第11話



 いつの間にか緊張感はどこかに消え去り、二人は楽しく話をしながら食事をした。バイト中に他愛の無い会話はしていたが、ゆっくり腰を据えて話すと知らないことばかりで新鮮だ。都内の理系大学建築学科に在籍していることは知っていたが、なぜ建築の道に進もうと思ったのか、前から聞いてみたかった。

「元々、機械を分解したり組み立てたりするのが好きだったんだ。小さい頃はよく時計とか壊して怒られていた。別の趣味を見つけたほうがいいって、親父が誕生日にカメラを買ってくれたんだけど、それが楽しくてさ。いろんなものを夢中で撮った。あまりにもカメラにハマるもんだから、今度は世界遺産とか野生動物とかのシリーズ物の写真集を買ってくれてね。その中に『世界の建造物』ってやつがあって。それがものすごく、なんというか衝撃的だったんだよ」

 目を輝かせながら彼は話す。

「ヨーロッパの城や、日本の寺。それぞれすごく綺麗だなぁって思って。夢中になって何度も読んだ。んで、知っているかなぁ、スペインにある『サグラダファミリア』って教会があるんだけど……」

「聞いたことあります」

 確か完成までに途方もない時間を要し、建築家の人が亡くなってしまった現在でも工事は進行している建物だ。

「そのガウディって人の建築がもの凄く独特というか。サグラダファミリア以外にも公園やアパートを手がけているんだけれど、見れば分かるんだ。『あ、これはガウディの作品だな』って」

 いつも背負っているリュックサックの中から、どっしりとしたカメラを取り出してみせてくれた。

「高校生のとき、バイトしてお金貯めて一人で見に行ったんだ。本当に感動した。そのときはいつか自分もこんなものを作ってみたいなぁって思ったよ」

 カメラの後ろ側に折り畳まれていた部分を開き、はめ込み式の画面に映し出された画像を見せてくれる。

「これがそのときの写真」

 そこには日に焼けた、今よりも幾分かあどけなさのある悟さんが満面の笑みを浮かべて写っていた。現地の人に撮ってもらったんだ、と言って他の写真も見せてくれる。うねうねと曲線の壁をした建物や、色鮮やかなタイルが張り巡らされた壁、そして壮大な教会サグラダファミリア……。それは何と言うか、優が今までに見たことのあるどんな建物とも違う、まるで魔術師が作り上げたような不思議な形をした建物ばかりだった。

「――すごい、です」

 感嘆する優に目を細めて悟さんは続ける。

「今はね、こういうでっかいものが作りたい、というよりは生活している周りにたくさんあるもの。例えばマンションとか、お店とか。そこを利用する人たちを主人公とした建物に興味があるんだ。Edenzもさ、昼間は光がたっぷり入ってきて凄く明るいよね。店内にはたくさん植物があるけれど、お客さんがじっくりと見て回れるような広さもある。レイアウトはもちろん店長が決めているけれど、あの建物ができるときに色々と要望を伝えたらしいんだ。俺、凝り性だからそういう話聞くのも面白くて」

 最近撮ったという写真も数枚見せてくれた。「店長に許可をもらって撮らせてもらった」と、よく写真が見えるようカメラを渡しながら教えてくれた。

 そこには閉店後だろうか、シャッターが閉められた後の店内がいろんなアングルから撮られていた。眺めているうちに優はあることに気が付いた。幾つかの写真に黒いロングの髪を一本に結んだ後ろ姿が写り込んでいるのだ。それはあまりにもさりげなく、故意に撮られたものなのか、偶然なのかが分からない。

(写真を撮っているときに気付かなかったのかしら)

 ちらりと悟さんを盗み見るが、全く気にする様子もなくハンバーグを堪能している。

(きっと私の考えすぎだわ……)

 胸に苦しさを感じたそのとき、二人組の客が店に入って来た。女性の方は若そうだが男性は四十代だろうか、大人のカップルだ。何となくそちらに目を向けた優は胃のあたりがきゅっとした。

 男性は見知らぬ人物だが、濃紺のブルーのワンピースを纏(まと)っている女性は普段見慣れた作業着とは雰囲気が違うが、見間違えようもない、礼子店長だった。

「あ……」

 突然固まってしまった優に気付いて悟さんも視線をそちらに向けた。そのとき、ちらりとこちらを見た店長とばっちり目が合った。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにこちらに向かってきた。悟さんはあんぐりと口が空いたままだ。

「二人ともこんばんは。お店の外で会うって初めてだわね。なんだか新鮮」

 ふふっと、と彼女が口元に手をあてたとき優は気が付いた。いつもは水仕事だから必要無いといって何もしていなかった爪が、美しいピンク色に染められている。

「こんばんは。あの、私達、たまたまここに来ていて……」

 なんとく弁解じみた気持ちになってしどろもどろに説明した。悟さんは店長をじっと見つめたまま固まってしまっている。

「あら、気にすることはないわ。お店の外のことに口を出すつもりはないもの。でも、二人ともとってもお似合いよ」

 礼子、と男性に呼ばれ、彼女は優たちに別れを告げると彼の元へ戻って行った。彼らはそのまま奥のバーカウンターに並んで座ると、親しげな様子で話し始めた。

「…びっくりしましたね」

 悟さんのほうを振り返って優はぎくっとした。彼は店長から目を離さず、真っ青な顔をしていたのだ。

「お待たせしました、自家製ジンジャーエールです」

 二人の前にあれほど楽しみにしていたジンジャーエールが運ばれて来た。しかしその後、二人の会話が盛り上がることはなかった。

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