朝の街
「アリス、起きて」
ゆさゆさと揺さぶられる。目覚ましもまだ鳴っていないというのに、なんだというのだろう。ぼんやりと回らない頭で考えながら、目を開ける。うっすらと開けた目の隙間からはノアの銀糸の髪が揺れているのが見えた。ランタンの灯りだってないのに、きらきら、きらきら、薄ぼんやりとだが光っている。きれいだなあ、なんて寝ぼけた頭で考えつつ、枕元の時計を見た。それは、まだ三時を指していて、明らかに起きる時間ではないのは確かだった。
それなのに、ノアは私の体を揺さぶってくるのだ。
「アリス」
何度目かの揺さぶりと声で、少しだけ頭が覚醒する。
眠たい目をこすりながら、起き上がると、ノアが服を脱がして、新しい服を私によこしてきた。それをゆるゆると着て、ベッドに座ると、ランタンにゆっくりと灯りがついて、部屋を優しく照らしてくれる。それでもまだ完全に覚醒してなくて、今からでもまた夢の世界へといけるぐらいの心持ちである。とにかく、眠い。
ぐらぐら、ゆらゆら、と右に左に揺れながら、ノアの顔を見ると、なんだか表情がよく見えない。おかしいな。
「どうしたの、こんな時間に」
「今から外に出ますわ」
「えっ」
ノアの言った言葉がいまいち理解できなくて、数秒だけ止まった。
だって、私は外に出てはいけないのに。ノアだって、お母さんから言われてるはずなのに。どうして、急にそんなことを。
優しく笑って、機械人形特有の白い陶磁器の手を差し出してきて。
「アリス、あなたは空を見たいのでしょう? 私とだったら大丈夫ですわ、行きましょう」
差し伸べられた手を、振り払うことはできなかった。
□□□
夜の冷たさが、肺に取り込まれていく。
いつもと違う時間のせいか、人通りもなく、街灯すら照らされていないようだ。不自然なくらいに静まりかえる街は、不気味で仕方がない。妙な不安が胸をよぎるが、もう戻ることはできないと漠然と感じていた。
差し伸べられた手を取った時点で、私は戻れないのだと。まだ引き返せるとも思えない、それはわかりきっていることだ。
「アリス、もう少しですわ」
静かすぎて痛いくらいの空気に、ノアの鈴のような音が響いていく。
もう少し、もう少し。だんだんと上がってくる息も気にしないで、ノアは私の手を引っ張ってどんどん進んでいく。
――――かちゃり、かちゃり。
なんだか変な音が、している。不吉な音だ。ノアは気づいているだろうか。声をかけようとして、やめる。いま、ノアの顔を見てはいけない気がするのだ。
ああ、なんだか、いやな予感がしている。もう戻れないのに、戻った方がいいような、お母さんにごめんなさいと言ってでも、なんとしてでも戻った方がきっといいのに。なんで、私は足を止められないでいるんだろうか。
「アリス、ほら」
もうすぐですわ、と続けるノアの顔は見えないままだ。手をぐいと強く引っ張られて、ふいに眩しい光が目に入る。これは一体――――。
「これが”空”ですわ」
どこもかしこも明るくて、光で溢れている。上を見上げれば、墨をこぼしたようないつもの空はどこにもなくて、ただただ青い色が広がっていた。それはどこまでもどこまでも続いていて、空の中央に浮かぶ、ギラギラと光る丸い物がこの世界をこれでもかと照らしている。
「あの光るものを直視してはいけませんわ」
そっと、目を隠される。それでも、あの光は目の奥まで届いて、まぶしい。
夜の街から抜け出すことができたらしかった。それが直感でわかるくらいに、ここは光で満ちあふれている。色彩鮮やかなこの街は、私にはまぶしすぎて、涙がこぼれ落ちてく。
「ねえ、ノア。私ここにいていいのかな」
目を隠している陶磁器の手を掴んで、言う。
ノアは何も答えずに、ただ笑っている。うっすらと微笑みをのせて、私の手を振り払う。
「えっ?」
ノアは、薄気味悪い笑みを浮かべて、ナイフを取り出す。ためらいもなく、それを私に振り下ろした。ナイフが、肉をよりわけていって、えぐり出していく。ナイフは止まることなく、私の肉を遠慮無く切り裂いていく。
「あああああああああああああああああああああああ」
機械人形は人に害を与えてはいけないのに。どうして。
ああ、痛い痛い痛い痛い!
ナイフは、目の前にあって、そのまままっすぐ私の目に向かってきている。
「あああああああああああああああああああああああ」
どうして、どうして、どうして!
あんなにきれいだった青の色彩に、私のどす黒い赤が入り交じる。見たかったはずのものはこんなものじゃなかったはずなのに。
「ノア!なんでこんなことを!」
目を押さえつけながら叫ぶ。それでも血は止まらなくて、私の手を赤で汚してく。痛みが薄らいで、気が遠くなっていくのがわかる。それでも、最後にノアに聞きたくて、声を張り上げて問う。
ノアは、薄気味悪い笑みを浮かべたまま、答える。
「アリスがいけないことをしたからですわ。空がみたいだなんて言うから。だから、わたしまでいけないことをしなくてはならなくなったの」
ナイフが、もう片方の目に突き刺さる。もうあの機械人形の顔は見えない。
赤くて、黒くて、混ざり合って何の色だかわかんないぐらいになってしまっている。ああ、もう、押さえつけても、無駄だと手を離して、倒れ込む。もう立っている気力だってなかった。ざらざらとした土の感触が気持ち悪い。
「……アリス、あなたは被検体だから、また新しい体をもらえますわ。今度のあなたは、うまくやってくれると信じてますから、ね?」
被検体? ノアが何を言っているのかわからない。
ああ、ああ、ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。私は、空が見たかっただけなのに。
「
青くて、きれいな空はもう見えない。
夜の街 武田修一 @syu00123
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