CASE 1-2
「あたしは……
ぺこり、と頭を下げるその様子に思わず釣られて「あ、どうも」と軽く頭を下げてしまった。
現状の寒さとは無関係に、背筋が凍りそうなジンの冷たい視線を後頭部付近に感じたが無視を決め込む。
「まあ、願いを聞くにも、こんな所ではなんでしょうから……」
そう言ったジンが白い掌で示したのは、闇より深い黒い色の血に沈む明日菜さんの見事なまでに無残な様子の死体である。
「あ……ですよね。すみません」
「お嬢さん……いえ、明日菜さん。貴女が謝ることではありませんよ。死体とはどれもみなこのようなものです」
違うような気がする、とは言えない雰囲気にイツキは聞かなかったことにしようと、ひとり頷く。
ひとまず自身に課せられた『人助け』の仕事というものが、分かりそうで分からないこの状況下にあって、イツキの出来ることはひどく限られている。
つまりそれは黙って様子を見る他ないということだった。
「幸い私たちの姿は誰にも見えませんが、こんな場所で自殺ともなれば人が集まって来るのも時間の問題ですよ。それにしても、まあ随分と思い切りのよい死に方ですね。高い所から飛び降りるなんていうのは一番お手軽ではありますが……。おや? 早速に野次馬が現れたようですな。こうなると、どうも気が散って話しづらくなるので、場所を移動しましょう」
滔々と捲し立てるように喋るジンを呆気に取られた様子で見ていたイツキだったが、やがて集まり始めた人の誰からも自分達の姿がジンの言葉通り本当に見えていないことに背筋が寒くなるのだった。
恭しく差し出されたジンの手を、少女は俯き加減のまま大人しく受け取る。
その手を引かれ静々と進むその姿はまるで、花嫁御寮のようだ。
折しも降り出した粉雪は花びらのように宙を舞い、胸の奥にちりちりと訳の分からないものが込み上げて来る。
「……どうした? 胸なんて押さえて? 食い過ぎか?」
出掛かった言葉を、ぐっと飲み込み笑顔を貼り付けたまま「別に何でもありません」と答えながらも何かを思い出しそうになっていたことに、はたと気づいた。
慌ててその記憶を追いかけようとするも、するりと指の間から抜け落ちるように無くなり、さらには微かに残る胸の痛みも瞬く間に霧散し、残るは目の前の蜃気楼のような少女とジンの無駄に美しい姿だけだった。
あれ? 何を考えていたんだっけ?
「おい、ぼんやり。イツキ、お前だ。さっさとどこか静かなところに案内しろ」
「ええー? どこにどうやって? まさか……普通に歩いてどこかに移動するって意味じゃないですよね? いや、それが真っ当な方法なのは知ってますけど。……違いますよね? そうじゃないなら、どうやって? ここに来た方法だって分からないのに、どうやって移動したら良いんですか?」
「ん? まだ教えていなかったか。なるほどこれが、うっかりってヤツだな」
ふふっとその艶めく笑いは、それだけ見たら眼福ではあるものの、本質にあるのは単なる笑って誤魔化すというイツキの得意技となんら変わることはない。
「……さっさと、ご説明願います」
「行きたい所を思えば、行ける。それだけだ」
さあ、早くしろと顎を使って促すその態度に、それならじゃあお前がやれよと言いそうになる自分を戒める。
知らないことを教えて貰うのも、仕事の一つであると自分に言い聞かせながら、今に見ておれ……しかし、何を? と自分にノリツッコミをしてから肝心なことに気づいた。
「……あのぉ」
「なんだ?」
「あのですね? 行きたい所と言われましても、記憶がないもので……こう……パッと思いつかないと言いますか……」
美しく整った顔が怒りに歪むのは、こんなにも恐ろしいものなのだとイツキが身をもって知ろうとしたその瞬間、明日菜が間に割って入った。
「あたしの……あたしが行きたい所でも良いですか?」
早技で仮面を脱ぎ捨てたかのように表情の一変したジンは、イツキには向けたことのない慈愛に満ちた眼差しで、少女の俯き加減の視線を掬い上げた。
「……もちろんです。お嬢さん……いえ、明日菜さんの行きたい所とは、どこでしょう?」
「……公園。昔、家族でよく遊びに行った公園です」
そう明日菜が言い終える前に、辺りの景色は初夏を思わせるすっきりとした青空の下、緑々とした広い芝生に変わり、そのだだっ広い緩やかな丘の上の只中にぽつねんと三人で立っていた。
「ここ……! ここです……わあ懐かしい。あの向こうにある大きな木に、お兄ちゃんと……あ、いえ。……なんでもありません」
輝いていた顔はすぐに曇り、きゅっと噛み締められた唇からは、それ以上の言葉は出てこなかった。
秒で移動するってどんな奇術だよ、と危うく腰を抜かしそうになるが、口の悪い華麗な
ん? 人じゃないのか? じゃあ何だ?
「さて、場所も移動したことですし。明日菜さん。それでは改めて貴女の願いをお聞かせ下さい」
恭しく一礼をしながらジンは明日菜にそう言い、唇の端だけで笑みを作る。
いちいち芝居掛かったそれ、どうにかならないもんかねとイツキが思ったその心を読んだかのように、ジンのしなやかな腕が伸び、スナップの効いた一発がイツキの後頭部に命中した。
「っで、痛ッ。……あ、態度に出てました?」
すみませんと首をすくめる。
助手としての思慮の足りなさに、深く恥じいる……訳がない。
「あの……あたし……」
「復讐ですか?」
焼き殺す、嬲り殺す、呪い殺す他、どんな方法も御座いますよ、と続くジンの言葉を打ち消すように明日菜は言った。
「あたしの存在を、なかったことにして欲しいんです!」
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