第10話
太陽が沈んだ薄紫の空の元、ターミナルの向こう側から見慣れたマウンテンバイクがこちらに近づいて来た。
「ごめん、待たせちゃった?」
焦った顔で悟さんが言う。その姿が可愛くて優は微笑んだ。
「いえ、たまたま早く着いてしまって」
「そっか。でも、最初分からなかったよ。何だかいつもと違くない?」
「遊びに行くときはこんな感じなんです」
そうなんだ、としみじみ眺めている悟さんを見て、こっそり心の中でガッツポーズを作った。
留美の教えてくれたカフェは、待ち合わせの駅からさほど遠くない、静かな住宅街の中にあった。看板には可愛らしい文字で「Coko café」と書かれている。平屋の民家を改装した造りでさほど広くはないが、オレンジ色の柔らかな照明に照らし出された店内には、マホガニーのテーブルとフカフカなソファが並び、ゆったりとした音楽が流れている。奥にはカウンターバーも併設され、数組の大人のカップルや女の子だけのグループがちらほらいる中、二人はすぐに空いているテーブルに案内された。
カリグラフィー文字で書かれたメニューに目を通すと、学生の身には少々割高ながらも美味しそうな品々が写真付きで並んでいる。その最後の「Drink」のページの中に「当店自慢の自家製ジンジャーエール」があった。小さな赤文字で「おすすめ」とさりげなく記されている。
「これだね。自家製で、しかもおすすめだって」
「ですね。楽しみです」
「それじゃあ、ご飯決めようか。どれも美味しそうだなぁ……」
二人はさんざん悩んだ末、悟さんはハンバーグ定食、優が明太子と青紫蘇のパスタに決まった。飲み物は最後にゆっくり楽しもうと、食後にお願いし、注文を終えると彼は感心した様子で店の中を見渡した。
「いい雰囲気のお店だね、友だちに教えてもらったんだっけ?」
「はい。お姉さんがいる子で。一度連れてきてもらったんだそうです。そのときおすすめだよって言われてジンジャーエールを頼んで。あまりにも美味しかったのでそのあと何回か一人で来たんだそうです。すっかりはまってしまったって」
「ふーん。俺も彼女がいれば、こんなところ一緒に来たりできるのになぁ……」
ぼそっと呟かれた一言に優は動揺した。
「エ、エ?彼女さんいないんですか?」
「うん。あんまりそういうことに興味がなくって」
「そうなんですか? 意外でした。だって、私の話を聞いてくれたりしてとっても優しいし、顔立ちも整っているし。モテるだろうなぁ〜って」
顔が緩んでしまうのが自分でも分かる。これじゃあ不審な人に思われてしまいそうだ。
「今まで付き合ったことが無いというわけではないよ。でも、俺、女心に鈍いみたいで。相手から言われて付き合ったのに、最終的には振られて終わるってパターンが多いんだよね――」
付き合うってことに向いていないのかも。と苦笑いする彼の顔を見ていると胸の奥がざわついた。でも、と彼は言葉を続ける。
「今は建築の勉強とバイトが凄く楽しいから、それで彼女も欲しいなんて言っても、実際いたら寂しい思いをさせてしまいそうで。優ちゃんはどうなの? 好きな人とか、いるの?」
「私は……。私も今は学校とバイトが楽しいし毎日凄く充実しています。でも、恋愛は……。出来ればしたいなぁとは思っています」
「そうなんだ。大丈夫だよ。可愛いし。しっかりしているじゃない。丁度同じ年頃の妹がいるからさ、どうしても兄貴目線で見ちゃうんだよね。変な男に引っかからないようにとか、ちょっと心配になったりする」
妹、という言葉がひっかかりはしたが、それでも気にかけてくれていることが素直に嬉しい。
そこへ店員さんがやってきて、お料理と「よろしければお使い下さい」と取り皿を持ってきてくれた。
「美味しそうだなぁ、それじゃ食べようか」
熱々のハンバーグを食べやすいサイズに切り分けるといくつか小皿 に乗せて渡してくれた。
「どうぞ、肉汁凄いよ。これは絶対に、旨い」
「ありがとうございます、私も……」とパスタを取り分けようとすると、俺は大丈夫だよ、と止められた。
「実は明太子があんまり得意じゃなくて。食べたいもの選んでほしかったからさっきは言わなかったんだ」
「そう、なんですか……」
聞けば良かったとシュンとしてしまった優に、気にしないで、と彼は優しく笑う。
「ほら、温かいうちに食べよう? 冷めちゃったらもったいないよ」
悟さんはパクっと一口頬張り、ウマーと目を細めている。そんな彼を横目に、分けっこしたかったなぁと若干後悔を引きずりつつ、スプーンの上でフォークをくるくると回してパスタを巻いて口に入れた。すると、明太子と紫蘇の何とも言えない味わいがふわっと口の中に広がっていく。思わず、んーと頬を緩めた優をみて悟さんは、
「……。良い顔しているね。俺も頑張って好き嫌い無くそうなかぁ……」
と呟いた。
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