけが最初に聞こえたのも。
黒いスーツの二人組?
そうね……笑える。
処方された薬が効かなくなっただけの、周りの人が口々に言う『いつもの一人芝居』ってやつだったんだ。
高揚していた気分が一転、再び奈落の底に突き落とされたような気がした。と同時に疲れが全身を襲う。
区別がつかないのが恐ろしい。
また薬を飲まなくちゃ。
そして全てが、どうでもよくなってしまった。
頭が働かない。
いつから薬が効いてなかったんだろう。
ああ疲れた。
穴を掘ったところまでは幻覚でないことは泥に汚れ汗臭い自分が証明している。それにしても、ベタベタした髪や身体にはうんざりだ。足元を見れば、汚れた靴を履いたままである。
これもまた、覚えがあるうちのひとつ。
またやっちゃったんだ。
今回は裸足じゃないだけ、怪我していないだけマシなのだろう。
靴を脱ぎ部屋のエアコンのスイッチを入れ、着替えやタオルを取り出しシャワーを浴びる支度をするのを黙って見ている二人をそのまま無視して……いつも幻覚は予想もしない形で現れる、振り返ることなく京子は部屋を出て行った。
薬を飲んだ後の残りのペットボトルの水に口をつけながら、さっぱりした姿で部屋に戻るとエアコンの効いた室内には、やはり誰もいない。それを見た京子は、願望が都合の良い幻覚を見せていたのだと納得し、濡れた髪のままだらしなくベッドに潜り込んで眠りに逃げることにした。
頭に砂が詰まったみたいに感じる。
薬を飲んだ後は、いつもそうだ。
夢の中であの子に会えたら、良いのに。
でもそれが夢だと知った時の苦しみ。あの胸の痛みを思うと、その夢さえも見たくもないのだから勝手だ。
わたしだって犬くらい殺せる。
あの子の為なら、殺してみせる……。
深い眠りに落ちる頃、怖い夢を見たと言って、あの子がそっとベッドの中に入ってきたような気がした京子は、その温かな塊を優しく受け入れた。
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