第8話
4
バイト後、優は店から曲がり角を二つ分離れた街頭の下で悟さんを待っていた。心臓が今にも飛び出してきそうな緊張を少しでもほぐそうと、(既に何度も練習をしているのだが)考えた台詞を反復する。
「大丈夫、何があっても私は味方だからね」
そう言った親友を思い出すと少し心が軽くなる。
(悟さん、まだかな)
彼は大抵、最後の時間帯のシフトに入っている。平日の閉店間際はそこまで忙しくならない為、店長とベテランの悟さん二人で作業をしている。優がお店を出てから店仕舞いまで三時間ある。最初は駅前のカフェで待っているつもりだったが、いかんせん落ち着かない。ずっとばくばくしている心臓と共に台詞の書いてある紙を見つめていても何も頭に入ってこないし、彼を前にして急にトイレに行きたくなったら困るので飲み物も極力口を付けずにいた。仕方なく音楽を聴いていたが、それでも落ち着くことができず、カフェを出て駅前のファッションビルの中をうろうろした。そんなことをしているうちに時間が経ち、彼がバイトをあがるであろう時間よりもちょっと前にEdenzの近くに戻ってきた。
(悟さんに会ったらまず、家に帰ったら忘れ物したことに気付いたから取りに戻ったって言う。もう閉まっているよ、と言われて、急ぎじゃないからまた明日にします、と答える。そして駅まで一緒に行く。その途中で、そういえば……って切り出す。よし。大丈夫。完璧)
何度目かの深呼吸をしたとき、店の方角からマウンテンバイクに乗ってくる人影が見えた。
(来た!)
ささっと手で髪を整えると優はゆっくりと歩き出した。
「あれ、優ちゃん?どうしたの、こんな時間に。忘れ物?」
気付いた悟さんが向こうから声をかけてきてくれた。
「お疲れ様です。学校で使う資料の入った鞄を置いて来てしまったみたいで――」
(大丈夫、すらすら言えている。でもちょっと声がうわずっているかも……)
平静を装いながら優は続ける。
「でも、もうお店閉まっていますよね。急ぎで必要というわけでもないので、明日でも大丈夫です」
「そう? ちょうど今閉まったところ。鍵も店長が持っているからなぁ」
「そうですか。それならまた明日取りにくることにします」
「そっか。じゃあ、駅まで一緒に行こう」
バイクを降りて押しながら歩く彼の隣を歩く。それだけでも幸せいっぱいのシチュエーションだ。嬉しさを噛み締めながも、ここからだぞ、と自分を奮い立たせた。
「そういえば、この間頂いたジンジャーエール。とっても美味しかったです」
「それは良かった。アレ飲むとスカっとするんだ。俺、元々炭酸が好きなんだけど、甘いものはそんなに得意じゃなくて。でもジンジャーエールってピリッと辛みもあるじゃない? そこが気に入ってさ」
「そうですね。大人の味だなって思いました」
「大人の味? 確かにそうかもね」
悟さんはくっくと笑っている。
(今だ、行くなら今しかない!)
優は手の平をぐっと握り締めた。
「そういえば、友だちからジンジャーエールの美味しいお店を教えてもらったんですよ」
ん?と彼が優の顔を見る。
「良かったら、その、行ってみませんか。一緒に――」
一秒、二秒――三秒。たったそれだけのはずなのにまるで時が止まってしまったかのように感じた。息が、詰まる。ちらっと見ると、彼はあっけにとられた表情をしていた。
「それって、あれ? あ、うん、いいよ」
ちょっと顔を赤らめている。
「びっくりした。優ちゃんから誘ってくれるとは。いやぁ、驚いた……」
―嘘みたい。
頭の中がジーンと痺れた。嬉しくて、思いっきり、ヤッホーと叫んで飛び上がりたい。心の中は大騒ぎ状態だ。
「いいんですか、本当に」
「もちろんだよ。美味しいジンジャーエール、飲んでみたいじゃない」
悟さんは、顔をくしゃっとして笑った。
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