夜の街

武田修一

夜の街

 墨で塗りつぶしたような黒だけが目の前に広がっている。下から明かりを当ててみてもそれは変わりようが無かった。手元にあるランタンでは、空の奥底まで光が届かず、私の周りを明るく照らすだけだ。

 夜の冷たさを肺に取り込んで、深く深くため息をつく。


「アリス、そろそろ中に入らないと」


 そう声をかけてきたのは、機械人形のノアだった。ノアは、小さく息を吐いて、私の手をそっと暖める。じんわりと暖かさが伝わってくるこの瞬間は嫌いじゃない。

 ノアは心配そうな表情で、私の手を引き、部屋の中に戻す。カラカラ、と小さな音を立てて、窓が閉められていく。ベッドの横にある時計は、夜の十二時を指している。

 灯りのついたランタンは、いつの間にかノアの手元にあり、ゆっくりと灯りを失っていく。それをぼんやりと見つめていると、銀糸の髪がずいと近づいて、今にもこぼれ落ちそうな青い瞳が私を見つめるのだ。


「アリス、夜遅くまで起きているのはだめだと奥様から言われていますわよね?」


 夜だからか、日中よりも小さめの声でノアは言う。私は、目線をそらしながら、うなずいて、ベッドに潜り込む。お母さんから最近よく言われることだった。でも、私はどうしても起きていたかった。あの空を照らす光を見てみたいから。それはノアだってわかっているはずだ。だから、ある程度の時間までは、邪魔をしに来ない。

 私に布団をかけながら、子どもをあやすかのように、昔話でも話すかのように、やさしく言う。


「ねえアリス、この街では確かに夜の空は暗いですわ。他の街では、”月”というものがあり、夜の間も空をずっと照らしているようですが―――、ここは夜の街なのです。日中だって、空を照らすことはありません。夜の街に、”太陽”の光は届かないのですよ。」

「…………うん」


 何度も聞いた話だった。それだって、もしかしたら他の街のように光が届いて、空を照らしてくれるかもしれないのだ。可能性があるならば、私は何度だって見続けていたい。


「ねえ、ノア」

「はい?」

「私、外に出たい」


 一瞬だけ、顔から表情が消える。出荷前の機械人形のような、いつもとは違うノアの顔。長い沈黙の後、困ったような、悲しそうな色をのせて、笑う。


「…………だめですわ」


 カーテンを閉められて、部屋の明かりも消される。扉も閉められていく。扉の向こうから、小さな音が聞こえた。


「おやすみなさい、アリス」


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