第一章 起こる
CASE 1-1
「……い! おい。イツキ!!」
名前を呼ばれて、振り返る。
目の前には黒いスーツを着た類稀なる美貌の持ち主の、不機嫌そうに眉を顰めた顔。
それは透きとおるような
「まったく。どうにもくそ鈍い奴だな。さっきから呼んでいると言うのに。……で? 何を考えていた?」
「いや、つい……ぼーっと見てました。すみません。それにまだ名前に慣れていなくて……って言っても以前の名前なんて覚えてないんですけど」
はははっと、誤魔化し笑いで思わず頭に置いた手に、ちらりと視線が動いたのを見て、慌ててその手を下ろした。
「あらかたの記憶を消してしまっても、性格は変わらないというのは大変興味深いものがある」
「……はあ。……って!? 以前どっかで会ってます? やっぱ、そう?! ……じゃなかった……そうなんですか?」
「さて、無駄話は止めて仕事をしないとな」
軽くあしらわれてしまった。
無駄……。
そう。以前のことを考えるのは無駄なことなのかもしれない。
真っ白な部屋で目が覚めてから、それ以前の自分に関する記憶は殆どなかった。
いま分かっているのは、自分が誰かに選ばれたということ。その結果、自分が属するのは、それまでの世界ではなく何か全く別物の世界であり、そこで仕事を与えられる住人になったのだということ。
それって何? という疑問には答えてもらえず、さらには、目の前の人物が言うには自分は『人助け』のために選ばれたと言うのだが……。
言われるがままに、こうしてお揃いの黒いスーツを着ているものの、これって見ようによっては滑稽極まりないし、どこかで見たような何かを彷彿とさせる。
なんだっけ……思い出せないのは消えた記憶のせいだろうか。
「……なんだ? 何か言いたそうだな」
「いえ……。何でもありません」
ふんっと形の良い小さな鼻を鳴らされる。
「あの……ところで仕事って……?」
「ああ、そうか。コレがイツキは初仕事だったな?」
そう言って腕をさっと振るい、広げる手の綺麗な長い指先で示したそこに突然現れたように見えるのは、自身の死体を見下ろしている文字通り闇に溶けてしまいそうな儚い少女が、ひとり。
冬夜の闇の中に茫然と、ひしゃげて血まみれの自分の肉体の前に、今にも消えてしまいそうな様子で立っている。
もちろんそれらが突然現れた筈は無く、自分が先程からぼーっと見ていたのは、この自身の死体を前に佇む少女なのであった。
今もその少女は、繰り返し呟いている。
「あたし……ついに、やっちゃったんだぁ。そっか。やっちゃったか……」
そう呟き続けるその不確かな存在の少女と壊れたその肉体の前に、類稀なる美貌を持つ口の悪いこの人物は軽やかな足取りで、颯爽と立ち朗々と言った。
「お嬢さん、お困りの様子ですね? よろしい。ワタクシが、お助け致しましょう」
「え?」
「ええッ?!」
奇しくも同時に、少女と同じで違う意味のある言葉が口から出てしまったのは、全くの偶然である。
って言うか助けるもなにも、突っ込みどころ満載のこの状況を前に、何から聞けば良いのか……。
「あの……」
「ちょっ、ちょっと待って下さい!!」
またも同時の発言に、白皙の美貌を歪ませこちらを睨めつけるその迫力に気押される前に……いや、あの柔らかそうな唇が開いて、悪態をつく前に急いで言い終えなくては。
「あの、あのですね? この状況! 見えてますよね? 女の子の死体。で、それを見下ろしてるのって、その本人でしょ? もう助けるも何も、なくないですか? ……ねぇ? 君もそう思うよね? えっ? ……うわぁっ!」
言い終えた途端、思い切りよく足蹴にされて見事に地面に転がる自分に驚く。
えぇ……そっちかー?
って何か間違ったこと言った?
「お嬢さん。コレは私の助手ですが、まだこの仕事に慣れていないとはいえ、失礼な発言の数々。不快な思いをさせてしまったことを、お詫び申し上げる」
「あ、ハイ。いえ……大丈夫で、す……」
豪奢な光沢を持つ頭髪を下げ、それを再び
「あの……。あたし、死んでますよね? これ、あたしですもんね? だけど、なんで? 助けるってどうやって? 生き返りたいって言えば、生き返れるの?」
「それがお嬢さんの助けになるなら、もちろん。しかしながら
「……違う。違い……ます」
ふるふると首を振る闇に半分透けてしまっている少女を見ながら立ち上がり、スーツに付いた見えない埃を払っていると肉体は間違いなく死んでいるこの少女が、その疑り深い視線を目の前のお揃いの黒いスーツを着た二人の人物を見定めるように交互に動かしているのに気づく。が、それは自分だけではなかった。
その『胡散臭いものを見てます』的な視線を受けて応えたのは、どうやら自分の仕事とやらの師匠に当たるらしいとたった今知ることになった華麗なる人物である。
「おっと、紹介がまだでしたね。
我が名はジン。……で、この出来損ないが弟子で下僕な助手のイツキです。以後お見知り置きを」
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