第二章 承る

CASE 2-1



 ……夜だ。


 夏の夜。

 外は澱の溜まったの底のようだ。

 どろりとした濁ったような暑さが纏わりつく。風はそよとも吹いていない。何をせずとも身体中に滲むベタつく汗はやがて背中を這うように流れ、辺りには大量の羽虫が湧いて何箇所にも白い靄のように宙に固まっている。

 その暗闇に紛れるようにして人の気配があった。

 ざっ、ざっ、と繰り返す一定の律動。

 地面に穴を掘る、シャベルの音のようだ。

 それを欠けた月が照らしていた。

 誰からも忘れられ、朽ちかけた神社の境内の奥にある荒れ果てた雑木林の伸びた下草の陰に穴を穿つそれは、一心不乱というに相応しい眺めだった。

 長い髪を振り乱し身体中汗や泥にまみれ、汚れるのも厭わず、鋭い勢いで地面にシャベルを突き刺しその土を掬い背後に放り投げる。


 ざっ……。ざっ……。


 弱い月明かりに浮かぶ険しい女の顔は、口許に薄く笑いを貼り付かせたままだったが、さすがに疲れの見えてきたことは律動の乱れからも分かる。だがその腕を休めることなく振るい続け、女の笑みはますます深くなる穴に向けられていた。

 

「……どうだ? 掘れたか?」


 耳元で聞こえたその静かな声に、びくり、と女の肩が跳ねる。

 シャベルを抱えるようにして、慌てて辺りを見回した。


「……だ、誰? 誰なの!?」


 振り返り耳を澄ますも、それに応えるものはない。

 動きをやめたことで、女は自身から立ち昇る体温に集まる羽虫に気を取られた。

 目や鼻や口の中に羽虫が入り込みそうになるのを邪険に手で払い頭を振る。


「何処にいるのよ! ……何? なんなの? ゆ、幽霊? お、おばけなの?」


 しんと静まり返る闇のなか、聞こえるのは肩で息をする女の荒い息遣いだけだ。


 ……誰も居ない。


 あるのは奇妙な角度のついた細い樹々と、膝下まで伸びた荒れ放題の雑草が生い茂る隙間からわずかに覗く黒々とした地面。

 それでも何か見えたりしないかと、女が辺りを忙しなく見回す度に、夜に浮かぶ白い顔に遅れて長い髪がばらばらと舞う。


「人をひとり、呪い殺そうとしている奴が幽霊やお化けが怖いとは、おかしなことだな」

 

 再び聞こえる声。

 咄嗟にその声のする方に身体ごと振り向いたが、やはり誰も居ない。

 シャベルを振り翳すようにして持ち直す。

 

「誰なの? 何で……何を知ってるの? 出てきなさい……姿を見せなさいよ」


 くくくっと押し殺した笑い声が、濁ったような夜の闇を裂く。


「困っているようだな。助けてやろうか?」

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